臆病と野蛮
ふうん、ふうん。
フウラが機嫌よく鼻歌を歌いながら歩いている。特に何かの歌のメロディをなぞっているのではなく適当にならしているだけのようだ。
歩くのは速い。やはり、相当に鍛えられた体だ。特に、脹脛から腿にかけての無駄のない綺麗なラインに、篤哉はほっと息を漏らす。
ローブの裾に隠れて見えないが、篤哉の脹脛は異常に発達している。尻や腹筋は常人並、むしろ薄い方であるが脹脛だけは岩山のように盛り上がり鋼のように硬い。馬庭念流は鍔迫り合いでの粘り強さが大きな特色であるため、足がどれだけ大地を捕まえられるかが実力に直結する。鍔迫り合いは、腕や手首よりも足腰の方が重要だったりする。それゆえ篤哉は猛特訓を受け、下半身の更に下部が他よりも数段階発達しているのだ。
「あつや、どうした。フウラの足が気になる?」
「かなり。健脚だなあ、と。歩く速度的な意味でも、健康な足って意味でも」
「当たり前。密偵は、足を使う仕事。あつやもこの速度に難なくついてこれるのはすごい。見どころがあるってほめてあげる」
「感謝、雨霰」
「晴れてるよ」
「そうだな、気持ちいい。日本ならもうすぐ梅雨なんだが、この国はどうなんだ」
梅雨はないが、雨季はあるとのことだ。但し王都の雨季は短く三日程度雨が続いただけですぐに夏が来る。
「そういや空気が乾いてるな。乾燥気候なのか」
「場所による。泉がわいてる場所とかは涼しくて湿ってる」
王都内(つまりは城壁内)にはいくつも泉がわいており、癒しの効果があるものや栄養豊富で飢餓の助けになるもの、一定の病気に効くものや逆に毒性があるものまであちこちでぽこぽこしているらしい。ひとつの泉の水を扱う権利は商人が独占する形態で、莫大な利益を生む。
「地下水に恵まれてるんかね」
「わかんない。逆に雨は少ない。王都には川も流れてないから、橋がない」
「そうなのか」
正確には城の空堀にかかる橋やいわゆる歩道橋のようなものはあるのだが、渡るときに潺が聞こえるものは無いらしい。
ふと、温かい太陽の光が途切れた。雲に隠れたのではない。頭上に生い茂る緑葉が光の直進を阻害し散乱させているのだ。
「ここが、カロイの林。地味で面白くないところ」
「随分な表現だな。嫌いな土地なのか」
「別に。このあたりのお店は高いのにお肉が少ないから」
「そりゃ、金持ちが風流を愉しむための店だからな」
木漏れ日の道の脇に、間隔をあけて洒落た料理屋や瀟洒な邸宅が建つ。
贅を凝らした金満臭漂うものから、あえて錆びを残し年季と貫禄を感じさせる門、持ち主の性格や店の繁盛ぶりがなんとなく窺えるのである。
「ここがゲルディアスの別荘。今は誰の持ち物でもない」
「ハースはこの中にいるのか」
「たぶん。他に行くところないだろうし。まだ売りに出されてるわけでもないから、住むのに問題もない」
そう言って、黒樫の門を開ける。蝶番の金属が、きいんと物悲し気な声を上げた。
家に上がり込むまでもなく、目当ての青年は庭の芝生で死んだように仰向けになっていた。
フウラが近寄ると、泣きはらして真っ赤になった眼が見てきた。
「だ、れですか」
「フウラ」
「え、と、どちら様で、警察の、方ですか」
「違う。フウラはカルテ様の密偵」
「え。あの、カルテ様の配下の方ですか!」
死んでいた眼に少しだけ生気が蘇る。ゲルディアスの人間に限っては、カルテに悪印象がないようだ。
「その、話を聞いていただけますか……警察の方々にいくら訴えても、聞いてもらえないんです」
証人が話したがっているのに、警察が拒否する。おかしな絵面だ。
「聞く。話して」
ハースの父は既に鬼籍に入っている。母と祖母、祖父の四人暮らしであった。
父親もゲルディアスで長年働いていて、ハースが仕事仲間となることに反対する者はいなかった。
ハースは働いた。勤勉な父親と真面目な母の性格を受け継ぎ、ゲルディアスの人徳に感化されたこともあり懸命に働いた。一人っ子だというのに我が儘も言わず根性がある奴だと、周囲の評価も良い物であった。
掃除番という一見地味で雑用の極みのような役目を任された時も不満ひとつなかった。
その日も、己の役目を最大限果たすべく二階の塵芥を片づけていたのだ。
そこに、下卑た哄笑と老人の絶叫が聞こえてきたのだ。続いて、女の悲鳴。
一階からだった。店じまいの後、商品の検査や売り上げの確認をしていたはずだ。
周りにいた数人の男が、様子を見てくると言って一階に降りて行った。ハースは、恐怖が先に立ち動けなかった。
動いたのは、先ほど降りて行った男の声が聞こえてきた瞬間だった。喉が裂けるのではないかというほどの劈音。
咄嗟に、主人が大切な密談の際に使う隠し部屋を開けて飛び込んだ。掃除番のハースはこの部屋も教えられていた。それ程に信頼されていたのだ。
部屋の中で震えていると、外の廊下で大声で怒鳴る複数の声と、仕事仲間の哀願と絶望がハースの耳を攻撃した。
「うへ……どうだ…な、これを……」
「おい、金庫は……オラァ!」
「コドラの親分……見つけ…」
「名前を呼ぶなよ……もし」
「いいさ……せ、皆殺……」
限界だった。部屋の隅で小さくなっていても、途切れ途切れの声が聞こえてくる。
ハースは棚に置いてあったワインのコルクを素手で抜き取り、耳に詰めて完全に音を遮断してから、気を失った。
「そして、目が覚めたら汗びっしょりで……耳栓を抜いても音が聞こえないので扉を開けたんです。もしかしたら、嫌な夢を見ただけなんじゃないかって……開けた瞬間に、足を取られて転んだんです。床が濡れてて……み、皆の、血でした」
ぶるぶると痙攣したように震えて、それでもなんとか話すハース。
篤哉は声をかけず、目線だけで意思を伝える。
(頼む、最後まで話してくれ。その後は泣こうが叫ぼうが構わない。慰めにも付き合ってやる。そして、仇も討つ。だから、全て話してくれ)
篤哉の意図をくみ取ったのか、それともこのままでは泣くに泣けないのか、震える体に鞭打って再び話し始める。
「それで、また気絶してしまって……今度目が覚めたら、簡易ベッドの上でした。すぐに警察の人が来て、その場で取り調べが始まりした」
取り調べは、名前と家族構成を訊かれて、後はあったことを適当に話せと言われたのみである。記憶を辿り話していると、しまいには話が長いと言われてほぼ強制的に終わらせられた。
そのまま追い払われるように警察署の象徴である赤門を潜り、ついでのように家族三人が殺害されたことを知らされた。
「……ひどい。ひどい」
「……ちぇっ」
鳶色の目に怒りを湛えて繰り返すフウラと、全ての毒を舌打ちに込めて吐き出す篤哉。
なにもかもが腹立たしいが、まずは盗賊を叩き斬る。
「僕は、臆病なんです。家族ともどもあれだけお世話になった皆さんを助けることもできず……ずっと座り込んでるだけで、その家族すら誰一人助けられなかった……自分が死なないことしか考えられなかった……う、うがあああああぁぁぁぁ」
後悔、自責、無念が堰を切って口から目から心から溢れだした。そのまま芝生に顔を押し付け、慟哭する。もう目が腫れるほど哭いたはずなのに、止まらない。涙が枯れれば血が流れだすだろう。
流石の篤哉も、このまま放っておいて去る気はなかった。
無能な自分を呪って草を掴むその手を、篤哉とフウラの手が暫く包んでいた。




