母親の慟哭
フウラの地図は意外とわかりやすい。即席にしては線もまっすぐで建物と建物の位置関係も正確だ。篤哉は迷うことなく村にたどり着き、その異様な雰囲気を感じ取った。漂うのは混乱、困惑。村人の姿は見えないが、投げ捨てられた箒や道端に置かれたままの荷車が異変を教えてくれる。箒や荷車をそのままに、村人はどこへ行ったのか。
篤哉はとりあえずアンヤの母親の家に向かおうとして、監視の視線に気が付いた。剣呑で重い視線だが、殺気は含んでいない。気にせずに進むと尾行する気配があった。地図を頼りに丸印の家へ向かおうとしたが途中で進路を変更した。土の地面に新しい無数の足跡があったため、その足跡を追うことにした。その先に村人を駆り立てる異変があるはずだ。
「ぁぁぁ……ぁぁ」
遠くから、嗚咽のような声が聞こえる。足跡を追うにつれてそれが嗚咽ではなく女性の慟哭であると理解した。
(まさか……)
最悪の事態を想像し、走り出す。フウラも驚くその速度に尾行者が戸惑う。慟哭の元は河原地帯であった。野良着の人々が何かを囲んで辛い顔をしている。皺顔をさらに歪めて涙を流す老爺、拳を握りしめて空を殴り続ける男性、状況もわからぬまま雰囲気に呑まれて泣きじゃくる幼女、それを抱きしめ頭をなでる母親。
それらの中心には、冷たい男児の遺体に縋って叫び続ける女性の姿があった。
「ああああぁぁぁ、アンヤぁぁぁぁぁ」
世にこれほど痛々しい光景があるか。熱を失った子に、もう一度暖かくなってほしい、息をしてほしいと抱き着いて人工呼吸を試す。心臓も肺も止まっているが、それでも皆奇蹟を望む。
(ったく。神がいる世界なんだ、こいつらの望みくらい叶えてやればいいじゃねえか。何のための月だよ)
篤哉は動揺する心を何とか落ち着けながら村人たちを押しのけて遺体に近づいた。
「あ、あんたは誰だ」
「どいてくれ」
「うるせえ!誰だかしらねえけど、そっとしといてくれよ…可哀そうに、ううう」
乱暴に威圧したかと思うとまた泣き出す。このまま誘拐が続けば村は壊れてしまう。
「どいてくれ。俺は王府から遣わされた者だ。領内で起きている誘拐事件の調査に来た」
落ち着いたよく通る声で告げる。篤哉が放つ不思議な威厳に押されて、村人が道を開ける。
近くで見る男児の遺体は吐き気がするほど酷いものだった。
頑是ない子供にどんな行為をしたのか、体中が痣だらけで両目は潰れている。左腕には歯形がくっきりついておりかなり出血したはずだ。今はもう流血していない。遺体には藻が絡まっている。川を流れる間に付着したのだろう。
起らぬ奇蹟に縋って心臓を圧迫する母親。その行為を止めることなく篤哉は凝視する。
「どうしてぇ。ねえ、目を開けて、ねぇ」
何回も、何回も。肋骨が折れても、人工呼吸の際に死臭を感じても、それでも続ける。それでも胸を押す力はだんだん弱くなっていき、最後は動かぬ左胸に顔をうずめてしまった。篤哉は静かに語りかける。
「事情を聞かせてくれるか?」
反応がない。
「息子の仇を討ちたいか?」
僅かに顔が縦に動く。
「手伝えるかもしれない。事情を、教えてくれ」
顔が胸から離れた。暫く川の流れを見つめた後、篤哉の方を向く。そして、顔が再び縦に動いた。
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母親の名はシュリという。
事情聴取はその場で行われた。周囲の村人は数を減らしている。後ろ髪をひかれるような思いだったが自分たちにできることはない。王都の人間が来たのだから任せるのが一番だ。そう考えた。いきなり現れた篤哉の発言を疑わないあたりが人の良さであり虐げられやすい特徴であろう。基本的に疑い深い人間の方が得をするし損をしないのだ。
「アンヤはやんちゃな子でした。虫取りが好きで林の方へ毎日遊びに行っていました。一昨日も朝早くに出て行って、そのまま」
言葉に詰まり、遺体の袖を握りしめる。
アンヤの行方を示すものは何も残っておらず、虫取り網が放り捨ててあったことだけが手がかりだった。
ううむ、と篤哉は唸って考える。
「こんな暴行を加えるなんて…少年趣味の変態か何かか」
いや、もしかしたら。
篤哉の頭に一つの推理が浮かんだ。わざわざ高い金をかけて住民の関心を集めたのは。
篤哉の思考はシュリの呟きで中断させられる。
「少年趣味……そういえばあの方にはその気があるとか、いやでもそんな」
「心当たりがあるのか」
信じられない、いや信じたくないと頭を振りながら、その名を口にした。
「その、噂ですけど……領主のイリュザ様は可愛い男児を好む性癖があるとか…」
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首都への帰り道、様々思い悩むことがあった。
男児の誘拐とベンジャミンの繋がりは。
誘拐の黒幕は女領主なのだろうか。
そして、数々の「善行」の意図する見返りは。
そしてもう一つ、再び尾行してくる者の正体についてもだ。昼間だが、人通りが少ない。
(ここはひとつおびきよせるか)
正直ゆっくり構えている暇はない。また次の男児が攫われかねないし、この領内だけにかまっていられないのだ。なにより、明後日に行われるという祭り。そこで何かが起きるのではないかと篤哉の勘が告げている。正体のつかめない敵を揺さぶるのは危険を伴うが、この際仕方がない。
篤哉は自然な動作で走り出した。
後方に、だ。
方向転換の暇をまるで感じさせずに尾行者に近づく。三人の男だ。
「おい、き、気づいてたのか」
動揺しながら三人が同時に短刀を抜いた。篤哉も刀を抜く。完成した脇差ではなく、大刀だ。
「おい、囲め!いくら手練れでも三方から突っ込めば敵じゃねえ」
賢らに、舐め腐ったことを言う。正面に立った男の合図で同時に突っ込んでくる。
篤哉は三歩歩き、三度刀を振った。むごたらしい遺体を、感じた吐き気と堪えがたい痛みと逸る心臓の熱を鎮めるために。無心に、無駄なく。
納刀すると同時に男たちの悲鳴が汚い合唱を奏でる。短刀が、それを握る手ごと地面に三つ転がっている。男たちは痛みに呻き驚きながらもテグロノキアへ逃げ去っていった。
篤哉は追わない。手首を失った男がうろついていれば目立つ。後で調べれば正体はつかめるはずだ。
(これは…)
篤哉はしゃがんで、転がっている手首を一つ掴んだ。指を開いて刀を除くと、指の谷や掌に胼胝が無数に並んでいる。
(短刀を握ってもこんな形にはならないな……たぶん職人胼胝だ)
ベンジャミンが抱える職人だとすれば……。
十五時にフウラと宿屋で落ち合う予定だ。フウラの報告を早く聞かねばと焦る。
明日の祭りに大仕掛けがあるはずだ。




