奸臣の謀
フウラが謎の女性の手を引いて宿屋に到着した時、篤哉は既に部屋のベッドに腰かけていた。布団敷いていなければ木のベンチとさしたる変わりはない。やや浅く腰かけて、壁に肩を預けて思案していた。
「入るよ」
「ん…フウラか」
入ってきたフウラへ自由な左目を向け、更にその横に肩で息をする見知らぬ女性に視線を流した。
「報告を、いやまず座って話すか。膝が震えて抜けそうだ」
フウラの速度で走らされた女性は今にも崩れ落ちそうだ。立っていられるのは緊張のお陰であろう。フウラが隣のベッドの縁に腰かけ、少し体をずらして女性を誘う。女性は少し戸惑ったが、素直に従った。
ひとまず女性のことは置いてフウラの報告を聞く。ベンジャミン邸での会話や内部の間取りを報告し、女性と逃げてきたところまでを簡潔にまとめた。篤哉は黙って聞いている。そして、女性の方を見てしばらく黙った。女性の方も、篤哉たちの正体を見抜こうと必死で思案している。
やがて女性の方から口を開いた。
「あなた方は…エスプローダ領を内偵しに来たのですか」
「だとしたら」
「……そうですか。ついにこの時が来てしまったのですね」
「もしかしてあんたは」
絶望すら超えた愁いを見せる表情を浮かべる女性。浅いため息をついて名乗る。
「エスプローダ子爵家当代、イリュザです」
「そうか…」
努めて冷静に返すも、篤哉は内心驚いていた。これだけの騒ぎだ、立役者の中にはエスプローダ家中の人間がいるはずだ。フウラには明日探ってもらう予定だったが領主に話を聞けるのなら随分と手間が省ける。
話を聞き出すために篤哉は街中や村で調べてきたことを全て話した。イリュザがこちらの味方かはわからないが少なくともベンジャミンと敵対しているのは確かだろう。もしかすれば自分たちを誘い出す罠かもしれないが、領主の力があればそこまで手の込んだことをしなくても兵力を動員して捕らえようとするはずだ。
村での少年の死体の事を話すとイリュザの顔が青くなった。小声で、やっぱり…と呟くのを聞き逃さなかった。
「……あの子は死んだの」
「殺された。虐殺と言っていい」
「……ああ、そんな」
必死で唇を噛みしめ、喉を震わせて嗚咽をかみ殺している。アンヤの惨死に衝撃を受けているのは嘘ではなさそうだ。一方イリュザとアンヤの間に接点があるのも確実だ。郊外の村の少年と、子爵家の女領主との間にどんな関係があるのか、篤哉は聞いた。
「子爵家当主といっても私は単なる繋ぎでしかないのです。先代が急死して、嫡子がまだ三つなので遠縁であった私が担がれました」
代わりならばいくらでもいるはずだが、なぜかイリュザに白羽の矢が当たった。その思惑の裏にあったのは家中の政争と男尊女卑の風潮だ。当時家中の実権は財政や王都との交渉を担当する家老のスルフレ・ザークルードと領内の年貢の徴収や隣接する貴族領との折衝に当たるアファ・シーカーの二人で二分されていた。アファが徴収した年貢をスルフレが捌いて庫に納め、外渉権も分割されていたのだ。場合によっては手を取り合って仲良くすることもできただろうがこの二人は水と油、反りが合わずに衝突を繰り返していた。先代が薨去して後釜に据える人物を決める時もこの二人は対立した。スルフレはしばらく家中の合議制で物事は決めるべきだと主張したのに対し、アファは「ここはエスプローダ領だ。エスプローダに連なる者以外が治めるわけにはいかんだろう」と遠縁であり北の豪農の下で暮らしていたイリュザを候補に挙げた。なぜイリュザなのかと言えば、女性であれば正規の領主ではなく繋ぎであることは一目瞭然で、交代の際に面倒なことが起きないからだ。なまじ男を据えればその男が権力の椅子にしがみつくが、女ならば分をわきまえるだろうし周りも引き剥がしやすい。そういった計算だ。
イリュザはいわば傀儡、どちらの主張が通っても結局は自分の利益になるのだが、会議の場では家臣の立場をわきまえているとアファの発言が支持されてイリュザが担がれた。
「私の他にもっと近縁の女性は大勢いたのですけど、その中で成人していて未婚の女は私しかいなくて」
仮初の領主を立てる際に気を付けるべきことは配偶者と子供の有無だ。配偶者や恋人がいればその男が権力を狙ってくるかもしれない。また、子供がいれば継承権を主張して争いの種になる。その懸念がなかったためにイリュザが選ばれたのだ。
「領主の生活は辛いものです。アファやその使いの者の言うことに諾々と従って、印を押すこと以外はただ座っているだけです」
北の農地が懐かしい、そう言って静かに涙をこぼした。温かい潮風、塩に強い野菜や芋が並ぶ畑、純朴で日に焼けた村人たち。イリュザの人生はその風景の中で完結するはずだった。欲に塗れた政治家の謀さえなければ。
イリュザにとって特につらかったのは男性との接触を極端に禁じられたことだ。彼女のもとに領主の神輿がやってきたのが二十二の歳、それから三年近く男性経験がない。イリュザは未婚であったが処女ではない。世話になっていた豪農の家の次男と野良仕事で培われた逞しい腕の中で初体験をした。淫乱気質ではないが男の肌が好きな性である。しかし、仮初の領主に子供でも出来たら面倒なことが起こる。アファは幼い嫡子の教育係も務めており将来的に自分の意思に背くことのない「正規の傀儡」を作り上げんと教育を施している。イリュザの腹が膨らめばその苦労は水の泡だ。
「ひどい。人は置物でも人形でもないのに」
フウラがたまりかねたように呟く。その顔が悲しみに満ちていて、そっとイリュザの手を握った。
イリュザの立場はわかったが、アンヤとのつながりはまだはっきりとはしない。
「それで、それがアンヤとどう関係するんだ」
「私はアファに何度も頼みました。このままの生活ではおかしくなるから少し外に出してほしい、それか話し相手を読んでほしいと」
イリュザは人恋しい人間だ。一日の中で複数親しい人と関わって、会話していたいと思っている。金と権力にしか興味がないアファや、不愛想を絵にかいたような侍女に囲まれて繰り返す生活に耐えられなかった。アファも耳を貸さなかったが、しつこく繰り返し訴えるていると、とうとう一人話し相手を呼んでくれることになった。ただし間違っても間違いが起こらないよう、生殖機能の未発達な少年という制限で。
「それがアンヤか」
「ええ。活発で、連れてこられたときは不安げでしたけどすぐに元気いっぱいに布団の上で飛び跳ねていました」
まるで、故郷のわんぱくな子供たちを見ているようだった。故郷と呼ぶほど離れているわけではないのに随分と遠い場所に着てしまった。そんな郷愁を忘れられる私服のひと時だった。アンヤはイリュザの話をなんの偏見もなく聞いてくれ、イリュザもまたアンヤが母親のシュリが働き過ぎて体調が悪いと聞くと生活の足しにしなさいと高価な貴金属が使われた髪留めを与えた。
「領内で売ると危険ですから、南の王領で売るのよ。道がわからなかったら大人を頼りなさい。いい?」
「うん!おねえちゃんありがと!たのしかったぁ」
やや舌っ足らずで邪な感情が粒ほどもないその言葉にどれほど癒されたことか。その日は間違いなくこの家に連れてこられてから一番幸せな日であった。
だが、翌日に不安を煽る物を廊下で発見した。手洗いから部屋に戻るとき、監視役のメイドが歩いてくるのを見かけた。自分の姿を見かけると必ず様子を訪ねてくるので辟易していたイリュザは、迂回して自室へ行くことにした。その道中で、イリュザの足が何かを踏みつけた。
「これは」
赤い宝石に銀細工、間違いなくアンヤに渡したはずの髪留めだ。宝石は欠け、金属はぐにゃりと曲がっている。その場をよく調べると、床と壁の境目にわずかに血の痕が見えた。イリュザの頭に赤い悪夢のような想像が生まれる。それは入道雲のように嵩を増し、その日はずっとアンヤのことを思案しながら過ごした。
「あの子の身に何かがあったらと思うと……アファは残酷な人間です。不都合があれば子供でも殺すに違いありません」
念のためにアファ・シーカーの風貌を聞いてみた。丸目を通り越してやや縦長の目、尖った鼻、下唇の色が薄く、笑うと前歯が三本も欠けているという。
「前歯が三本無い?……間違いないな」
「ええ。それが、なにか」
「……フウラ、ベンジャミン・フロストの歯の形状はわかるか」
「上の前歯がすごく大きかった。ビーバーみたいに」
その言葉にうーと唸って頭を揉む。不思議そうな二人に説明した。
「アンヤの遺体には性的暴行、いやもはやほぼ拷問なんだが、とにかくその痕跡があった。その中に歯形があったんだが、その痕が尖ってたんだ。あれは前歯が細くて薄い奴の歯型だ」
歯がないアファやビーバーと喩えられた平歯のベンジャミンではない。
「それでどうしてベンジャミンの家に忍び込んだんだ?」
「アファが言っていたのです。子供を呼ぶのはベンジャミンという滞在中の商人の口利きだから、今回限りのことだと」
「そうか」
アファはイリュザに釘を刺したつもりらしいが、情報を与えてしまった。偽物の名前を言えばいいものを油断していた。イリュザはついに三階の窓から芝生へ飛び下り、洗濯場にあったサンダルを履いて外へ飛び出した。いままで恐ろしくて跳べなかったが、意外と平気なものだと知った。
そして通行人からベンジャミンの家を教えてもらい、忍び込んで本人を問い詰めようとしていたところを荒くれの職人に見つかったのだ。
「もうだめかと思いました……でも、フウラさんに助けてもらえてよかったです。それに、王都から探索に来ている方がいると知って安心しました」
「……」
イリュザが居住まいを正して、五つは年下の篤哉に頭を下げて懇願する。
「お願いです。あの子の、アンヤの仇を討ってください!たとえエスプローダが潰れることになったとしても私はあの子の死をそのままにすることができません!」
固い木のベッドの縁を握りしめる。みしみし、と音がした。彼女の心の軋みがそのまま響いたようだ。
篤哉は左目をぐるりと旋回させ、必死な形相のイリュザを見て、痛切な表情のフウラを見て、瞼を閉じた。
目を開けて、その間に考えたことを二人に告げる。篤哉の作は既に固まっていた。
「それは……そんなことが」
「イリュザ。あつやが言うならまちがいない。信じて」
二人に考えを話すと、戸惑いながらも首肯してくれた。
「じゃあ決まりだ。フウラ、下準備は頼んだ。イリュザ、あんたは屋敷には戻れないだろ。今日は泊っていくといいさ」
明日は祭りの日。楽しい祭りになりそうだと、篤哉はベッドから立ち上がった。




