勇者side 凍雲斌の憧憬
巨大な城門が大きな音を立てて開く。目の前に開ける道とその端にある屋敷塀に、ようやくここが国であると信じることができた。召喚されてから今に至るまで食事と訓練と睡眠以外の時間はほとんどなく、僅かな自由時間も好きに移動することができなかった。窓越しでない太陽を見るのは久しぶりだ。ここ数日の生活は、勇者というより囚人であったと思う。勇者の中に囚獄経験があるものはいないから確かなことはわからないが。なお、鍋島法蔵は過去に六日連続で職務質問を受けた経験があり、あそこで冤罪をかけられていたらきっとこんな生活だっただろうな、と思っている。その時彼が何をしていたのか、知らないほうが身のためだ。教師という存在を信じられなくなってしまう。
とにかく、いきなりこの世界に連れてこられてからまだ一度も城の外を拝めていないのである。
皆の精神を愛らしい笑顔で癒していた凍雲斌の頭にも、実はすべて狂言なのではという考えがあった。新手の宗教か何かが自分たちを誘拐して洗脳してるのでは、と厨二チックな思考を消せなかった。
だがその猜疑もこの風景で全て吹き飛んだ。城門のすぐ外、ノルブ地区では優雅なドレス姿の貴婦人や執事、メイドなどの日本では見かけない職業の人が興味津々な目で注目してくる。凍雲と伊勢崎は勇者一行のリーダー格と見做され、先頭を歩いている。城を出るまで騒ぎすぎて女子や不良三人組にどやされていた鍋島と梱巻達オタクは、慣れない視線に戸惑ってこそこそと目立たない位置へと隠れていた。視線恐怖症の名張加悦や、上がり症の橋場周之助は半夢遊状態でからくり人形のように動いている。
冷静に見れば不格好な行列だが、分厚い勇者補正という名の色眼鏡と先頭を歩く男女の堂々とした姿の影響で見る者が疑念を抱くことはない。
ノルブを抜けて一般市民が集う大通り【勇者の道】に出ると、その熱気は最高潮に達した。周囲では勇者を一目見ようと王都中の人間が押しかけており、人ごみのせいでもはや見ること敵わぬと諦めた者たちは路上で酒盛りを始めている。初対面の相手と、救世主の誕生を祝って乾杯するのだ。
人間褒められ続ければどんな卑屈な人間でも調子に乗るものである。最初は小さくなっていたオタクたちは次第ににやつき始めて女性に手を振ったりしているし(伊勢崎に夢中で気づかれなかった)真っ青な顔をしていた橋場は恥ずかしそうに顔を赤らめている。名張はまだ強張っているが、少しづつ緩んでいる様子だ。
凍雲は危機感を覚えた。それは、命の危機だ。
凍雲はライトノベルには詳しくないが、海外のファンタジー小説はいくつか読んだことがある。それもかなり重厚な物語で、そこに出てくる魔物、異形の類はとてもおどろおどろしく描かれていた。皺だらけの、醜悪な小鬼の挿絵は生理的な恐怖を呼んだ。
(魔物がどんな存在か知らないけど、そんなに生易しい物じゃないよ……大人たちがこんなに恐れてるんだもん)
勇者への期待の大きさは魔王軍への恐怖と同値だ。自分たちの倍の年齢の熟練兵たちが時に苦戦すらせずに骸になり骨になり灰になる。クラスメイト達はその意味を理解していない。
(私が…皆を守るんだ。友達は全力で大切にしないと。それが、私の生き方なんだから)
そう、「彼」のようには生きられない。
凍雲斌と馬庭篤哉は一年生も同じクラスであった。
凍雲の両親はいわゆる博愛主義者で、特に友愛とそのための自己犠牲を何よりも大切にしていた。その両親の薫陶を受け、周り全員と友達になり全てを大切にすることを理想に生きてきたのが凍雲斌である。
幸い容姿にも頭脳にも恵まれた凍雲はクラス内でも中心的な立ち位置になり、もう一人のリーダー格である星野という女子とも親友関係を築いていた。
凍雲の人類友達計劃を阻んだのは篤哉であった。
友達になる方法は簡単だ。笑顔で挨拶して、返答で相手の好感度を読み取ってどれだけの距離で付き合うかを設定するのだ。相手に合わせなければいい関係は築けない。無視を決め込む相手に対しては無理に話しかけずに態度で示す。落とし物を拾ってあげたり、当番を代わってあげたり、親しくしたいという気持ちを無償の親切で示すのだ。
これで知り合う人を片っ端から友達の輪に組み込んできた凍雲だが、篤哉はままならぬものであった。
「馬庭篤哉君だよね。あんまり話しかける機会がなかったけどこれからよろしくね!」
「それはどうも」
これがファーストコンタクトの会話である。クラスのアイドルに話しかけられた男子の返答としては落第まっしぐらであろう。返答と言えるのかも謎だ。
だが、ここまでならいくらでも対処法はある。篤哉は一応目を合わせて答えたし変に意識している節もない。少し残念だが自分に興味がないのだろう。なら、興味を持たせるまでだ。
「篤哉君の趣味は何?」
人が人に興味を持つとき、それは二人の共通点から始まることが多い。共通の話題で一番無難なのは趣味嗜好である。ここで「趣味はある?」と聞いてはいけない。「ない」という返答を許してしまうからだ。
「趣味、ですか……食事と運動ですかね」
なぜかは知らないがこの男子の敬語は温厚な凍雲の心に深い苛立ちを生んだ。凍雲が腹を立てるなんて滅多にないことだ。そして質問の返答は何とも健康的なものであったが話としては広げやすい。変にコアな趣味をひけらかすような面倒な人間ではないようだ。
「へ~。どんな食べ物が好きなの?」
これから話を広げようとした矢先にチャイムが鳴った。とりあえず会話の種は蒔いておいたから放課後にでも仲良くなろう。そう考えて教科書を開いた。
甘かった。
篤哉は、放課後に教室に居残る人種ではなかったのだ。単純に道場へ毎日の稽古をつけに行っているのだが、趣味とする「運動」の内容を聞きそびれた凍雲に知る由もなく、その日のうちに友達成立は成されなかった。
それから数日のうちに幾度も接触を試みたがなぜか空回りに終わる。ある日凍雲がトイレに向かうと、中から複数の女子の会話が聞こえてきた
「でも、あの馬庭ってやつどんな神経してんのよね」
「ほんっと、斌があんなに話しかけてあげてるのにあの反応、何様よ」
「よくいるやつだよ。女の子に冷たい俺かっけーみたいな」
「うわ、まじで何様。斌ももうほっとけばいいのに」
珍しいことではない。凍雲と皆は友達でも、一人一人が良い関係を築いているとは限らない。こんな経験は初めてではない。
この焼けつくような胸の苦しさも、初めてではない。
結局篤哉との関係は築けぬまま、季節は秋になった。秋と言えば、文化祭。世界中のお祭りと名の付く行事は大体が文化的なものだが、基本的に文化祭と言えば学校行事を指すから不思議だ。水谷高校の生徒たちはそのようなことを錐の先程も疑問に思うことなく準備に勤しんでいた。
凍雲は星野と共にクラスの中心に立って盛り上げていた。文化祭実行委員は別にいるのだが、既に忘れられている。当人すら自分の役職を覚えているかどうか。
あと三回目覚めたらお祭り当日という日。
クラスで行う予定であった演劇の衣装が全て紛失した。宮廷ものの劇を予定していたので、長持ちに入れて教室の後ろで保管していたのだがその長持ちごと消え失せたのだ。入っていた衣装はクラスの生徒であるレンタル衣装店の娘が口利きをして格安で借りたものであるため、それが全て紛失したとなればただ事ではない。担任も監督責任を問われるため、血眼になって捜しまわっていた。
そんな時に黒い噂が流れ始めた。
「衣装を盗んだのは凍雲斌である」
流れ始めた時には粒のような小さな濁りでも、やがては澱となって空気を汚していく。築き上げてきた信頼と人徳から表立って攻撃されることはないが、凍雲は氷の椅子に縛り付けられているような寒気と閉塞感に苛まれていた。
文化祭前日、友達も連れずに呆然と放課後の廊下を歩いていた凍雲は教室から聞きなれない声が聞こえてくるのを耳にした。普段から耳にすることはなく、放課後の教室には存在しないはずの声。それでも、記憶の隅に覚えている声。
「まあ、そういうわけです。星野さん、引き返すなら今のうちですよ」
「何であんたにそんなこと言われなきゃいけないのっ!」
会話の相手は、親友の星野だった。篤哉が抑揚少なく発する言葉に星野が噛みつく。その内容は凍雲にとっては眩暈がするほど衝撃的なものであった。
「あんな噂流して、何が目的なんです。大方色恋沙汰だとは思いますけどね」
「うるさいっ。あんたには関係ないことでしょ!大体あんたは斌とも関係ないじゃない。なんで関係ないあんたが口をはさむのよ」
「おせっかいと言われればそれまでですね。でも、星野さん。あんたはかなり危ない立場にいるんですよ」
「何を……」
「凍雲さんの噂を流したのは星野さんだ。このことを誰かが知ったらどう思いますかね?自然とこう考えるはず。「他人に罪をかぶせるなんて、そいつが真犯人に違いない」って」
外で聞いていた凍雲の体がぶるぶると振動している。友達、それも一番の親友と思っていた人間が牙をむいてくるなんて。
一方扉一枚隔てた部屋の中にいる星野も明らかに狼狽えている。
「そんなあたしはやってない!ただ、すごく問題になってたから、斌に仕返しする策に利用しようと思って……」
それから、星野は独り言のようにぶつぶつと動機を語っていた。
長ったらしく同じことを数回話していたが、要約すると懸想していた男子が凍雲の事を好きだと公言しているのを知り、嫉妬の青い炎が燃え始めたのだ。河原の石ころのように掃いて捨てても余るほどありふれた話だ。
篤哉は話を聞いているのかいないのか、退屈そうに左目を上に向けてゆっくり動かしていた。
「……あたしをどうするのよ」
「いや、星野さんがどうするかは自分で決めることでしょうが。俺はただ、深く考えずに行動して後から喚かれても見苦しいんでアドバイスしただけです」
「ほんっとにむかつく……」
親切心も、篤哉の敬語とタッグを組むと星野の神経を逆なでするばかりだ。握りしめた掌につけ爪が食い込んでいる。
「あとはまあ、下手すると流血沙汰にならんとも限らなかったんで」
「どういう事よ」
「驚いたことに凍雲さんはクラスメイトの誰一人を疑っていないらしいんです」
蚊帳の外の篤哉が少し観察しただけで出所の分かる噂を親友の悪意と思いもしない、純粋で博愛に塗れた少女は悩んでいた。
「だけどもし露見したら、凍雲さんがどこへ走るかわからないですからね。どっちにせよ今の空気は面白くない。騒ぐときには阿呆みたいに騒げるのが皆の美点なんだから」
そう言って、両の目を星野へ向けて最後に言った。
「じゃあ、後は勝手にどうぞ。進むも退くも誤魔化すも星野さん次第だ、ははは」
場を和ませようと、笑った。篤哉には何の他意のないその笑い。
だがその笑顔は星野の心に潜むすべての怒りの感情を根こそぎ掬った。
口は悪くても親切で助言に来た相手だ、感謝や謝罪のひとつくらいはしてもいい状況だろう。
だが、篤哉に向けられたのは勢いの付いた彼女の平手だった。
肉を撃つ鈍い音が響き、扉の外の凍雲が耳を塞ぐ。星野は自分の掌を信じられない、といった顔で見た後泣きながら教室を出ていった。凍雲が聞き耳を立てている扉とは反対側から出ていき、陥れた親友の姿に気づくことなく廊下の奥に走って行ってしまった。
篤哉は一人、誰もいない教室で、自分の頬を撫でていた。
頬にわずかに血痕がついている。つけ爪が食い込んで出血していたのだろう。
「あ~、結構力強いな。それだけ怒ってたのか……まあ流血がこれで済んでよかったか」
そして、篤哉もゆっくりと帰り支度を始めた。
凍雲は無意識に扉を開けて教室に入った。篤哉に対して何を言えばいいかわからない。
(こんな状況で友達にかけるべき言葉は……あ、篤哉君はまだ友達じゃない……あれ、でも友達って何だろう)
千々に乱れた思考は紙吹雪のようにまとまらない。篤哉は騒ぎの中心人物の登場にも特に慌てず、軽く会釈をしてさっさと帰ってしまった。
結局、衣装窃盗の犯人は隣のクラスの男子三人だった。高価な衣装を持ち込んでいると知った男子達は売り払って遊ぶ金にしようと目論んだのだ。三人は無期停学、両クラスの担任は厳重に叱られて減俸を言い渡されたが、首はつながった。ことは窃盗であるため、犯人の名前や所在は生徒たちには伏せられた。
しかし、衣装は文化祭に間に合わなかった。結局その場しのぎの代替案で三文芝居を上演し、疎らな拍手と共に幕を下ろした。
凍雲と星野の関係は、表面上変わることはなかった。星野は思うところがあったのか、色恋の恨みは十分に晴らしたと思ったのか、以前にも増して凍雲と仲良くしようとしている。凍雲はそれを拒めない。彼女にとって友愛は何にも代えがたい物、そう教え込まれて育ったのだ。その後も胸の内に気色悪い何かを保ちながら、彼女たちは「親友」であり続けた。
そして、どこでどう捻じ曲げられたのか、篤哉は文化祭を台無しにした原因とされてしまった。この噂の出所は星野ではないらしいが、真実は誰にも分らない。篤哉は、自分のことになると余計に興味を失ったらしく出所を探そうともしなくなった。
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城壁の門が目の前で開いていく。城門よりもさらに大きく、分厚く高かった。特に扉の上にも灰色の防壁が続くため、大きな門がまるで山に穿たれた隧道のように見える。
凍雲斌が篤哉に抱く感情を何と呼ぶべきか。
あの日、凍雲が篤哉に感じた印象は、一言で表現すれば「かっこいい」である。
人間として、異性として、どちらの意味も当然含むがそれ以上に、彼が起こした行動をとてもかっこいいと感じた。
自分が今まで人々にばらまいてきた好意は、本当に友情だったのだろうか。
親友の思いに気づかず、善意だけを盲目に信じ込むのは本当に博愛精神なのだろうか。
自分は変われない。学年が上がりクラスが変わるまで星野とは良好な関係を築いていたし、未だに他人を疑うことも、疑ったうえで信じることもできずにいる。
だから、凍雲斌は馬庭篤哉に憧憬を抱いた。その飄々とした、超然とした、歯にも牙にもかけないそのスタイルに自分にはない何かを感じたのだ。その何かは、とても眩く切ない物であった。
隧道を潜り抜け、再び青空が見える。トンネルを抜けても雪国は姿を見せず、哨戒塔や兵士詰所が並び、それも抜けると案外整備された道を歩くことになる。道の端には普通に民家がある。よく考えれば当たり前で、ここは王都につながる街道なのだ。魔王軍の恐怖がなければ行き交う人々で賑わってしかるべき場所である。
ただし、よく見ると辺りには異様な雰囲気を纏う獣がちらほら見える。クラスメイトと担任は未だに浮かれていて心配が絶えない。
不測の事態を憂慮しているのは凍雲と隣を歩く伊勢崎幾真だけだ。
(篤哉君。君ならこんな時、皆にどう声をかけるのかな。それとも、かけないのかな)
悩める少女は、憧れであり、淡い思いを寄せる相手であり、初めて自分の意思で友達になりたいと思わせてくれた男の顔をそっと思い浮かべた。




