朧月の夜
深更。
窓から朧月が伺える。
幻とも思える儚い姿は、夫を亡くして心を霞める女神の表れなのかもしれない。
カルテは、既に寝間着姿に着替えている。
風呂に入るのも久しぶりなら、やわらかい布団で寝るのも久しい。五日間、革張りのソファに首を曲げて夜を明かしたせいで右肩のあたりがずいぶん痛い。左手で指圧しながら顔を斜め上に向けると、その月が見えたのだ。
肩も少しほぐれたところで、寝室に向かう。
廊下の向こうからセルビアが歩いてきた。
「セルビア。いくつ持っている」
「両膝に短剣、腰に鉄糸を巻いてございます」
「薙刀は」
「控え室に置いてございます。……携帯すべきでしょうか」
「いや、よい。あまりに大仰だ。お主も疲れるであろう」
「いいえ、慣れました。……お気遣いありがとうございます」
うむ、と頷いたカルテは、ふと晩餐の時のセルビアと篤哉を思い出した。
「篤哉をどう思う」
「その、すごく良い方だと思いました」
良い人。ざっくりした月並みな表現だが、世辞の類でないことは明らかだ。カルテとしても、篤哉は良い人間だと思う。
「料理の腕を褒められたからか」
「それも嬉しかったのですが、わたくしが良いと思ったのは篤哉様の目です」
「目……」
眇は一見して奇妙な印象を与えるし、下三白眼は陰湿な気配がする。話せば聡明な少年だが、笑えない冗談も言うし発言は不謹慎で遠慮がない。カルテは篤哉を見出したが、彼を嫌う人間を一概に見る目がないとも思わない。
「人……特に男性の善性は、視線で判断できると、思うのです。食事中も、その後屋敷の中を案内されている時も、篤哉様の右目はお嬢様のお顔を、左目は壁や天井を向いていました」
「それがどうした」
「その、失礼ながらお嬢様のお体は、男性の視線を浴びやすく……」
なるほど、とカルテも納得した。
キリカは、女性として非常にメリハリのある体形の持ち主だ。父親の贔屓目ではなく、それどころか相当に厳しい審美眼で覗いてもキリカは魅力的だ。
邸内に招いた客は、多かれ少なかれ胸や腰に不躾な視線を送ってくる。こればかりは性であるから度を越さねば文句はつけないが、女性からすれば不快極まりないであろう。
ゴージェスタの体形からその堕落ぶりを推察した篤哉のことだ、キリカのことも観察はしたはず。自制心が強いのか淡白なのか、どちらにせよ人嫌いのセルビアに好印象を持たれたのは良かった。
「それで、とても紳士的な印象を、受けました。それに……」
最後まで言わずに、はにかんだ。
そういえば、この女中頭も二十五になる。先代の女中頭である母親が死に、この歳で既に邸内の奥向きを差配しているのだ。
二十五といってもむずがゆそうに口角を上げる様子は純情な少女のそれだ。
好意をすぐに思慕に結び付けるのは低俗だが、それとは別に嫁入りも考えてやらねばなるまい。
それもこれも、国を綺麗にしてからだ。
その後セルビアは消灯の確認に行き、カルテは自分の寝室で寛いでいた。
娘の幸せも、女中頭の嫁入りも、自身の隠居生活も、全ては国家安寧の上に成り立つものだ。
いや、国民の未来は国にかかっているし、国はそれを支えなければならない。
人の未来を食らって吐き捨てるような者は、全力で排除せねばならない。
(篤哉、頼むぞ。……ゲルディアス、お主の仇は近いうちに討つ!)
カルテの情熱に感化されたかのように、夜空の月から霞が消えた。




