エスプローダの始末
エスプローダ邸の二階に、アファの部屋があった。アファという男は金に汚く権力にがめつい男であるが、女性に対する執着だけはなかった。何かを抱きたいなら庭に生えている木に抱き着いた方が金がかからないし夜が寂しいなら湯たんぽを抱けばいい。性欲が収まらないならば自分の手で鎮めればいい。そんなことに金を流すなんて馬鹿のやることだ。自分はそんな馬鹿から金を巻き上げる人間であり、それこそが政治なのだと信じて疑わない。今日も彼は机に向かって金儲けのための仕事に精を出しており、そこだけ見ると職務熱心な男である。
「失礼いたします」
「何だ」
扉の外からメイドの呼び声がする。アファは部屋に他人が入るのを嫌がるため、声だけで済む場合は扉を開けずに要件を述べるのが通例だ。
「ベンジャミン・フロスト様がお目通りを願い出ております」
「なに、あやつか。通せ」
「かしこまりました」
ベンジャミン・フロスト。この部屋を訪れてもアファが気を悪くしない唯一の人間だ。アファが認めるのは金稼ぎに長けた人間のみであり、それがベンジャミンであった。
やがて、ベンジャミンの声が聞こえる。
「し、失礼します」
「入れ。…どうした、声が震え」
後ろを振り向いたアファが羽ペンを落とす。書類に染みが広がるが、それを気にする余裕もない。ベンジャミン・フロストが、後ろ手に縛られて引きずられているのだ。後ろには少女の姿もある。
「な、なんだ。おいっ」
「誰も来ないぞ。屋敷内の人間には少し眠ってもらった」
「なに」
「ちなみにさっきの声はフウラ。聞きなれない声には注意した方がいい」
くそっ、と悪態をつく。いちいち女の声を覚えていられるか、こっちは仕事で忙しいんだ。ベンジャミンが達観したような目で壁の明かりを見つめている。
「何の用だ。貴様らは何者だ」
「それを知ってどうする」
「ふん。どうもせんわ。いくらが望みだ」
「いくら?」
「王都の犬か、単なる強盗か。どっちでもよいわ。早く言え。どうせ金を奪われるなら時間だけは短く済ませたい」
吝嗇の権化の物言いをして言い放つ。むしろこの爺さんにこそ涜職卿の名前がふさわしいのではないかと思った。
「残念ながら金が目当てじゃないんだ。とりあえず話を聞いてもらおうか」
アファが言い返そうとして、噤んだ。代わりにぐへっと喉を鳴らしてさっさとしろという意思表示をする。ベンジャミンは相変わらず上の空だ。広い額が青白い。
「じゃあ、エスプローダで起こった種々の出来事を振り返るか。出来るだけ早く終わらせてやる」
アファとスルフレの政争が先代の後釜決定でアファの優勢となり、家中の実権を握ったところまでは問題ない。スルフレは相当勢力を落としており、未だに反抗の構えを崩さぬものの倒れるのも時間の問題であった。もはや家中に逆らう者はいない。いや、いないはずだった。いいなりの傀儡になるはずだったイリュザが、思いのほか我の強い女性だったことがアファの誤算であった。アファは徹底した男尊女卑主義者だ。自分が決定したことに対して汚いだの非人道的だのと文句をつけてくる「女」に対して強い憎しみを抱いていた。だがそれでも、金にならない限り決して動かない男だ。イリュザを担いでできた権力はイリュザが消えれば不安定になってしまう。アファは苛立ちを堪えて日々の業務にあたっていた。
アファとしては随分と我慢した。イリュザの「わがまま」わ耳障りで不快だったがそれでも根気よく静止し続けた。そして先日ついに折れて、彼女の要求を一つ飲んでしまった。
「それがアンヤを連れてくることだな」
「ああ」
屈辱だ、と顔を歪めて吐き捨てる。イリュザがつらい日々を送っていたようにアファも卑しい女の相手をしなければいけない日々に疲弊していたようだ。嫡子が成長するまでの我慢、それが叶えば生涯の栄光は約束されると自分に言い聞かせてここまで来た。
「そして、ここからだ。どうしてアンヤが連れてこられたのか。女領主の要求のためにわざわざ誘拐?まさかな」
そう、ベンジャミン・フロストの悪行の正体は少年の誘拐である。田舎の村や集落に目をつけ、頑是ない子供を誘拐し売り飛ばす。エスプローダ領での犯行の際にはアファと組んで行っていたのだ。アファはその分け前を貰っていた。イリュザを担いでからというもの、彼女が清廉ぶるせいで仕事がスムーズに進まなかった。そこへ持ち込まれたこの仕事にアファは喜び、ベンジャミンとの付き合いが始まった。そして、もはや防壁工事で儲けるのは難しいと考えたベンジャミンはいつもの仕事、つまり誘拐で一儲けしようと画策したのだ。
「その仕掛けがあの噴水に仕込んだ爆弾だな」
「そうですよ」
壁を見ていたベンジャミンの虚ろな目が篤哉に向けられる、虚ろだが、どこか安堵したような色もある。
「抱えの職人が作った特製の魔薬です。ただの火薬のみではなく魔法を用いて爆発力を上げて、煙も多く出るようにしました」
その朦朦たる煙の中で、子供たちを攫おうというのだ。更にその犯行をかつての政敵で未だに反撃の機会をうかがうスルフレの仕業とでっち上げればアファの権威もさらに安定したものになる。皆の神様であるベンジャミンが訴えれば疑う者はいないだろう。
「あの爆発だと死人が出たんじゃないか。流石に死体は売れないだろ」
「世の中にはそういう性癖の御仁もいらっしゃいます。……いえ、あの爆弾は音こそ凄いですが殺傷能力はそこまでありませんよ。火柱は上向きに上がるような構造ですし、そもそも私が巻き込まれたら本末転倒ですから」
ははは、と力なく笑う。爆死の危険性があれば呑気に小豆汁も食えまい。
「だいぶん調べているようだな。それで、何が言いたいのだ」
痺れを切らしたようにアファが言う。貧乏ゆすりをしながら、早くしてくれてせかす。
「じゃあ聞こうか。まずベンジャミン、お前は【箆角党】とつながりがあるのか」
もしかしたら篦角党を操っていたのかもしれないと篤哉は想像していた。村の人間が彼らの仕業だと思い込んでいたし、関所でも箆角党が人攫いを働くと聞いた。
「いえ、彼らとは繋がりはありません。いわゆるご同業というものです」
「仲間ではない」
「はい。そもそも彼らがいるから北側ではあまり仕事をしなかったのです。ただ、確保した商品の売り先は同じだったようですよ」
彼は得意先の店の名前をいくつか話した。
「いい加減にしてくれ。貴様たちは我らをどうしたいのだ。金で済むならばさっさと言え。そうでないなら首でも刎ねて持って帰り手柄にすればよかろう!」
とうとう怒り出したアファ。声を荒げる彼に、冷たい声が向けられた。
「アファ…汚い人間とは思っていたけれど人攫いにまで手を染めるなんて……」
「…貴女の差し金でしたか。恩知らずめ」
空いたままの扉から、屋敷の主であるイリュザが入ってきた。椅子に座ったままのアファに近寄り、冷たい目で見下す。
「恩を受けた覚えはありません」
「女の身をここまで引き立ててやったのは誰ですか、ええ?」
「引き立てた?私は、私の女はこの三年ずっと奪われたままでした」
ただ座って、判子を押して、それだけの生活だ。傀儡に性別なんてあるものか。イリュザは三年間女であった瞬間はなかった。
「ふんっ。それならば奪われたままじっとしていればよい。事あるごとに逆らいおって…」
形ばかりの敬語も抜けて敵意を丸出しにする。忌み嫌う女に見下されていることで堪忍袋の緒が切れたのだ。
「……アファ。一つだけ聞きます。あの日、アンヤに何があったのです。誰があの子を殺したのです」
「っ!」
灼けた針のような視線に思わずたじろぐ。女風情の視線に圧されて目を泳がせる。
「あ、あの児はベンジャミンが持って帰った。その後は知らぬ」
「本当ですね。一切手を出してはいませんね」
「あ、う、いや、五月蠅く騒ぐから数発殴りはした」
「……」
廊下の血痕はその際に着いたものだ。だが、アファは暴行の主犯ではない。性欲とは遠い方面に存在する悪党だ。今度は篤哉がベンジャミンに尋問する。
「アンヤは手ひどい暴行を受けていた。誰の仕業だ」
「それは……ノーチェラスです。私が抱える職人の頭です」
ノーチェラス・ボイヘン。職人の頭でもあり時には暴力団の長にもなるその男は、確かな職人としての腕と猟奇的な少年趣味を併せ持つ男であった。容姿を聞けば、前歯が三角で細いという。間違いない。
がん、と激しい音がする。イリュザが懐刀をアファの後ろの机に振り下ろした。先程インクを零した書類の染みを貫いて深々と刺さっている。アファがぎゃあと叫んで椅子から転げ落ちる。その時、不思議な音が聞こえきた。
ひゅーひょろろぉぉぉ、ひゅるぅぉぉぉひゅー
レイが奏でる祭囃子だ。消火が終わって、ささやかながら祭りを再開したらしい。鳥の鳴き声のようなその音色がこの部屋にまで届く。がらん、と音を立ててイリュザの手から懐刀が落ちた。アファが息をつく。
「そろそろ終わりにするか」
後ろをちらりと見ると、フウラが外の見張り番をしている。家中の者が起きだしてくるとも限らないからだ。フウラは昨日の夜も夜通しで噴水に仕掛けられた爆弾を抜き取ってベンジャミン邸に仕掛けるという仕事を行っている。大分眠たいはずだ。
「そもそもだがな、俺はエスプローダを偵察しに来たわけじゃない」
「え!」
驚いたようなイリュザを制止して話す。
「俺は防壁工事の調査に来ただけだから、それにからまないこの件は俺の預かりじゃない。だから」
イリュザを向き言う。
「家中のことは家中で話をつけろ。アファ・シーカーの扱いは全てエスプローダで決めろ。ただ、何か相談があったら王都のカルテ・ディスハーバーへ遣いを出せば応じるはずだ」
名高い経済大臣の名前を出されて驚きの表情さらに深めるイリュザ。篤哉の言葉に深くうなずく。アファは観念したように、一言「女め」と呟いた。
「それからベンジャミン。お前の扱いだがな、場合によっては命を助けてやろうと思う」
「なんですと」
そもそもの話、篤哉が最初にエスプローダ領へ入ったのはベンジャミンの口から北部の状況を聞き出したかったからだ。ワーテルロー、チャレスフ、ヒルウィレム。癒着する商人たち。それらの情報を知っている分だけ話せば酌量してやると告げる。
「それからもう一つ。お前がこの先どういう商売をしようが構わんがな、エスプローダの嫡子が成人するまではきっちり経済的に援助しろ。店がどんな状況だろうがそれだけは欠かすな」
その言葉には、座の一同がぽかんとした。ベンジャミンが愉快そうに笑いだす。くっふっふと、巨大な歯をカチカチ言わせながら笑う。
「わかりました。どうせ一度興した街です、金はどぶに捨てたようなもの、最後まで面倒を見ましょう。いや、しかし愉快だ」
「意外に物分かりがいいな」
快諾の返答に驚く。命を人質に取られているのだから当然かもしれないが、それにしてはおびえた様子もなく笑っている。未だ聞こえるレイの笛音を聞きながら、ベンジャミンはどこか寂しそうに言った。
「まあ、祭ですからね。金を落とすのもたまには悪くありますまい」




