独り向日葵
ワーテルロー領内で、防壁工事の拠点は二つある。南のチャレスフ領との境界付近にある【クリスト監町】、北の山脈付近にある【ビーフォの村】である。篤哉とフウラはやや荒れ気味の平野を歩いてクリストへ向かっている。クリストは防壁工事のために作られた町で、ワーテルロー領の工事監督官をはじめ司令塔、見張り塔、チャレスフとの交渉の場としても利用される。もっとも、事前交渉がうまくまとめられたためチャレスフとの間で衝突らしいものは起こっていないそうだ。
「みて。あれを抜ければ防壁」
「お」
フウラが言うのは目の前の小高い丘陵だ。オドルカと違い、僅かながら丈の低い草が生えている。草の中で頭三つほど抜けて向日葵が一つ咲いている。太陽を見つめて背を伸ばすその姿は恋する乙女のように純真で盲目的だ。当然、近くを歩く少年少女のことなど見向きもしない。艶やかで孤独な一輪花を、篤哉は左目を逸らせてみていた。
昨日のうちにソルベで領内の地理や領主の噂など必要な情報は粗方調べておいた。真偽不明な情報も多くあったが、領主のラカス・ワーテルローの評判は二分されていた。最近の好景気でお上に対する株は上がっているものの、以前から行われているラカスの乱暴な行為に対して批判的な目で見ているものが多い。特に領内で女性を襲う行為が問題になっていたが、最近は鳴りを潜めている。改心して領内経営に力を入れるようになったとか、家臣団に取り押さえられて今の政務は全て家臣が行っているものだとか様々な噂があった。
「しかし、この領内でも誘拐が頻発しているのは気になるな」
「やっぱりあいつらの仕業かな」
「だろうな。うまく尻尾を掴めるといいが」
「うん」
ソルベでは精錬鍛冶所の調査も行ったが、警戒が厳重で内部に立ち入ることはできなかった。ただし、下働きの男が言っていたように精錬所の作業が忙しいのは見て取れた。魔鉱と思しき資材を運んでくる搬入者もひっきりなしで、彼らへの取り調べも厳重である。一方で鍛冶所はそれほどではなく、魔鉱の供給量が増加したとみるべきだ。
もうひとつ、ホロライズ・パロスの姿も与えられた屋敷には見えなかった。ホロライズは鉱石商人だ。この件には一枚も二枚も噛んでいるとみていいだろう。
篤哉はふと向日葵から目をそらした。正確には逸らしていた左目を右目に合わせて前を向いた。絹を裂くような叫び声が空気を揺らしたからだ。
「ねえちゃん!」
草むらの中で若い女が襲われている。その弟らしい男児が別の男に取り押さえられていた。組み敷いているのは薄い本に出てきそうな凌辱中年の模範例のような男である。たるんだ醜い尻をこちらに向けているため、酷く不快だ。まだ事には及んでいないらしい。
二人は黙って現場に近寄った。男は気配に気づかずに女の首を絞めている。
「よおし、いいぞ。おとなしくし」
「よくねえよ」
がつり、篤哉は大刀を首筋に叩きつける。鞘に収まっていたので血は流れないが、その分衝撃がもろに脊髄に伝わり泡を吹いて転がった。露出した尻が気持ち悪いので蹴り飛ばして反転させる。すると勃起した前の部分が見えてさらに気持ち悪いのでもう一度蹴り飛ばした。
弟の頭を押さえつけていた男は、逆にフウラに押さえつけられて藻掻いている。頬には浅い切り傷がある。抵抗した時のものだ。
「で、あんたらはなんだ、山賊か人攫いか?」
「馬鹿を言うな!わ、我らは国防工事支配組頭ロベルト様配下の者だ!このような無体な仕打ち、容赦できぬ」
「そうか、真昼間、野外で露出して女を襲ってるから上級変質者かと思ったぜ」
「無礼な雑言も大概にせぬと捨て置かぬぞ」
「威張り腐って人を踏みつけるのも大概にしないと」
食い気味にかぶせる篤哉が、頬の切傷を開くように揉み込む。血がつつっと流れ男が痛みに叫ぶ。深い傷ではないし篤哉の道場稽古ではこれくらいの傷が毎日十か所はできないと稽古をさぼったとみなされるが、権威を笠に着る軟派には十分に堪える。
「うう、悪かった、逃がしてくれ」
「……チャレスフにいるはずのお前らがどうしてここにいる」
解放する代わりに情報をえようとする篤哉。男は恐怖から風にあおられる紙束のようにぺらぺらと喋りだした。
「国防工事管理の職務は北部全体に及ぶ。我らは遣い走りで各地を走りまわっておるのよ」
「偉そうなこと言うのに、下っ端」
フウラの揶揄に男が睨むも、口には出さない。
「それで、ワーテルローには何の用事だ」
「……ヒルウィレム様とラカス殿は大きな取引をしていたらしい。その金の受け取りだ」
側に放り捨ててある大きなケースを指さして、はっと青ざめる。篤哉たちが奪っていくと思ったのだ。果てしなく迂闊な奴らだ、と呆れながら篤哉は続ける。
「取引の内容は知らないのか」
「知らぬ、本当だ!我らは金を受け取るだけ、後はただ足を使うだけの仕事だ。相方が足が棒になったからちょっと腰を使いたいと言い出して、いい獲物がいたもんだから……」
それがあの姉弟を襲った経緯らしい。その姉弟は、少し離れた場所で逃げ出すべきか留まって挨拶すべきか迷っていた。
「ラカスに不審な点は」
「ああ、あった。不審というか、ラカス殿が侍らせている女性が、皆年端もいかない幼女でな……」
それ以外は特に気になることもない、と言った。ワーテルロー領で行われている悪事も知らないという。本来はそれを探索するのがヒルウィレム配下の仕事なはずだが、それを言っても始まるまい。気絶した中年が起き上がったのを機に篤哉は二人を解放することにした。脱兎のごとく駆けてゆくのを黙ってみていた篤哉とフウラに、姉弟がおずおずと近寄って礼を言ってきた。
「お助けいただきありがとうございます」
「おにいちゃんたち、助かったよ!」
姉はラゼ、弟はミールと名乗った。山を越えてクリストに用事があるという。二人は深刻な顔をして、騙されて奴隷に落とされた父親を捜していると、そう告げた。篤哉とフウラは顔を見合わせ、四人は誰が言うわけでもなく共に行動することにした。どうせ行先は同じなのだ、道中で詳しく事情を聞こうと考えたのだ。
歩き去る四人を、ついに一度も見ることなく、向日葵は悠々と咲いていた。
一方、全てを見ていた一つの影がゆらりと動いた。
「クキィ。怪しい奴だ。見張るか、殺すか、報告か。クキキ」
その影は、口を封じるかのように向日葵の花を抜いて、千切った。腕からわずかに白布が覗いている。




