エスプローダの魚
王都付近はかなり乾燥している。
理由は簡単で、北部の海から吹く湿った風が山脈に阻まれて南へ到達しないからだ。更に、西からの風も【シーフィルの森】の花粉が強い吸湿性を示すため王都付近に到達しない。結果、があの乾燥だ。今は六月でこれから暑くなっていくので心配はないが冬の寒さは厳しそうだ。
一方で北部の気候はというと、湿度が高いのはもちろんだが意外なほどに暖かい。日本人は一般的に北へ行くと気温は下がると考えがちだ。篤哉もその先入観で大陸北部なら寒いだろうなと考えていたのだが、杞憂であった。大陸の北を流れる海流は暖流である。
「で、まずはどうするか」
北部貴族領の略図を見る。
防壁は北東に、海岸から山脈へかけて南北に作られている。北東にも海岸線に沿うように山脈がある。これはそこまで高い山ではない。防壁の北側に接するのがワーテルロー伯爵領で、南側がチャレスフ伯爵領だ。ワーテルロー伯爵領の西にエスプローダ子爵領が位置していて、北の山脈はエスプローダ領の北にも伸びている。エスプローダ領の南に王領が存在し、王領の南部に関所がある。王都へ抜けるには王領を通行する必要がある。
防壁工事は北半分をワーテルローとエスプローダが、南半分をチャレスフが担当している。チャレスフの負担が大きいが、ヒルウィレムの宿泊をチャレスフ領にすることで宿泊代として大金が下賜される。その他融通も効かせやすいため、不利な条件ではない。
商人たちの行方ははっきりとはわかっていない。ただ、ベンジャミン・フロストがエスプローダ領に滞在していることはわかっていた。
「そうだな……とりあえずアータ・セラに向かうか。それからエスプローダ領に向かう」
「わかった」
アータ・セラまで距離はなかった。そもそも北部の王領自体が狭い。アータ・セラも片田舎とは言わないが小規模の街であった。それでも、生活基盤はそろっていて住人もそこそこ多い。
「雨が上がったから客が押してきた!こっちに人をまわしてくれ!」
「へいへーい!俺はしがない旅芸人、火吹きの烏の嘴黒く、火吹き一筋の人生の、証はこの真っ黒唇さ!防壁工事にかこつけて商売しに来たけど、まずはこの街でひと吹きだぁい」
「誰だ往来のど真ん中に大根おろしをまき散らした奴は!野良猫が寄っていけねえ」
街中はかなり賑わっている。王都の商店街や大通りとは比べ物にならないが、それでもがやがやと活気にあふれている。火を噴く赤い髪の芸人が口上したように防壁工事で人の往来が増えた影響で活気づいている様子だ。ここだけ見れば悲惨な様子など見当たらない。
「あつや、おなかすいた」
「丁度良かった。あそこに行くぞ」
篤哉が指さしたのは魚屋、文字は読めないが明らかに看板が魚の形をしていたのですぐにわかった。異文化に親しむにはこういった工夫が大切なのである。
「お肉がいい」
「うまそうに干し芋くってだろ、魚もうまいさ」
「あれは選択肢がなかった。今は周囲が肉にあふれてる。肉塗れ」
「どっちにせよ魚屋には聞きたいことがある。ここは折れてくれよ先輩」
「せんぱい……うん。フウラは大人だから後輩のわがままに付き合ってあげる」
「ありがたや」
魚屋には矮躯の六十男と、娘と思われる三十路女、そして若い男の三人がいた。
「おお、タイミングが良かった」
「入らないの?」
「ああ。出てくるのを待つ」
言ってる間に若い男が出てきた。氷水をはった籠に蓋をして手押し車に載せる。魚の行商だ。本来は早朝に商売するはずだがこの活気に後押しされて昼にも来るようになった。
篤哉は車を押し始め男に近寄って声をかける。歯切れのいい返事が返ってきた。
「お、なんだよ。すまねえが話は歩きながらにしてくんな。生ものをあつかってるんでね」
「わかってる。魚の卸売みたいだが、エスプローダから来てるのか?」
「あ?ああ。そうだよ。なんだ、兄ちゃんもあの口かい」
「あの口?」
「何だ知らねえのか」
北部で海に隣接しているのはエスプローダ領とワーテルロー領だ。ワーテルロー領は海岸の手前に山脈があるため通行に不便で卸売りが来そうもない。エスプローダ領の西にもいくつか貴族領があるが王領からやや離れる。だからこの街の魚はエスプローダ領から運ばれる可能性が高いと踏んだのだ。領内に入る前に少し情報を仕入れておきたい。
そう思って聞いてみると、愉快そうに笑いながら話してくれた。
「防壁工事にどえらい出資をなさった王都のあきんどがテグロノキアに来てるんだがよ……」
テグロノキアはエスプローダの首都、そこにわざわざ家を建てて滞在している。商人はやはりベンジャミンだ。職人の工具や高級文房具を扱っていて、腕の良い職人を何人も抱えている。販売の方も切れ者ぞろいで高い利益を上げているらしい。
そのベンジャミンが、テグロノキアで大きな興行を始めたのだ。大きな舞台を作って子供たちの遊び場に提供したり、壊れていた噴水を治したりと住民の心を瞬く間に掴んでいった。
「俺はテグロノキアより北に住んでっからよ、馴染みがねえがベンジャミンさんの噂は聞こえてくるぜ」
「さぞかしいい噂だろうな」
「そりゃあな。見返りもなしにあそこまでしてくれる人を悪く言うやつはいねえや」
見返りなし。商人の行動の中で一番信じてはいけないフレーズの一つだ。見返りは必ずある。商売がうまい人間は、相手に見返りを求めていると感じさせないだけだ。問題はその見返りが何なのかだ。聞けばかなりの出費で街の興行に力を貸しているらしい。それに見合う見返りとはなんだろう。
「ベンジャミンさんもいいけどよ、その活動を援助してくださってる方がいるらしいぜ」
「へえっ。誰なんだ」
「いや、名前は知らねえ。……なあ、そろそろ次の店に着くんだが」
そういって籠を親指で指した。話したんだから買ってくれよという意思表示だ。
「そうだな、フウラどれが食べたい?」
「ぶたにきゅむぐむぐ」
「俺が間違ってた。北の魚には詳しくないんだ、適当なやつをくれ」
「毎度ありぃ!」
黒い鱗の魚一尾と、イワシのような細い小魚をひとつかみ貰った。代金を支払うと、うちの魚はここにもってけと知り合いの店を教えてくれた。
「フレイクの紹介だって言えば安くしてくれるはずだぜ!」
「いろいろ助かった、邪魔して悪かったな」
時間を取り戻そうと足早に行ったフレイクを見送りながら、恨めしい唸り声を聞いた。
「むぐむうう」
「あ、悪い。押さえつけたままだった」
「はあっ。苦しかった。あつや酷い」
「じゃあ肉欲を少し抑えとけ。…そんなにむくれるなよ」
「鶏肉」
「豚じゃないのか」
「……早く食べよう」
待ちきれぬと足を速める。仕方ないと首を振りながら篤哉も追いかける。
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「おらよ、お待ちどう。フレイクの野郎片っ端から紹介しやがって。いちいち割引きするこっちの身にもなりやがれ」
愚痴りながら厨房へ戻る店主を見もせずに待ちかねた昼飯を戴く。
「お肉がよかった。でもおいしい」
「そりゃよかった。てっきり肉屋に直行するかと思ったけど」
「ぱくぱく。そうしたいけど魚がかわいそうだから」
「そうか。殊勝なやつだな」
「あつやもいい人だと思う」
「……ありがとな」
珍しく照れて目を泳がせる篤哉。
白身をぱくぱくと吸い込む小さな口を見ながら、夜飯は肉にしてやろうと決めたのであった。




