嵐のゼッペル
「ふへへへ……まさかな。こんな小娘に追い詰められるとは」
ナイフを逆手に構えるフウラに対し、典型的な小悪党のセリフを吐くコドラ。だが、その顔には不適な笑いが消えていない。
「むだ。フウラは強い。あつやももうすぐ来る。お前はここで死ぬよ」
「ああ、ちいせえのによくここまでの力をつけたもんだな。物凄い修行を積んだんだろうな……だから、残念だぜ」
むふふっと笑いを絶やさないコドラに訝しい顔をするフウラ。
そこへ、篤哉が追い付いてきた。手には赤い筋が幾重にも走る抜き身を引っ提げたままだ。
「コドラ。まだ手札は切れてないらしいな」
笑いを崩さずに、訥々と聞いてもいないことを語り始める。
「お前らはよぉ、俺がどうして殺した奴の手を砕いて回るのかわかるかい?俺が砕くのは利き手なんだよ。俺は一目見ただけでそいつの利き手がわかるんだ」
両の手の指をワキワキとうごめかして、自己陶酔に浸りながら語る、語る。
「俺が殺すのは商家の人間だ、金を食って金の糞をするいけすかねえ奴らだ。あいつら世の中の旨いところを独占して食ってやがる!腹が立つだろ?だから、利き手を砕いてあの世で飯を食えねえようにしてやったのよ。どうしても食いたかったら犬みてえに這いつくばって皿に顔をうずめるしかねえのさ。いい話だろぉ?」
血走った目で気持ちよさそうに、語り掛ける。
篤哉は何も言わずに、刀を上段に構える。
「ちぇっ。話を聞く気もねえってか。……旦那ぁ!お願いしますぜ!」
闇が揺らいで、最後の切り札が姿を見せた。
「おめえら、つくづく縁があるな」
「ゼッペル……こうなるんじゃないかとは思ってたがな。盗賊に鞍替えか」
ゼッペルが、のっそりと姿を見せた。酒の臭いは薄く、剣の柄に掌を押し当てて徐にコドラの横に移動した。
「旦那の捜査力には驚きやした。まさか、廃屋を引き払った後のわずかな単独行動の時間に捕まるたあ思ってもなかった」
「商館を見張ってる耳のでけえ奴がいるのは気づいてた。昨日あのうさんくせえ爺とこいつが去った後に話しかけたのを見て、後をつけてたんだ」
「流石に嵐の旦那だ」
篤哉もフウラも素直に感心した。二日酔いの頭でも、周囲の監察は欠かさなかったらしい。少なくとも見張りの任務は怠っていたわけではないようで、ゼッペルなりに職務熱心だったのだ。
「そうやって捕まえたこいつを馬鹿な上司に突き付けてやったんだ……糞があぁぁ!」
堪えられない、と地団太を踏む。どういう扱いを受けたのか想像は易い。手柄を認められるどころか、さかしまに笑われて追い出されたのだろう。盗賊の身柄などより司法省の顔色の方が大切なのだ。
「警察から鞍替え?ああ、そうだよ。警察も盗賊も汚さじゃそう変わりねえや!なら、雀の涙の給金でこき使われるより奪ってでも稼げる盗賊になった方がいい生き様だろが」
そう言ってゼッペルも剣を抜く。風魔法と組み合わせた剣術を使うと聞いたが、どのようなものかは想像もできない。
さっき斬った盗賊とは格が違う。これは、死闘になる。篤哉は余計なことを考えず、ただ冷たい剣先をゼッペルに向けた。
コドラが言う。
「おい、おめえ涜職卿の手先なんだってな。おめえだってきれいごと抜かせる身分じゃねえだろが。正義気取ってもちゃんちゃらおかしいぜ」
「そりゃそうだな」
篤哉は肯定した。フウラが咎めるような目つきを向けてくる。
だが、篤哉の中には特段正義を遵る気持ちはない。
それどころか、今になってみればこの男たちを憎む心すらない。
篤哉の頭の中を支配しているのは、ただ一つ。
「血の臭い」
「ああん?」
「あの館に入った瞬間から、ヘドロみたいな血の臭いが焼き付いたように離れないんだ」
「……」
床板から、柱から、壁紙から、天井板から、机から。そこにある全てが叫声をあげていた。苦しい、痛い、恨めしい、憎い、許さない、許さない、ゆるさない。その声が、聞こえてやまない。
昼間の仮眠の際に、その怨念が暴れまわる悪夢を見た。
「正義とか悪とかじゃない。あれだけの怨念を生み出したお前は生かしておけない。………薬研のコドラ、お前の血で贖ってもらうぜ」
その宣告で、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。
コドラの姿が消える。気にしてはいられない。ゼッペルが検圧を放って威嚇しているからだ。
首を狙った鋭い突きが初手だ。掛け声はない。
(迅い!)
躱せた。躱せたが、剣風が首筋を撫で、ひやりとする。これだけでも既に嵐だが、風魔法を使用したわけではない。
ゼッペルは攻める。剣を持ち上げて袈裟斬りに落とす。篤哉は掬い上げるように受け止め、腕を伸ばして競合いに持ち込む。
そこでゼッペルの顔に戸惑いが生じた。
離れない。力で押し込もうとすれば絶妙な感覚で力を緩めて勢いを殺され、引こうとすれば執拗に押し込んでくる。刃と刃が、磁石のようにくっついて離れない。
焦れたゼッペルが、無理やり引き離そうと腕を使って大げさに弾き、後ろに飛ぼうとする。見透かしたように、篤哉も強い力で弾いた。
虚を突かれたゼッペルは姿勢を保とうとするが、尻もちをついてしまう。その頭上に生暖かい液体が降り注ぐ。血だ。
「ううう、ぐうぅ……なぜ…完全に死角だったはずだ……」
闇の中から奇襲を仕掛けたコドラの右肩から先がない。滝のように血を流しながら、篤哉の顔を正面から見る。
「そうか…おめえは眇だったのか、抜かったぜ」
そう言って、どさりと倒れて逝った。殺した人数は合わせて百を超えるといわれる薬研一味の頭領としてはなんともあっけない最期であった。
「ガキと思ったが……」
立ち上がったゼッペルが、険しい顔で聞いてくる。
「今のしつこい競合いは何だ。特殊なスキルか何かか」
「まあ、そうなるか」
篤哉の黒星スキル【馬庭念流】のスキルの一つ【続飯付け】。馬庭念流独特の鍔迫り合いである。「そくいづけ」の言葉自体は関東の剣術諸流派でいくつも見られるが、普通は「即位付け」と書かれることが多い。続飯とは、飯粒を主原料にした接着剤のこと。接着剤で固定したように離れない、名の通りだ。
「お前の腕は分かったぜ。俺も嵐を見せてやる」
子供相手に本気を出す決心をしたゼッペルは、ぶつぶつと何かを唱え始める。剣の周囲に見えない何かがまとわりつく。
ゼッペルの編み出した必殺技【追風二重】。
まず、鉄の本身の周りに風の刃を纏わせる。二重の刃、ということだ。
更に上段に構えた脳天に振り下ろす途中で追い風を起こし、速度を急激に上げる。途中、というのがミソだ。その変化に対応できた相手は今までいなかったが、仮に対応して受け止めても速度のついた風は止まらない。振り下ろす加速と共に固定を解けば、受け止めた刃をすり抜けて、風の刃が脳天を襲う。刃が二重なら策も二重。勝負を、この技に賭けた。
一方の篤哉は、珍妙な構えをとった。
(なんのつもりだ…?)
篤哉の姿勢は、とても武術の構えとは思えない。一言でいえば、へっぴり腰であった。腰が後ろに引け、重心が前に偏っている。不安定で、瞬発力もない素人以下の構えに見えた。
おかしいとは思ったが、やることは変わらない。
ゼッペルの頭から、既に警察への不満とか盗賊稼業への思いとか、余計な思考は消えていた。篤哉も勝負に集中して、闇から見つめるフウラの視線も感じ取らない。
「ふううううううぅぅぅ!」
初めてゼッペルが掛け声を上げる。ボイラーが蒸気を吐くような勢いよく熱い掛け声だ。
二重の刃を掲げて走り、斬り落とす。
途中で加速しようと篤哉の脳天を見定めた瞬間。
信じられないことが起こった。
篤哉の刀が、刀を振り上げて無防備なゼッペルの肩から臍までを割って、すれ違う。
致命傷を負ったゼッペルが渾身の力を振り絞って振り返り、不思議な生き物を見るように見てくる。
「な…にが……」
疑問を口にして、気づいた。
自分の速度に敵うやつがそうそういるはずがない。なにより、へっぴり腰の姿勢からそんな芸当ができるはずがない。
なら、あれはへっぴり腰ではなかったのだ。それどころか、あの構えは構えではなかったのだ。
あの時すでに篤哉は動いていた。前に走るその姿勢の一瞬を切り取った姿勢。それが、あの姿だったのだ。
腰は引けているのでなく、前のめりに動いている。
重心が偏っているのは常に前へ進んでいるからだ。
いくらゼッペルが速く動いても最初から動いていた相手には敵わない。
構えているようで、構え無い。
馬庭念流の業【無構】だ。
「俺の負けだ……剣で死ねる、案外良かった…ぐへぁぁ」
ゼッペル・バアラックは死んだ。人を傷つけ政に絶望しながら、盗賊にまで堕ちることがなくてよかった。篤哉は心底そう思った。
人の気配がした。フウラだ。
「終わったね」
「ああ。……始末はどうするんだ」
「カルテ様がつける」
「そうか。報告は明日か」
「ううん。フウラが今日のうちにする。あつやは休んで。今日の昼、すごかったから。疲れてるんだと思う」
そうだった。昼間、悪夢に魘された時に、必死で何かを掴んでいた。目を覚ますとなぜか同じ毛布に潜り込んでいたフウラを万力のように締め付けていたのだ。
慌てて放したが、自身の汗でびしょびしょになった服を感じて、とても申し訳なくなった。フウラは苦しそうにしていたが、魘されているのは瞭然だったので許して貰えた。
「だいじょうぶ。報告が終わったらフウラも一緒に寝てあげる」
「結構だ。てかふつう逆だろ」
「いらないの?」
「いらない」
「でも、苦しい時に抱きしめる物がないよ」
「いや、フウラは物じゃないだろ。枕でも代用するさ」
「……そう。じゃ、一人で寝る」
なんとなく温かい気持ちになった二人は、夜の道を歩く。篤哉は少し考えて、フウラに一つ頼みごとをした。
「なあ、爺さん…カルテへの報告だがな、こういう風にしてくれないか……」
そう言って口をフウラの小さな耳に寄せて囁く。
「……それでいいの?」
「ああ。少しは報われる人がいたっていいだろ」
「あつやがそれでいいなら」
篤哉の感覚から、血の臭いが消えていた。
欠け始めた月が、恨みを晴らしてくれてありがとうと言うかのように淡く耀いていた。




