薬研を砕け
ビラ・ネインズは広大な敷地内に大工場と一回り小さい中工場、管理棟その他小施設を設ける王都内最大の製紙業者である。
カルテが言っていたが王都の紙の供給は殆どこの工場から出荷されたもので、アジェル国内でもトップクラスのシェアを誇る。なお、山林の恵みを受けるイシュベルジャ伯爵領では三種類の草木と独自の抽出法により大陸で最高級の紙を生産していて、流石にその規模には及ばない。
セルビアの威を借りて引きずり出した情報によれば、管理棟に近い南東の門をこじ開け、一旦身を隠す。巡回の警備員が異変に気付いて近寄ったところを素早く仕留めて、素早く管理棟に乗り込み、建物内の人物は須らく殺して金を抱えたまま王都を出る。それが犯行の予定らしい。
「……」
二十一時五分前。
決めた時刻よりやや早いが、部下九人は既に集まっている。
手ごろな草むらの中に腰を低くして、黒装束の男たちが身を潜めていた。
既に門の番を破壊して、扉が傾いている。それ程待つこともなく異変に気付いた巡回が姿を見せるだろう。
考えなしに押し入るのも悪くないが、前回の商館とは比較するのも馬鹿らしい広大な敷地だ、万が一大勢が騒ぎ出してあちこち駆けずり回られたのでは面倒なことになる。ただ殺して奪って逃げるだけならば強引にしていいのだが、コドラは今回もあの「習慣」をさぼるつもりはなかった。
「お前ら、得物は問題ないな」
「錆一つありませんや」
「砕きの方は」
「皆、持っておりますよ。忘れた馬鹿はいねえだろうな」
コドラの腹心……【菜突き】のアラークが睨みを利かせる。アラークが手にしているのは槍、それも戦場槍ではなく先端が細い、串焼きに用いる鉄串のような武器だった。この串が、容赦なく心臓や肺を貫くのだ。三人を重ねて縛り、一度で貫いたこともある。
「へへっ、そんな間抜けはいませんや。この通り、なあ皆」
配下の一人がそう言って一様に腰に下げていた鉄槌を見せる。小ぶりで、固いものを細かく砕くのに最適なサイズと重さである。あの凶行にはこれが用いられた。
「おお、よしよし。じゃあ、今回も抜かるんじゃねえぞ。つっても国が認めた仕事だ、よほどドジを踏まなきゃ追手の心配もねえ」
「親分、それは確かなんでしょうね。偉い奴らの考えることは卑怯だ。逃げる途中で軍隊に囲まれてバッサリ、なんてこたあ」
「それはねえ。俺らとあれは車輪と軸みてえな関係だ。あっちは俺らに手は出せねえさ。そんなことしたら、ふへへ」
皆まで言わず、ただ安心しておけと言って仕事前の一服を始めた。
紫色の宝石が飾られた、最高級品の煙管。うまそうにしゅぱあっと吸って煙を吐く。一瞬だけ可視化した煙は、すぐさま宵闇に吸い込まれていった。空にはやはり月が輝いている。虧月の候、月は徐々に姿を縮め身を細くしてゆく。
「親分!誰かが出てきやしたぜ」
「よし、お前とお前とお前、出てくる奴を仕留めてこい。討ち漏らすなよ」
「へい」
指定された三人が、空気を揺らして出てきた男に向かう。
一番槍を競って、一人が直刀を横薙ぎにして首筋を狙う。
ザシュッ!
夥しい量の血を噴いて、黒い頭巾をかぶった頭が地に転がった。
「やったか?」
草むらで観察している男たちは、仲間がやられたと気づかなかった。アラークだけが、まずいといった表情で手に力を籠める。
彼らが異変に気付いたのは、二つの絶叫が闇を切り裂いてからだ。巡回の警備員の刀に腹を斬られて斃れている。
「な、なんでえ!」
「おめえは警備員じゃねえな!」
非常用に用意していたランプに火を灯す。血が滴る刀を片手に歩み寄る少年の姿が照らされた。
「薬研のコドラ、その配下一党。……死ねよ」
どこまでも簡潔な、その言葉に殺された者、残された者、何も遺らなかった者の恨みを込めて放つ。その言葉は百戦錬磨の凶賊が震えるほどの重さを孕んでいた。
「くそ、親分逃げてくだせえ。おい、お前とお前、親分の護衛をしろ!他はこいつを仕留めるぞ!」
「へいっ!」
アラークが指示を飛ばし、コドラと二人の男がその場から立ち去る。逃がすわけがない。篤哉の左目が、何も見えない闇の中へ向いた。何も見えないが、かすかに頷く気配がした後、相棒の少女が三人の後を追う。アラークは気づいていない。
篤哉は傲慢に睨んでくるアラークの顔を見て、やっぱりな、と呟いた。
「ムクナシでは親切にありがとな。その頭巾の中には福耳が隠れてんだろ」
「くそっ。やっぱ気づいてたか。お前は生かしちゃおけねえ」
昨日の朝、商館から出てきたところに心配そうに声をかけてきた中年の男。人の好い親父を装っていたが、篤哉は一つ違和感を持っていた。
口ぶりからしてムクナシで商売をしているわけではないようだった。ならば買い物客か、商店街を通り抜けようとしていたのだろう。
しかし、買い物客が袋一つ下げずに帰るのは不自然だし、この男はカルテに声をかけた後すぐに帰っていった。まるで商館が目的地であったかのように。
「商館を見張ってたのはゼッペルだけじゃなく、お前もだったんだな」
「ああ、そうよ。もう喋ることはねえや、死に晒せ!」
叫んだアラークは飛び込まず、斜め右から短刀が突きだされた。
避けようともせずに、下げていた刀を切り上げる。右腿をほぼ両断された男がもつれて転ぶ。
篤哉が動き回る。
及び腰になった左手の男の腹に突きを見舞い、抜きながら反転してアラークに対し構える。背中に血飛沫を浴びる。アラークは既に鉄串を構えて突っ込んできていた。流石に速い。横に飛んで避けると、またもや悲鳴が上がる。鉄串が、黒装束の左胸を貫いている。
「馬鹿野郎。大事な時に逃げようとするやつは、こうなるんでえ!」
修羅場に猛り狂う獣は、熱いと叫んで頭巾を脱ぎ捨てた。地面に転がったランプの明かりが真っ赤に染まった豊かな耳たぶを照らしている。
「うおりゃああああ」
渾身の突き。常人なら目視する前に貫かれているだろう。
篤哉の視線は、既にアラークを向いていなかった。
「せぇえい!」
口を小さく開き、腹の中から凝縮された気勢を放つ。
たたたたっ。
刹那遅れて篤哉も走り寄り、刀を振るう。手ごたえだけ確認して、そのまま止まらずに闇の中へ消えていった。
「うげへえっ」
鉄串を地面に突き刺し、大量の血を吐いて膝をつくアラーク。最期に目に映ったのは、自身の吐いた血だまりに映る自分の顔であった。




