壁の松明、制裁の首
三人が逃げ出した理由は単純だった。苦しかったのだ。そこに存在するすべてが苦渋に満ちていたのだ。人間一人通れるかどうかという道。踝まで泥水に浸り足が腐っていく。寝床は岩の上だ。骨が折れても筋繊維が裂けても動かさなければならない。その苦しさに立ち止まればより重い苦役を課されるのだから。
彼らは逃げ出そうとした。周囲は助けることも止めることもできなかった。三人も、助けも留めも求めていなかった。ただ、腐った足で求める出口の先に、苦しさから逃れた世界に戻れると信じて。壁掛け松明の熱と煙と油の臭いが吐き気を催す。吐き出す内容物がないためただ噦いただけだった。冥い坑道に光をもたらすこの松明が、労働者にとって地獄の業火に等しかった。
「おお、脱走者だ!」
遂に外に出ることはかなわなかった。銀色の軽鎧に黄色い兜を不格好に被った男の口が残酷に歪む。その背後には連れの兵士と状況が呑み込めていない顔の二人の男がいた。自分たちと同じく防壁工事の名目で連れてこられた労働奴隷だろう。
「おお、おお。逃げ出したいか、そうか。おお、いいだろう。逃がしてやろうじゃないか」
口癖でおお、おお、と呟きながら傍らの兵士に長刃の槍を奪い取って先頭の男の首を貫く。勢いを止めずに力任せに押し込んで槍は三人の首を団子のように串刺しにした。栄養失調で鶴のように細くなっていた首は脆く、槍を引き抜くとぽろりと転がって泥水を跳ねさせた。
「おお、かわいそうになぁ。せめてもの慈悲だ、体は外に出しておいてやれ。数日すれば魔物に食われてなくなってるさ。おお、首は再利用してやろうかな」
先頭の男の首を乱暴に掴んで作業場へ向かう。残り二つは連れてきた奴隷に持たせた。逆らえるはずもない。煤や煙が充満する作業場に立ち入り脱走の見せしめを行う。
「おお、君たちは真面目に働いているようで何よりだ。奴隷はかくあるべきだな。残念ながら自覚が足りないものが三人いたようだ。おお、止められなかった君たちを責めたりはしない。それだけ自分の仕事に集中していたということだからな。私が言いたいのは、自覚が足りないものはこうなるということだ」
そう言うと、男はガントレットを填めた手で壁の松明を抜き取り放り捨てる。泥水をじゅうっと蒸かして明かりが一つ消えた。松明が固定されていた、岩の壁から飛び出した木杭の先に手に持った生首をぐさりと突き刺す。体重をかけてずぶずぶ埋め込み、鵙の早贄が完成した。弾みで目玉が片方落ちる。水に浮いてどこかへ流れていった。新しい奴隷の手から残りの首も奪って同様に処置した。
「おお、紹介が遅れたな。新しい仲間が二人増えることになった。良くしてやれ。おお、もう二度と松明が消えないことを願うぞ、暗い中での作業は危ないからなぁ」
おお、おお、と満足げに頷きながら奴隷二人を置いて地上への帰路についた。
「お前ら、かええそうになぁ。もう二度と外の空気は吸えねえぞぉ……」
偽りの太陽でもいいからもう一度お天道様を拝みたいと労働者たちは涙を流した。新入り二人はただただ混乱するばかりだった。
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ソルベはエスプローダと大分異なる街景であった。エスプローダは周りに森林が多く木製の建物が多く平屋が目立った。エスプローダ邸も豪華な造りではあったが木組みが基礎で三階建て、一階の高さも低かった。イリュザが三階から飛び降りても無事だったのはそのためでもあるだろう。一方、ソルベは石造りの建物が多かった。黒や黄土色の家が多く壁には凹凸が目立つ。一つ一つの家が洞穴住居のようで野性的な趣がある。だが決して非文明的なわけではなく行き交う人々の笑みからは充実した生活がうかがえる。
「ついたね。とりあえず」
「皆まで言うな」
黒岩を刳り貫いたような豪壮なレストランに入り、ウサギの丸焼き香草ダレを注文してかぶりつく。フウラは口の端に雨並草の赤い欠片をくっつけてにへぇと笑った。幸せの絶頂。
「よくわかったね。お肉食べたいって」
「わからいでか」
「流石あつや。洞察力が鋭い」
「洞察ってより反射だったな。脊髄の思うがままに」
まるまる平らげて席を立とうとするフウラに、せめて口元を拭けよと手拭いを渡す。ついでに店の入り口で会話していた三十代の男連れに話しかけてみた。
「なあ、少しいいか?」
「んぁ?なんだ坊主。相席でもしたいのか?」
「席は十分に空いてる」
「しいいっ。店長に聞かれてみろ、鉄拳が飛んでくるぜ!」
「今後も丈夫な歯で食事を楽しみたいなら店の混雑具合は禁句だ」
慌てて押しとどめてくる男たちに苦笑しながら声を落として街の近況などを聞いた。
「ああ、最近すげえ景気いいよな」
「ああ、領主様の館の男衆も軍隊の駐屯所の人たちも店で金を落としてくれるしな」
目抜きで服屋の店員をやっているという男が答えた。以前に比べて客が落とす金が増えたらしい。上客だけでなく一般客の落とす金額も増えているそうだ。そういう自分も給料が上がって豪勢に遊ぶようになったな、と照れ笑いしていた。
「それなんだがな…」
「どうした、何か知ってるのか」
「おらぁよ、精錬鍛冶所の下働きをしてるんだが…」
精錬とは魔鉱、魔石の類を精製する事、鍛冶とは魔の力を持たない鉱石の精製作業だ。魔法は便利だが、魔物由来の力であるためあまり好まない人間も多い。戦争のように強大な力が必要な場はともかく、日常において魔法は敬遠される。魔力という力の正体が魔物由来という事しかわからないのが大きな理由だ。危ない薬物のような印象を受けるのだ。一方で魔法に寛容で日常生活を豊かにするために積極的に取り入れようという動きもあり、魔道具好きのノーチェラスと職人気質のエリックの対立が生まれるのである。国内でも土地に依り随分と扱いに差があるが、精錬所が首都で運営されているのならワーテルロー領では寛容な姿勢なのだろう。とにかく、その施設で下働きを務めるというその男は、最近になって施設がフル稼働しているという。それに、出来上がるインゴットの中に見慣れない金属が大量にあった。
「なんでえ、それは。高いもんなら一本くすねてよぉ」
「馬鹿言うな!首が三つは飛ぶぜ。所長は厳しい人だからよう。それに金属の種類までは知らねえ」
「なるほどな…」
篤哉が考え始めたところで、その左目が鬼の形相で迫ってくる給仕服姿の筋肉男を捉えた。急いで礼を言ってその場を離れる。
「おいお前ら!くっちゃべってねえでさっさと食え、後が閊えてんだ!」
「てんちょぉお、閊えるも何も売れねえ芝居の桟敷みてぇに、綺麗な有様じゃねえですかぁ」
「ばかぁ!酔っぱらってなんてことを」
「てめえええええらぁぁぁ、俺の店が伽藍堂だって言いてえのか、あああ?」
「いや、やめ、おうぐ」
機転の利く自分の左目に感謝しつつ、店をそっと離れた。味はうまかったが、この店ではもう食事はするまい。一食の味よりも明日明後日飯を食える体であることが重要だ。心優しいフウラは男たちの断末魔にそっと手を合わせていた。
「ごちそうさま」
「そっちかよ」
わけではなく食後の礼儀であった。
領内の経済が庶民も上流も潤っているとなると、領内に流れ込む金が増えたということに相違ない。つまり、外部への輸出が増えたと考えられる。今の話を聞く限り、増えた品とは精錬に関係する物、恐らく魔鉱であろう。魔鉱とは金属の材料となる原料、魔石だと宝石の原石を指すことが多い。
篤哉は道中で見たなだらかな山脈の様子を思い浮かべる。もしかしたら、山脈内に新しい鉱脈でも見つかったのではないか。そして、それこそが山脈内で行われている悪事に関係するのでは、と篤哉は推測づけた。
「今日は街で過ごすか。何もなければ明日は防壁工事の現場周辺に行こう。オドルカの探索はその後だな」
「わかった。……夕飯もお肉がいいけど、あの店はやだ」
「同感だ」
その晩篤哉たちは他の肉を扱う食事処を探したが見つからなかった。どうもあの店主が商売敵を見つけると散々に痛めつけるらしく界隈では商売をしにくいらしい。
「あつや。ぜったいにあの店主が領内の諸悪の根源。捕らえよう」
野菜炒めをじゃきじゃき噛みながら、憤りの言葉が絶えない夕食となったのであった。
なお、翌日傲慢で知られた肉屋の店主が全裸で縛られて道端に転がされていたというが、まあ些細なことである。




