無草の硬泥、浮く青銀
ここらへんは地下水に恵まれているようだ。篤哉たちはあの後も泉や伏流をいくつか目にした。どうもオドルカの山の下には大きな水源が存在するようで、薄い泥の層から常時濡れた岩が筍立するフォウ湿原もそこに成り立ちがあるらしい。オドルカの底には水神が祀られているという噂もある。昔大きな地割れが起きて間歇泉が噴き、その場で争っていた人間魔物を飲み込み吹き飛ばしたという謂れがある。泥の層は薄く靴底を汚す程度で済むがいかんせん地形が荒い。湿原は防壁手前まで続き、ここでの作業は特に辛そうだと予想した。もっとも、辛いことは初めに終わらせるというウーデの方針で初端に完成させたので今は人の影もない。
「湿原って聞いたから沼地みたいなのを考えてたんだが…」
「ここを運搬路にするのは大変そう」
「道は悪いし魔物もいるし、もう少し西寄りか」
魔物という単語に言霊が反応でもしたのか、蛇に足が生えたような魔物が泥の上を滑るように近づいてきた。気が立っているのか鎌首を擡げて襲い掛かる。
「クシャアァ、ファッ!」
擡げた頭に爪先が刺さる。フウラの投擲が狂いなく蛇足の頭を貫いた。更に数匹現れたが、難なく仕留める。
「どう」
自慢げに胸を張るフウラ。
「魔物の扱いはわからないからな。助かる」
「先輩だから」
「そうだな……しっかし、魔物がうようよしてる中を虱潰しに捜しまわるのは危険だな。とりあえず西へ抜けるか」
防壁を背に歩き出そうとした篤哉に、フウラが待ったをかける。
「まって。魔物の様子が少しおかしい。さっきの蛇もだけど、皆防壁側へ向かってる。しかもすごく苛立って」
篤哉は左目を駆使して素早く周囲を見渡す。確かにその通りだ。何かに追い立てられているかのように急いでいる。
「確か山で採られてるのは青銀なんだよね」
「そう言ってたな。ミスリルってのはまた定番だよな」
「あのね、青銀には退魔の加護が宿ってる。うまく使えば魔物が寄りつけない空間を作れる」
「なるほどな…だが、それでもここを運搬路にするには無理があるぞ……あ」
閃いた。確かにこの地上で大荷物を運ぶのは危険極まりないだろう。
ならば地下はどうだ。岩の質は十分に硬いし水脈の位置を考えれば安全な道が開けるはずだ。そして、岩を掘るための人材を欠くことはない。そもそも鉱山の採掘が全ての原点だ。
どこかに隠し地下通路への入り口があるはずだ。ここが始点であるとは考えにくいため恐らく換気や非常時脱出用の抜け穴であろう。魔物が辿る道を遡れば自ずと行き着く。
「二人とも、足場に気を付けて」
「ありがとう、ああっ」
岩苔にぬるっと足を滑らせてラゼの態勢が崩れる。フウラが慌てて抱える。大分癒えてきたものの足首もまだ本調子ではない。とはいえこんなじめじめした場所で腰を下ろす気にもならず、早急に乾いた地面を欲した。
「ん、あの光はなんだ…」
少し先の岩陰から青白い光が見えた気がする。目を凝らしてもよく見えない。
その時、空に浮かぶ太陽が雲に隠れた。地上に届く光量が減り、その分岩陰からの光が目に見えるようになった。
「あそこは…」
周囲を確認しながら目当ての場所に着く。フウラはラゼとミールの世話をしながら、少し遅れてきた。篤哉の目の前に神秘的な光を放つ球体が浮いている。誇張ではなく、実際に浮いていたのだ。
「なんか、ここにきてファンタジーな現象を初めて見たな…」
ステータスウィンドウとか、ゼッペルの風魔法とか不可思議な現象にはいくつか接したが、ここまで顕著なのは初めてだ。ステータスの時は状況の理解で忙しく驚いてる余裕はなかったし、ゼッペルはその本領を発揮する前に先手を打って勝ったため実感がない。南の地でクラスメイト達が光を堕としたり豹を凍らせたりしているが、彼は知らない。浮いている金属球を前に感傷に浸るだけ、まだ毒されきっていなかった。なお、この時点でクラスメイト達は山を崩し川を二分させ嵐を起こし無数の穴を造り、魔物討伐という名の二次災害で世間から喝采を浴びていた。誰も文句を言う者はいない。言える者もいない。
「うん。これが青銀」
「浮いてるもんなのか」
「浮遊魔法が掛けられてるだけみたい」
「へぇ。浮いてる必要はあるのか」
「無いとおもう。浮いてた方がかっこいいとかそんなのじゃない?」
「微妙に共感してしまった」
魔法は加護と違い効果の維持にエネルギーを必要とする。いわゆる魔力が必要なわけだが、この魔力の正体は解明されていない。魔物由来の力であったが、なぜか人間やその他の種族にも存在し、長耳や妖霊などは非常に高い魔力を有しているといわれる。何にせよいちいち魔力を充填しなければならないのならエコでない。フウラに何気なく言うと
「青銀には退魔の力があるから」
と返された。退魔の力とはすなわち魔物から魔力を吸収する力の事らしい。人間と魔物の魔力には違いがあるようで退魔は魔物のみに効果がある。
「近づくと元気がなくなる謎のスポットか……魔物にしてみりゃ心霊現象だな」
「人間には魔物が心霊だから」
それもそうだな、と笑って穴に入る。中は意外と天井が高く、山積みの荷物が通行する様を想像させた。足元も乾いており、足音が軽快に響く。ただ、空気は水分を多く含んでおり涼しい。等間隔に青銀が埋め込まれていて明るい。
床に腰を落ち着けて、ラゼの足首の様子を見ながら今後の行動を話し合った。
「この後だけどな…北に向かいたいとは思うが」
「……言いたいことはわかります。このまますぐに向かうのは無謀、わかっています」
「ごめん」
ふるふると頭を振ってフウラの手を握る。
「私は、私たち姉弟はお二人の助けがなければ山の中で死んでいたかもしれません。その上ご迷惑かけてばかりで、本当に…」
一旦言葉を切り、今度は篤哉の手を握った。熱い手だ。背負ったときも思ったがラゼの体温は高い。熱い手で篤哉の手を握り涙目で言った。
「迷惑をかける分、手伝えることは何でもお手伝いします!できる限り役に立って、人様の、役に……それで、父に会うんです」
最後は嗚咽に呑まれた。
ラゼは借金で崩れた男の娘だ。周囲からは同情か好奇か、軽蔑か嫌悪かとにかく奇妙な目で見られていた。評判に関わるからと永の暇を出されて働き先を追い出された後は、わずかな同情に縋って生きてきた。最後の職場の料理屋だって仁道家と名高いオーナーの厚意で雇われただけだ。ラゼは自分が役に立つと、人並みの役には立つと認められたかった。自分たちに偏見がないこの二人なら、自分を認めてくれるのではないか。認められた瞬間、自分は父親に言ってやれるのではないか。
「あなたのせいで失ったものをこの手で取り戻したんだ」
と。ラゼは父親恋しさだけで旅に出たわけではない。騙されたとはいえ借金を背負って自分の、そして弟の人生に切傷を与えたことに恨み言の一つでも言ってやろうと思っていた。だが、長く歩き続けるうちにその決意も虚しくなった。
「出来ることがあれば何でも言ってください。そのために寄らなければいけない場所があるなら黙って着いていきます!」
決意が燃え盛って握る手に力がこもる。篤哉は咄嗟に手を解いた。気恥ずかしいのもあったが、それ以上に熱くて火傷しそうだったからだ。事情は分からないが並大抵ではない覚悟を秘めているようだ。何より偽りのない協力の申し出は喜ばしい。
「あっちへ行くぞ。……気持ちはわかったけど、最終的には自分大事で行動しろよ。弟のためにも、な」
「っ!はい…」
「俺だって一番大事なのは自分だから。そんな顔しなくていい」
何でもない顔で先へ進む篤哉。青白い光に照らされた耳がわずかに上気しているのをフウラは確かに見た。




