篤哉の初仕事
間違いなく、人生最高の目覚めだ。
毛布の滑らかな感触が体を包み、隙間風にも虫にも悩まされることがないとなれば、熟睡してしまうのも無理はないだろう。
特に枕。気にしたことなどなかったが、寝つきが格段に違う。頭を支える台としか認めていなかったが、なかなかどうして人類の叡智の詰まった布袋であった。
篤哉にとってこの枕は、美女の膝よりなお蠱惑的な存在だ。意識は完全に覚醒しているが、頭がふれた瞬間強制的に眠りに落ちてしまうであろう。
「今は何時だ……」
誘惑を振り切り、布団を除ける。
裸の両足で立ち、深く伸びをしながら壁掛け時計を見ると、短針が真下よりやや右を指していた。長針は左上、大体五時五十分を表している。相変わらず文字は読めない。
(そういえば、言葉は通じるんだよな。なんかの加護か?都合がいいから構わんけど)
外は白み始めている。窓から暁闇に玄関前の庭や門が見下ろせる。窓を開け、外の空気を取り込む。
間もなく、オルゴールのような軽やかな金属音が六節聞こえた。壁掛け時計からだ。六時の合図らしい。
窓を閉め、服を着替える。
クローゼットには種々の洋服やアクセサリーが納まっていた。動きやすさを考え、前で合わせる黒いローブと赤茶色の広裾ズボン。
着替えたら部屋を出て、どこへ行くべきか悩む。
とりあえず一階へ降りようと階段へ歩くと、セルビアと鉢合わせした。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶を済ませて、カルテはもう起きているか尋ねたら下階で待っているとのことだ。食堂の向かいにある大きな部屋で、奥に控える赤煉瓦の暖炉から【暖炉の部屋】と呼ばれている。決まった用途があるわけではないが屋敷の中でも広く落ち着いた部屋なので食事を終えた人が寛ぐことが多いらしい。昨日案内されたときに聞いた。
階段を降り、部屋へ向かう。扉は開いていたので、ノックの代わりに指を鳴らして入る。
「よく寝たな」
朝一番、皮肉が飛んできた。相変わらず、にこりともせず仏頂面の雇い主だ。
「お陰様で。元々睡眠環境が良くなかったもんで、驚くほど深く眠れたよ。変な魔法でもかかってないよな」
「ない。洗濯が大変だ」
「魔法って洗濯に影響するのか」
「知らぬ。だが、余計なものがついていればそれだけ洗う負担は増すだろう」
「それもそうか」
異世界で迎える初めての朝、なんとも気の抜けた会話だ。
入り口で立ち止まっていた篤哉に、扉を閉めて中に入れと手で示す。
篤哉はカルテの向かいに座り、肘を膝につけてカルテの言葉を待つ。
「さて、お主に最初にやってもらうことだが……」
言いさして、少し考える。顎鬚に手を伸ばしかけ、やめた。
「城下でおきたある事件を探索してもらうのだが、さて……」
どう説明するか、迷っている。髭を扱おうとしていた手で膝をぴしゃっと叩き、ぞんざいに言い放った。
「説明はまどろっこしい。朝餉を食べて外に出るぞ」
無駄口嫌いの頑固爺は、そう言ってさっさと食堂へ行ってしまった。
「何だよ、話す気はなかったのか……いや、扉を閉めさせたからには大事な話をしようとしたんだろうけど」
仕方がないので、篤哉も席を立つ。
朝食の席には、レーズンブレッドと芋のポタージュが用意されていた。
黙々と食事を進める。
ブレッドの最後のひとかけらを口に放り込み、噛み潰す。ぶじゅっと潰れたレーズンが甘潤な液を飛ばし、滓が喉の奥へ消えていく。
素朴なポタージュで口内環境を落ち着かせて、篤哉は一つ頼みごとをした。
「昨日言った日本刀なんだけど、用意できるか?」
「日本刀かは分からぬが、反りの強い長剣が武器蔵にあった。昨日のうちに手入れを命じたが、仕上がっているか?」
背後に控えるセルビアに問うと、彼女は壁に立てかけてあった朴に黒漆の太刀拵、埋忠風の瀟洒な鍔に朱い下げ緒の刀を篤哉に差し出した。
「こちらにございます」
「ありがと……抜いていいか」
「構わぬ」
右手で柄を、左手で鞘を持ちゆっくりと本身を抜いた。切っ先を天井に向け、鋼の厚さや重さを丹念に調べている。
一つ一つの動作に礼を言われることに慣れないのか、セルビアは照れたように人差し指を曲げ伸ばししながら見つめていた。
「鍔が大きいな、こりゃ有難い。刃が厚くてかなり重いはずだけど何ともないな。加護の力か」
性格には加護ではなく勇者が共通でもつ身体強化のステータスなのだが、篤哉は知らない。そもそも自身が勇者であることすら疑問だ。勇者の力も加護も持つのに不適合とはなんぞや。
「食べ終わったな。すぐに出かけるぞ」
「了解。……意外と納まりがいいな」
ローブの下の腰にベルトのようにしごきを巻いておいたのだが、そこに刀を潜らせたのだ。武器の暗携を予想した造りなのだろう、背には縦にスリットがあり打裂羽織のように刀の鐺を浮かせることができる。胡乱な目で見られたくはないので、普段は服の下に隠しておくべきだろう。
丁度起きてきたキリカに見送られながら門を出た。起きたばかりの様子なので篤哉が特別寝坊したわけではなかった。カルテが社畜なだけだ。大臣なので公畜というべきか。
二人とも軽装だ。篤哉は刀を隠している以外に持ち物はないし、カルテも腰に木の札と小刀をぶら下げているだけだ。
門を出てしばらく王府高官の邸宅やそれらの生活を賄う御用達の店が並んでいた。人影は疎らだ。
「もう七時は回ってるよな。城に歩いてく奴が見当たらないけど出勤は大丈夫なのか」
「登城刻限は九時半だ」
「ゆとり世代も驚きだ」
高校ならば二時限目が始まっている時間に、のろのろと出府するらしい。登城刻限を二時間早めるだけで皆しゃっきりするのではと思った。
周囲の建物に商店が目立つようになってきた。流石に商人はもう働き始めていて、走り回る奉公人や店先で大声を上げる職人など活気が溢れている。
カルテが道々話した内容だが、ディスハーバー邸がある地域は【ノルブ地区】といい高官の居住地区である。
今いるのはノルブの西に位置し王都でも屈指の繁栄を誇る商店街【ムクナシ通り】である。初代召喚勇者の苗字が名前の由来だとか。
物価は高いが、それも店によりけりで上は貴族から下は中流階級の民まで世話になるという。
やがて、一軒の商家の前で足を止めた。腰につないでいた木の札の黒い紐を解いて、袖の下に隠し込む。
札もきになるが、篤哉は商家に異変を感じていた。
なぜか、この周囲にだけは人が寄り付かない。
明かりは燈っておらず、まるでこの家だけが異質に切り離されているかのようだ。
カルテはノックもせずに扉を押し開ける。途端に怒声が飛んできた。
「おい!誰だァ!この家は立ち入り禁止だと表札が立ってんだろが!」
濁声で喚きながら、濃緑色の制服を着た男が凄んできた。
血走った目と額を押さえる手が、男の短気さと二日酔いの苦しさを物語っている。
「……お主は、警備の者か」
「なんだと偉そうに。ああそうだよ、ここは警察か司法関係者しか入れねえぞ。わかったら帰れ。ぺっ」
壁を蹴って、足元に痰を吐いた。
吐いた痰を踵で踏みつぶしながら警官はもう一度、さっさと出ていけと言い捨てた。
カルテは何も言わずに、先ほど隠した木の札を取り出して男に突き付けた。
「ああ?……おい、な、なんだと」
狼狽してひったくろうと手を伸ばし、慌てて手を引っ込めた。かと思うと居住まいを正して低頭する。
どこかの縮緬問屋の持つ印籠よろしく、威張り腐った役人は顔を青くして声を震わせる。
「し、失礼ですが御姓名をお聞かせ」
「カルテ・ディスハーバー」
「はあっ、これは失礼をば!うぷっ」
慌てて膝をついて平謝りする男。凍てつくような冷たい目で見下ろしながら、カルテは告げる。
「外に出ていろ。中を調べたい。許可を出すまで入ってはならぬ、また何者も入れるな」
「ははあ。しかし、その少年は」
「私兵だ。無駄口を叩かず去ね」
軽く頭を下げて蹌踉と家から出ていった。保身のために頭を下げるが、去り際にみせた目は屈辱に歪んでいた。典型的な小役人の図だ。
「不浄役人が。……篤哉、どうかしたか」
問答に耳も貸さずに、左目を忙しく動かしている篤哉。
カルテが声をかけると、篤哉は棚や机が並ぶ部屋を徘徊しながらぼそりと呟く。
「酷い臭いだな」
「……何が臭う」
「家中が。……どこもかしこも血の臭いがこびりついてる。尋常じゃないぞ、何があったんだ……」
顔を歪めて歩き回り、柱や壁を観察したり触ったりした。
目立たないように掃除されているが、床にも壁にも血溜りの染みが残っていて異臭を放っている。
人間一人の血液ではとても足りない。想像を絶する流血の惨事があったのは明らかだ。
「ここはゲルディアス商会。王都でも指折りの分限者であったが………六日前に盗賊に襲われて家中の者は皆殺しになった」
「篤哉。お主の初仕事は凶賊の始末だ」




