良心の叫び
クリストは意外に規模の小さい町であった。中心部に岩の城、というより小さな砦程度の建物があり、兵舎と食堂が大きな建物、それ以外は小屋と言える規模のものであり、入り口の桟が総じて低かった。ミールとフウラはともかく篤哉は油断すれば頭に瘤を作ってしまう。ソルベと較べてより武骨な風景であったが、漂う空気がどこか緩んでいる。
「意外に簡単に入れたな」
警備兵は欠伸をかみ殺しきれずにふにゃっと顔を盪けさせているし、井戸の陰で座り込んでいる者もいる。篤哉たちの姿を見ても誰何することはない。都合は良いが野放図というか杜撰というか、厳めしい岩の上で猫が日向ぼっこをしているような長閑な空気である。
「平和の証ならいいんだがな」
「そうだね。ん、あそこ」
フウラが指さす先に四角錐形の小屋があった。見た目はピラミッド、いやどちらかというと灰色のテントだ。扉が無く入り口はやはり低い。篤哉は腰を曲げて入る。ラゼは足を庇いながら失礼します、と礼をもって入った。篤哉との接触記憶が残っており、まだ少し顔が赤い。フウラとミールが両隣で支えられるように位置につく。
「ん?にゃんだおみぇえさん方は」
舌っ足らずな話し方をする五十男が見とがめた。守衛の男から聞いた現場監督:ウーデの特徴に合致している。若い頃に事故で舌先を噛みちぎってこのようなしゃべり方になったという。顔つきも体格も精悍で筋肉は山脈のミニチュアのように逞しい。ところどころ蚯蚓腫れやひっかき傷の痕が見受けられ、激しい世界で長年生きてきたことがわかる。ラゼが訪ねた経緯をかいつまんで話し、父親の名前がないか確認してほしいと要求した。ウーデ疑う様子も見せずにわかった、と言って立ち上がった。存外背は低い。それでも小山のような風格を感じるのは年の功か経験の成すものか。親指で、ついてこいと示す。外に出て砦の中に招かれた。
「通りゅぞ」
「んぅぇ?あ、どぞどぞ」
気持ちよさそうに舟を漕いでいた番が悪びれる様子もなく手を振る。
「平和」
「平和だな」
「父もここで働いていれば問題はないんだけど…」
「ねえちゃん、はらへった」
「俺はあくまでげんびゃ監督だきゃらわくらねえけど、見る限り騙されてはてぃらかされてるのはいねえとおみょうぞ。暗い気持ちで働いてるやつは一目でわきゃらあな。ひゃっはっは」
欠けた舌先を出して豪快に笑う。色々ときな臭い領内であるが、本命の防壁工事に関しては滞りなく捗んでいるようだ。広くはない舎内、目当ての部屋にはすぐについた。
「レイクしゃん。失礼すりゅぜ」
「あああ」
部屋の中で返事とも呻吟ともつかぬ声が聞こえてくる。石の机に突っ伏した覇気のない男が墨を刷いたような目元を見せた。この町の中にもこんな人間がいるのか、と少し安心してしまう。
「何だ…こっちはあの変態…いや、何でもない。何か厄介ごとでも」
「いや、労働奴隷の名簿をみしぇてほしいんでしゅ」
「はぁ?なんで」
レイクの目が後ろの四人に向けられる。うわぁ、と嫌な顔をしてよろよろと立ち上がった。
「もしかしたら、父が働いているかもしれないんです。その、正規奴隷じゃないんです…」
説明しようとするラゼを、わかったわかったと片手で制止する。もう片手は眉間を穿つように揉み込む。頭痛に耐えるように頭を抱えた後、一言漏らした。
「なあ、父親を連れて行ったのはヘラなんだよな」
「はい」
「じゃあ無理だな。あれに逆らっていいことはないぞ…若いんだから、親の事なんぞ忘れて一生懸命働け…」
働いて出世しても上手くいかなきゃ地獄だけどな、と黒い息を吐き出して壁によりかかる。どうも精神的に疲弊しているようだ。
「父に借金があったのは事実ですし、奴隷として働かされているのは仕方がないと思っています。だけど、せめて息災で働けているか、それだけでも知りたいんです!お願いします、一目、一目だけでも」
「そりゃ会えるならなぁ…運が良ければ会えるか。うん、労働奴隷の名簿は二つ隣の部屋の棚にある。勝手に見ればいいよ。もしいたら、ウーデに案内してもらえばいい」
そう言って壁から肩を離す。支えを失った体はふたたびやじろべえのように右に左に触れる。ラゼはウーデに案内されて部屋を後にした。ミールもててて、と着いていく。
「君は……なんかいいな」
レイクが虚ろにフウラを見て呟いた。
「……ろりこん?」
「まあ、そうだ。俺じゃねえけど…」
「ふぅん」
「変態と付き合うのは大変だ、俺は何の仕事をしてるのか分からなくなってきた。……あんたらは行かなくていいのか」
篤哉は黙って、服に仕舞っていた書状を取り出した。権威が必要になった場合に、カルテとバニリスが署名した封状である。中に何が入っているかは不明だが、今のところは表の署名だけあれば充分だ。どうせ中身は白紙であろうと予想している。今回はカルテの署名を見せた。
「……はぁぁ」
思っていた反応と違う。驚きもせず声も発さず畏まらず、ただ諦めと達観が混合した、仏陀の往生のようなため息を吐いただけだった。むしろ隣のフウラがその反応に驚いている。
「貴族領での経済活動に王府は介入できない……ってのは無効ですかね。大々的にやり過ぎたから」
「…素直に話す気があるみたいだな」
「まぁ、どうぞ。見ての通り気苦労に満ちた仕事でくたくたなんですよ…地べたに座って話してもいいですかね」
そうして崩れるように尻を混凝土に似たざらざらの石床に落とす。篤哉もそれに倣うと、服越しにもひんやりしていて気持ちいい。レイクは経済大臣の配下と聞いて、形ばかりは丁寧語を使うようになった。
「お互い素直に話そうか。…まず、俺たちはもともと防壁工事の実態を調べに来た。あくまで、最優先はそれだ」
「工事は順調ですよ。あの舌切爺さんがふにゃふにゃ檄を飛ばすとなぜかやる気が出るらしいんです」
「工事以外は」
「……はぁ。いえ、失礼。工事以外は、まあ何というか、破茶滅茶です」
ため息をついて、領内の悪事を一つ一つ話し出す。ため息が様になる男だな、とフウラは妙に感心した。
篤哉の予想通り、事の始まりは領内北部、オドルカ山脈で新しい鉱脈が発見されたことであった。防壁工事の見学に来ていたホロライズが、北の端を散策していた際に勘付いたのだ。そこで、工事人足をいくらか連れて掘らせてみると高級魔道具を作るのに欠かせない貴金属、【青銀】の鉱石が発見されたのだ。その場で連れてきた人足には金を与えて帰した。その足で、最北の防壁工事拠点であるビーフォへ向かった。
そこで鉱脈の発見を代官のシュフーヴァ・エクストンに報告し、それから代官と共に領主の屋敷まで早馬で駆けた。応対したのは執事長のセブリッツ・サイバンゴ。セブリッツは主人の乱行で頭を痛めていたところだった。領民の風当たりは強く、王都に訴えられでもしたら大きな問題になるやもしれない。民衆の歓心を買うためには景気を上げる必要があった。そこに持ち込まれた新たな産業にセブリッツは飛びついた。
だが、問題もある。鉱石の採掘ともなると莫大な人手と金がかかる。ホロライズとシュフーヴァ、セブリッツは悩んだ。少なくとも防壁工事に手落ちがあってはいけない。悩んだ挙句、とりあえずということでレイクに球が飛んできた。こういう事情があるのだがどれだけ人材をまわせるか、という相談である。
「海から山の通り道を遮断する壁を作ってるんですよ、空いてる人でなんてあるわけがないじゃないですか……そういって突っぱねたんですけどね、それなら確保を手伝えって」
「断れないのか」
「無駄無駄。俺は別に才能があってこの地位についたわけじゃないんです」
レイクの才能と言えば、仕事に対して堪えられる、それに尽きた。それが自分に対して理不尽でも他人を陥れる悪事でも、仕事であれば仕方ないと思える、そこを買われて重職についたのだ。ある意味彼も奴隷気質と言える。
「はぁぁ、昔はのろまな俺も認められるんだなんて無邪気に喜んでたんですけどねぇ。無邪気ってのは、周りの邪気に気付けないちんちくりんの事を言うんですよ」
「別にちんちくりんでもいいと思う」
「嬢ちゃんは純粋でいいな。子供くらいはそうでないと」
「フウラは大人」
いや、反論しようとして一応相手は経済省の遣いだと思い出す。別に誰が子供で大人かなんてどうでもいい。
「それで俺がもたついてるうちにホロライズとヘラ・クスクスが結びついたようで」
仲介役になったのは精錬鍛冶所所長のメルクライ・クールクール。彼は元からホロライズ、ヘラ両名と知り合いで話を聞くやすぐさま動き出したという。
こうして、鉱山を管理することになった代官シュフーヴァ、採掘した鉱石の運搬と精錬されたインゴットの販売を引き受けるホロライズ、必要な奴隷を供給するヘラ、精錬と神出鬼没なヘラとの繋ぎ役であるメルクライの四人体制で悪事は回ることになった。但し、奴隷の受け渡しや数の管理、金の取引などはなぜかレイクがやらされている。
更にこの悪事に暴君ラカス・ワーテルローが関わってくる。家臣たちが、これ以上領内で暴れまわるのをやめてくれと牛を宥めるように縋りつくと、ラカスは南のチャレスフへ乗り込んで掠奪、強姦、放火と悪鬼のごとく暴れまわった。その場は山賊の仕業として収集した。仮にも伯爵の地位にある人間がそのような行為をなすはずがないとチャレスフは判断したのだ。セブリッツはじめ家臣団は心臓に氷を埋め込まれたような気持であった。ラカスの気を鎮める方法はただ一つ、彼の幼女趣味を満たすことである。ラカスは幼女を死ぬほど嬲ってすっきりした後、一月程度は大人しくしていられる特性がある。セブリッツはメルクライに頼んでヘラに金を渡し、定期的に幼女の性奴隷を寄越してほしいと依頼した。幼女はレイクに渡され、適当なのをラカスに与えることになっている。ついさっきもヘラの遣いに金を渡したばかりだ。正確にはヘラの後ろ盾であるあのお方の配下らしいがどうでもいい。
こうして悪事の輪にセブリッツ、そして領主自身までもが組み込まれたのだ。まるでワーテルローそのものが伏魔殿である。その中で防壁工事だけは問題なく進んでいるのが滑稽だ。
「とんでもないな」
「それで、ラゼのお父さんは」
「どうだか。悪く考えれば鉱山の中で泥水に足を腐らせてるか、そこら辺で獣に食いちぎられてるか、北に行ってればいい扱いじゃないでしょうね」
「酷い」
フウラが声を上げる。その怒りの顔をまじまじと見たレイクが、やっぱりいいな、とわずかに弾んだ声を出した。
「そうやって悪事に怒れるのは良いことだよ…俺みたいに全部仕事って割り切れるようになっちゃあな……全部灰色だぜ」
たとえ石壁がなくても、瞳が曇れば世界は灰色で彩りも鮮やかさも無いのだという。
「あんたも大変だな…良心と戦い続けるのは」
「別に良心はないですよ。ただ、空しいだけで」
「そりゃ、仕事中は平気かもな」
レイクの目の下には大きな隈がこびりついている。だが、机の上の書類やケースの量を見るとそこまで大量お仕事に追われている様子でもない。カルテのオーバーワークと較べても極端だが、それ以上にレイクの疲弊には睡眠不足が原因ではないかと思った。
「仕事では納得できても我に返ると途端に苦しくなる…て感じか」
「……少し夢見が悪いだけです」
「なら、お前は人の心を残してるってことだな」
屑鉄みたいな良心が何の役に立つ、そう思うが不思議と言い返せなかった。自分の心の奥底に眠る何かが、見つけてくれ、助けてくれと叫んでいる気がする。昔燃やしたはずの糞みたいな良心か。未だに諦め悪く叫び続けて、レイクの全身を揺らした。
「はぁぁぁ」
ため息と共に、熱い何かを吐き出す。このため息はこれまでとは違って、幸福を呼び込んでくれる気がした。
背後に気配を感じてフウラが振り返ると調べ終わったラゼが首を横に振っていた。父親は防壁工事には従事していないらしい。
「あんたら、北へ行く気か?」
レイクが何かを決意したように聞いた。篤哉たちにできるだけのことをしてやりたいと思っている。どうせ下っ端だ、命を落とすことになるかもしれない。それでも、最後くらいは土に埋まって叫び続ける良心の思うがままに動いてもいいじゃないか。
「あんたらが領内で何をするかは知らない。…俺にできることは幾らでも援けようと思う。なにかあるか?」
口調も戻して敢然と協力を誓った。その言葉を放った瞬間、少しだけ世界に色が戻ったように感じた。色づいた世界が歪んで見えるのは、いったい何故だろう。
篤哉は嬉しそうに話し始めた。
「じゃあ、まずはホロライズの……」




