ため息も様々
「はぁ…」
無意識のため息が漏れた。最近になってため息ばかりだな、と自身の幸福係数を心配する。とは言っても今のため息は懊悩ではなく安堵によるものだからいい。何せ、苦労が大きすぎる。
「全く、領主様にも北の代官殿にもホロライズの強欲にも困ったものだ」
味気ない岩の城で書類整理に当たる彼の名はレイク・アベンジャー。ワーテルロー領内での防壁工事の責任者であり、クリスト監町で監督と執務を行っている。が、今となっては工事どころではない。流れてくる厄介ごとを仕分けるので精いっぱいである。
「全くなぜ俺がこんなことを……」
俺は変態に幼女の世話をしたり隠し鉱山に人手を斡旋するために出世したわけではないぞ。ぶつくさと呟いて、それでも書類をめくる手が止まらないのは生まれ持った社畜精神のためだ。
「これじゃあ桂庵じゃないか…こいつらよりはましだがな」
百人を超える新しい「資材」の納入書をばんと灰石材の机に投げ捨て、行儀悪く横になる。名前と性別と年齢と、その横に特性が記述されていてそれが何列何十列も続く。正真正銘、奴隷の納入書だ。
「さあて、代官殿には五十人はまわさねばならないか。酷使し過ぎて潰さないように言っておかねばな……労働環境、大事。うん。変態領主様にはこの娘でいいか。でもこの前顔が好みじゃないってクレームが来たからなぁ。知るかよ」
文句をぶつくさ垂れながら、仕入れ商品を捌いていく。その上で、工事の監督の仕事もちゃんとこなしているのだから明らかにオーバーワークだ。
晴天、外から工事現場の掛け声が響いてくる。独特の掛け声はエリック社員のものだ。奴隷たちの労働意欲をうまいこと奮わせてくれているようで何よりだ。
「ああ、後はヒルウィレム様に手紙を書いて……」
再び座りなおしたレイクは、ペンを手に取ってもう一度ため息をこぼした。今度のため息は特に意味はない。意味もなくため息が出るようじゃ生涯幸福は望めないな、レイクはほろっと苦い思いを奥歯で噛んで紙に文字を認め始めた。
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姉弟たちを連れて山を登る。山というほど高いものではないが、それでも若い女や少年には厳しい道のりのようで顔が青く足も震えている。特にラゼは足首を痛めたらしくほぼ引きずった状態で頂にたどり着いた。足が動かない状況での下り坂は危険だ。若い女規格外のフウラに背負ってもらう案もあるが、万が一の場合に後れを取る。魔物に出くわさないとも限らない。
「少し休むか」
「いえ、大丈夫です。早く父にあわなきゃ……うっ」
そうは言うものの痛みによろけて傍の岩壁に手をつく。フウラが支えながら下衣の裾をめくると、左足首から足の甲にかけて毒々しい紫色に変色していた。鬱血が酷く、歩ける状態ではない。
「いいから」
「このくらいなんとも…お願いです、行かせて」
「ね、ねえちゃん!おれ、疲れたから休みたい!」
幼心に姉を休ませなければならないと感じたミールがおねだりした。我儘の表情とは遠い、心配そうな顔に罪悪を覚え、素直に座ることにした。素直になった瞬間、激痛が走る。
「ううう…」
「これは重症。歩かないほうがいい」
「つっても歩かないことにはどうしようもないだろ。肩くらいなら貸すが」
「あつやが背負ってあげればいい」
「…まあいいけど」
馬庭念流の修行内容の一つに、子供程度の重量がある岩を背負って山の頂から隣の山の頂まで往復するというものがある。続飯付けに必要な足の粘りの土台作りだ。女一人担いで下山する程度は造作もない。少々緊張はするが、嫌らしい気持ちは排除だ。隣には年下の少女、そして弟。ここで昂奮するのは変態だ。
「父親がワーテルローにいるのは確かなんだよな」
「はい。ヘラ・クスクス本人が言っていたので間違いありません」
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奴隷商人のヘラ・クスクスは陰で【餅屋】と呼ばれる曲者だ。餅を搗くように嘘を憑くためそう言われる。負債奴隷、罪穢奴隷、志願奴隷は認められいるが、逆にそれ以外での手続きで奴隷に落とされた者に対しては救済措置がある。あるが、一度売り飛ばされてからでは手が届かないので闇では非正規奴隷という最低級の人間が取引されているのだ。
姉弟の父親は最初、負債奴隷になったと聞かされた。父親がギャンブル好きだったのは知っているし借金があったのも事実なので、納得するしかなかった。むしろ父親を恨んで罵倒し、二人で泣いた。転機は、ラゼが料理屋の女中として働き始めて二か月ほどした頃だ。皿を運んで廊下から厨房へ移動していた時、僅かに開いた扉の隙間から聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。紛れもない、ヘラの声だ。証文を携えて父を連行しに来た時に聞いた、鴉の鳴き声のように甲高い声。磁性に釣られるように、扉の前で聞き耳を立てていた。
「それで、いかほどまわしていただけますかな」
「お宅は常連、大口、遅払なし、三拍子そろっている。七十都合して差し上げよう」
「これはこれは、よろしいので」
「お宅が北で何をしているか、おおよそは見当がついている。うちの奴隷は丈夫だ、潰さなければ長持ちするはずだが」
「どうも環境を整えるというものは莫大な金がかかるのですよ。これからどれだけ稼げるかもわからない中で無駄な金は使いたくありませんので…。ヘラ殿にしても、それだけ儲かるのですから文句はないでしょう?」
「それはそうだ。文句はないが、売り飛ばした商品とはいえ荒く扱われているのはあまりいい気持ではない」
「それは、商売柄感覚が違うのでしょうかね。私は鉱石を扱う身ですので、砕いてなんぼ燃やしてなんぼ、その上で金を生むのです。ついつい乱暴になりがちで…」
「否やはない。私とて大切なのは金と蔓、あとは自分の命だけだ」
「北に来る機会があれば、ぜひワーテルローまで足を伸ばしてください。色気のない岩だらけの街並みですが、野趣というか獣じみた風流さはありましてな…」
「お宅も私も餌に集る野獣にすぎぬ、か」
「北には仲間も多いですからな、群れをなせば何も怖くない、ふふふふふ」
「待て。扉が開いていないか」
ラゼの動きは素早かった。扉の前から離れて、隣の部屋へ飛び込んだのだ。間一髪でラゼの姿は見られなかった。隣は空き部屋だ。
「誰も聞いていないようですな」
「後から入ってきたのはお宅だ、注意してくれ」
不機嫌そうな鴉の声に、ラゼはとある決意を固めたのであった。
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「だが、それでも父親がワーテルローにいるという確証にはならないんじゃ」
「いえ、間違いありません。父は労働奴隷でしたし、防壁工事に携わる奴隷には特別のお仕着せが配られるのです。父を見送ったとき、それを着ていました」
それならばチャレスフで働いている可能性も、と言おうとしてやめた。それを言って何になる。姉弟は既にここまで来てしまったのだ。足を挫いて、暴漢に襲われて、それでも父親を探し続けているのだ。ここにいなければ他を探すまでの事、そこに突っ込むのは無粋だろう。なにより、どこまでいけども他人事だ。
「それで、あてはあるのか」
「クリストに行ってみます。あの町にはエリックの社員がいて、工事に携わる奴隷の名簿を管理しているはずです。そこに父の名前がないか確認してみます」
「そうか」
あれば働く姿を一目見て帰り、なければ廃鉱まで赴くという。危険だといって止まるわけもない。篤哉は少し情が湧いた。
「俺もオドルカの方へ行くことになると思う。もし工事の人足に父親の姿がなかったら、少し待っててくれ。道連れになってやる。フウラ、それでいいか」
「異議ない」
ラゼは黙っている。他人の手を煩わせるのは心苦しいが、先ほどの事を考えても二人だけで行動するのは危険だ。もし、弟の身に何かあれば…。
「お願い、いたします。しばらくご一緒させてください。荷物持ちでも何でもします」
深々と頭を下げ、いや土下座の姿勢になって謝意を示すラゼ。篤哉は少し近づいて、屈んだ。存外優しい声で呆れたように呟く。
「荷物持ちも何も、自分で歩けねえ有様じゃんか。むしろお前が荷物だろ」
「え」
そう言って、足に負担をかけないように体を持ち上げて、背中に負った。一同言葉もない中、篤哉はそろそろ行くか、と再出発を告げた。
(もしかして、ずっとしゃべってたのってラゼを背負うタイミングを計ってた……?)
篤哉にも女性に対する羞恥心があるのか、と大分失礼なことを考えるフウラであった。
そう遠くない場所に、クリストの無骨な建物が見える。その奥に延々と続く長壁が見えて、その威容に瞼をわずかに開いた篤哉は、そっとため息をついた。




