薬研砕きの後日談
「どうぞ、ごゆっくり」
そういって執事は優雅に頭を下げ、退室した。
執事はああいっているが、この部屋の、いやこの屋敷の主はゆっくりどころか一秒でも早く客を帰したくてたまらない。
当然の話である。来客の名は言わずと知れた涜職卿カルテであり、この館の主は司法大臣ディアルの四天王(自称)の筆頭(自称)である産業大臣:テスパル・ドルボスキーであるのだから。
経済大臣が貴族の自治を除く国内すべての経済活動に関与できるのに対し、産業大臣は城下の、それも商工業のみの監督が業務である。規模も予算も格式も、全てにおいて経済大臣の下位互換であった。
ドルボスキーはその屈辱から生まれる瞋恚をカルテに向けた。経済大臣の座を奪うべく、ディアルに取り入った。そのための資金は監督下にある商人を脅したりすかしたりしながら集めたものだ。当然評判は悪いが、恥知らずに金だけはばらまくので表だって文句を言うものもいない。
「それで、ご用件はなんですかな」
それでも、いい。このカルテ・ディスハーバーの政治生命もあとわずかだ。なにせ、一番頼りにしていた商人が……
「いえ、昨日城中でお見かけした時に、お気に入りの煙管をお持ちでないようでしたので」
「はぁ?」
分厚い唇を痴呆のように開け、間抜け極まりない声を上げる。
あのカルテが屋敷を訪れたと思ったら、煙管の確認?
だが、追及されれば面倒だ。体よくはぐらかして帰してしまおう。だって……
「先日、道端に落ちているのを拾いましたもので」
「……は、は」
だって、あの煙管はコドラに強請られて渡してしまったのだから。
コドラという男、盗賊風情のくせして、いや盗賊だからこそ政治家役人の卑劣さをよく知っていた。コドラにゲルディアスの襲撃を依頼した報酬は、王都での仕事を一回見逃すこと。そしてもう一つは、テスパルとのつながりを残しておくことであった。口封じを警戒して、保険となるものを要求してきたのだ。それが、あの宝石付きの煙管である。特注品で製造者もすでに死んでいるから、この世に二つと無い品である。テスパルそのものと言ってもいい。城中でも常に自慢していたから知らないものもほとんどいないはずだ。十分な牽制になった。
カルテが汚れぬよう布に包んだ煙管を置いて、お確かめくださいと言う。
「間違いありませんな」
「は、ははは。確かにこれは私の、いやでも違うような気も」
「どうなのです」
「わ、私のですな。どこで、これを」
「ですから、先日道端で」
そんなはずはない。コドラにとっては命綱だ。何が在ろうと放すはずはない。
狼狽えるテスパルに、カルテはいつもの低く平坦な調子で切り出した。
「じつはこれが落ちていた道のすぐ近くで盗賊が出没していました」
「うう!」
とうぞく。その単語がテスパルの醜い腹を刺し、腹痛を催した。嫌な汗が湧き出る。
「お気をつけなされよ。これがもし盗賊の手に渡っていたら、テスパル殿にも多大な被害が出ていたところです。盗賊とかかわりがあるのではなどと嘯く輩も出ることでしょう」
「ご、ご、ご丁寧に……」
テスパルは煙管を手に取った。掌にもこってりした脂汗が滲んでいて、取り落としてしまう。慌てて拾い上げようとするも指が動かず上手くいかない。愛想笑いを浮かべるも、腹痛と恐怖で引きつった猟奇的な笑顔となった。
震える声で問う。
「その、盗賊とやらはどうなったのですかな。いや、ほんの興味なのですが」
「全員斬られたそうです」
「何と……その、警察にですか」
「何でも、ゼッペルという勇敢な警官が一人で立ち回り、盗賊十人を道連れに殉職したようですな」
「……」
悔し気なテスパルの顔を見て、カルテは少しだけ愉快な気持ちになった。
ゼッペルの死にざまに思うところがあった篤哉が、そういう筋書きにしてくれと頼んできたのだ。正確に言うとフウラが伝えてきたのだが。
報告を受けたカルテは、バニリスと共に現場へ出向き、そこでゼッペルとコドラ、フウラにやられた二人の男の死体を見つけた。バニリスが照らした魔導灯の光を、コドラの胸の近くに落ちていた煙管の宝石が反射していたのだ。
そこからの動きは速かった。即座にテスパルの関与を疑ったカルテはバニリスとフウラに捜査を命じる間に、司法省内のとある高官と秘密裏に面会した。場所はゲルディアス商館の隠し部屋。異臭に顔をしかめていたその男はカルテの話を聞いた後、顔を屍のように青くしながら帰っていった。
男はシャンバー・スルム。テスパルと懇意にしており、今回の件で警察内にかけられた圧力、その力点にいた人物だ。
その後、ゼッペルは手に負えない乱暴者から盗賊十人相手に立ち向かった英雄まで出世した。その陰で、ハースに陰険な扱いをしたりゼッペルに理不尽を強いた上司の男たちは処刑された。罪状は過度な職務怠慢だという。大した調べも受けずにトカゲの尻尾にされてしまったが、ハースにした仕打ちを考えれば因果応報というものだ。シャンバーは今も生きているが、カルテが脅して辞表を書かせた。確か、今日が最後の登城日だったはずだ。
薬研一味の壊滅は市中の噂を席巻したが、既にコドラたちと完全に縁を切っていたつもりのテスパルは愚かにも今の今まで知らなかった。
「盗賊に狙われたのは、ビラ・ネインズ工業です。テスパル殿とは懇意でしたな」
ああ、この男はすべてを知っている。
あの煙管のこと。
コドラとの関係。
そして、冥加金の額を巡ってビラ・ネインズと対立していたことも、全て。あそこを襲うように助言したのはテスパルだ。工場であるから市街地とは距離を置いていることもあり、コドラは了承した。
「さ、左様。持ちつ持たれつというやつです、ははは」
「うらやましい。テスパル殿は強力な支援者を失わず済んでよかったですな」
「まことに……」
カルテの目が据わった。口調も変えず、姿勢もそのまま。ただその眼から、支援者を、いや親友を奪った者への憎悪を凝縮して発している。
震えるしかない。顔も手足も粘液のような汗でぬるぬるだ。小指で、鼻の頭にある疣をしきりに押している。極度の緊張時の癖だ。
「ゲルディアスが死んで、失ったものは大きいです。あの盗賊のことは死ぬまで許せそうにないですな。そう、絶対に許さない」
「ひいっ!」
「失敬。テスパル殿を睨んでも仕方がないですな。どうも精神が乱れていけない」
「お察し……いたしますぅ。その、屋敷でご療養されてはいかがですか……その、後ほどお見舞い品をお送りいたしますので、必ず、必ず」
ふん、と鼻を鳴らす。こんな時まで、カルテの扱いは金品を求める涜職卿であった。
まあ、いい。こんな下種にどう思われようが知ったことではない。貰えるものはいくらでも貰ってやろう。この男が国から奪ったすべてを自分が絞りつくしてやろう。
「それでは、そろそろお暇致します。突然の来訪、容赦なされよ」
醜い脂肪が骨と皮になるまで搾取され続けるであろう、哀れな大臣の震えはカルテの姿が見えなくなった後も止まることはなかった。
どすん、と尻もちをつく。体重で机が揺れる。尻の下に異物があると思ったら、先ほど落とした煙管が無残に湾曲していた。
自身の未来を暗示しているようで、テスパルはひときわ大きく震えた。
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カン、コン、カン、コン。
青天の下、キレのいい槌の音が響く。
他にも、石切りの音や高い笛の音、そして威勢のいい男たちの掛け声が響く。
「台座はもうほぼ完成してるぞ!」
「じゃあ彫刻も済んだのか!」
「下地だけはな!後は名前の本彫りと黒塗りだけだ!」
「小頭、支柱は組み立てました」
「よし、肝心の像もほぼ出来上がりだ!棟梁、聞こえてやすかい!」
小頭と呼ばれた黒肌の大男が、高い場所に立って現場全体を見渡す初老の男に叫んだ。
「ああ!全部見てるんだ、言われなくてもわかってる!」
怒鳴り返した棟梁が、隣に座る男に話しかける。
「どうだ、なかなかいい仕事をするだろう。がはは」
「それをあいつらの前でも言ってやれば「鬼の棟梁」なんてあだ名がつかないんじゃねえか」
「はっ。俺は鬼で結構だ。それよりも、お前は流石に豪勢な奴だな。盗賊から助けてくれたって、ここまで大掛かりな石像を建立しようなんて……ネインズ」
「それを無償で受け持つお前も相当だぜ。流石俺の幼馴染だ、ガストーロ。防壁の工事が忙しい中、無理言ってすまねえな」
二人の男は磊落に笑いながらお互いの肩を掴む。
棟梁と呼ばれたのは国お抱えの工事業者【エリックの木鉄】の社長兼棟梁であるエリック・ガストーロ。
隣にいるのはビラ・ネインズ社長であるグレストン・ネインズ。ゼッペルが命を捨てて盗賊を始末した結果助かったことを知った漢気溢れる社長は、広大な敷地の一角に彼の石像と記念碑を立てることを発案した。社員も作業員も異論があるはずがない。そこで、その大工事の発注を幼馴染のエリックに依頼したところ、これまた剛毅なエリックは銅貨一枚受け取らずに引き受けた。大工たちの手間賃は全て自分の懐から出すというのだから太っ腹だ。
「ほんとに良く働くな。俺らにまで熱気が伝染ってやがらあ。きっと明日から工場の方が数段やかましくなるぜ」
「へへっ。今も十分活きがいいじゃねえか。おい、あの若造なんかどうだ。見た目はひょろっこいけど、なんかこう今の仕事に全てを注いでるって感じが溢れてていい面じゃねえか」
「ああ、あいつか。ちょっと訳ありなんだよ。本当によく働いてくれてる」
二人が向く先には、華奢な体を独楽鼠のように動かしながら大工に汗拭きを配ったり伝言を引き受けたりしている青年の姿があった。
ハース・ホイラ。尊敬する主人、愛する家族、一瞬で幸せを粉々にされた彼は今第二の人生を歩んでいる。
彼のもとにネインズで働かないかという誘いを持って行ったのはバニリスだ。コドラの件を話すついでに紹介して経緯を説明すると二つ返事で雇ってくれた。
ハースは僅かな休憩時間に、九割七分は完成しているゼッペルの像を見上げる。
傷が癒えることは生涯無いだろう。あの日、隠し部屋から出て転んだ時に舐めた仕事仲間の血の味は忘れられない。
そう、絶対に忘れない。忘れずに、それすら乗り越えてみせる。死んでいった家族や、敬愛するゲルディアスに恥じないよう懸命に働く。そういう人間になって見せる。
一人の青年の誓いを応援するように、像の完成を告げる歓声が辺りに木魂した。




