最初の晩餐
「馬庭篤哉です。厄介になります」
最初の挨拶くらいは、丁寧にしておく。どうせ、すぐに崩れるのだろうが。
可憐、と表現するには少々肝が据わっている。歳は二十二、三くらいだろうか。少なくとも篤哉よりは年上であろう。
髪色はアッシュブラック。カルテは真っ黒だが、光沢から染めているのは間違いないので地毛は娘と同じだろう。
父親ほどではないが目つきは鋭く、攻撃的ではないが威厳を含んでいる。嫌な印象はない。
服装は、茶を基本とした細めのドレス、スカートのゆとりが少なめで、スーツのような印象を受ける。トルアンドレアーみたいだ、とファッションに疎い篤哉は勝手に感じた。
僅かに幼さも残るが、全体的の大人の女性を感じる。この世界で、どの年齢から大人と見做されるのかわからないが、平和な日本よりは早く成熟しなければならないだろう。
「父様は敵の多いお人です。どうか、よろしくお願いします」
そう言って、一礼。やはり、綺麗な声だ。
(メイドも娘さんも頗る美形だな。これで飯がうまければ何も言うことはないな)
どう生き残るか考えていた数時間前と比べて大分強欲になってきたものだ。食に関してはこの国の味覚と篤哉の味覚がどれだけ妥協できるかが要だろう。
「夕餉は」
「まだいただいておりません」
「では、食堂に来なさい」
「はい。すぐに着替えてまいります」
開けた時より格段にやさしく扉が閉まる。
そっけない会話の中に、親子の信頼が詰まっていて、篤哉は少しいい気分になった。
「篤哉。食堂に案内しよう」
「そういや、かなり腹が減ったな。……念のために聞くけど、この国ではサラダにマンドラゴラが入ったりしないよな?」
「マンドラゴラ?なんだそれは」
「なんでもない」
存在そのものがないらしい。
食堂の長机には、既に匙やナプキンなどの用意がされてあり、二人は席に座った。
二分ほどしてキリカが姿を見せる。先ほどのタイトなドレスから、薄緑色の少し華のあるものに変わっていた。
着替える必要性を感じないが、初対面相手には一応それなりの格好を、ということだろうか。
(まあ、どうでもいい)
席に着いた瞬間今まで感じなかった空腹が胃の腑を猛烈に襲ってきた。
見計らったかのように、セルビアが食事を運んでくる。
上座に座るカルテ、キリカ、篤哉の順で食事が並べられる。
というか、広い食事の場に三人しかいないのはどうしたことだろう。廊下で他に使用人もちらほら見かけたのだが。
「皆はもう食事を済ませたようだな」
「はい。既に食事を終えて各々業務に取り掛かっております」
カルテが、篤哉の疑問を解消するようにセルビアに問うた。今の質問で、カルテは自邸で食事をするのが珍しいこともわかった。
(そういえば、執務室の棚に保存食みたいなのが置いてあったな……)
文字が読めないので何とも言えないが、見た感じビスケットみたいな板が袋詰めにされていたのと、飴か何かが瓶に入っていたのが見えていた。執務に追われながらあれで腹を満たしているならば、相当慎ましい生活に入るだろう。
(なーにが涜職だ。腹袋が弾けそうなナントカ四天王が何を偉そうに)
鬱になった思考が、甘美な鼻腔への刺激により中断された。セルビアが、料理の丸蓋を開けたのだ。
皿は三つ。
大皿には、厚く切られた肉のローストに甘酸っぱい果実臭が漂うソースがかかっている。添えられているのは豆、見た目はグリーンピースだが一粒が大きい。
深皿には煮物、野菜の煮しめに見える。鼻腔を刺激したのは、この匂いだ。
小皿に、透き通った短冊状の何かが乗っている。
一般に想像する貴族の晩餐ほど豪華とは言えないが、今の篤哉には禁断の果実と同等に食欲を刺激するご馳走だ。
カルテとキリカが掌を交差させて目をつむる。篤哉も倣う。この国の食事前の習慣だ。
目を開けた篤哉は、手始めに煮物に手を付ける。
具材は人参や牛蒡のような馴染みの深い物(これも持ち込みだろうか)や、日本では見かけないような黄色く四角い株などだ。おそらく山菜由来であろうえぐみを残す出汁が大人の味を引き出している。
続いて肉。何の肉か、部位はどこか、おっかなびっくり口にした。風味は鴨肉に近いが、油は牛肉のようにこってりと濃い。爽やかなベリー香のするソースが、しつこさを完全に消し去っている。すきっ腹に堪らない旨さでありながら胃にやさしい。ソースが肉全体でなく半分にかかっているのも好印象だ。肉だけの味も楽しめる。
青さ弾ける豆も食べ終え、小皿の短冊を戴く。紛れもなく、大根の粕汁漬けだ。濁らさずにここまで透明感があるのはなぜだろう。貴族の晩餐にしては不自然な気もするが、うまいので問題ない。マンドラゴラのサラダと比べれば宇宙の彼方と此方の差がある。
食べ終えて、食後の果実酒を戴く。篤哉の生活は素朴な方だが、唯一の悪癖が飲酒であった。神奈川に越す前から、既に飲酒経験がある。歴史的に博徒が栄え農民すらも剣術を習う上州の土地柄、飲酒やギャンブルなどには寛容、積極的ですらあった。貧乏人の篤哉が金をかけるのは、本か酒であった。
食べ終え、ご馳走様……とはいわずに再び掌を交差。かなり急いで食べたはずだが、カルテもキリカも食べ終えている。ここにも無駄を嫌う性格の表れが。
純日本人の篤哉には、食後に何も言わないというのも気になるので、食器の片づけに来たセルビアに一言礼を言うついでに、付け加えた。
「おお、ありがとう。うまかったと、料理人にも言っといてくれ」
「……ありがとうございます。……その、伝えておきます」
言葉少なに去っていく。
(あれは、無駄を嫌うというよりも話すのが苦手なタイプか)
「ふふっ。セルビアも嬉しいことでしょうね」
「……腕は申し分ないが、時折渋過ぎだ食材が低俗だと文句を言う輩がいるからな。包丁の形状すら答えられんような慮外者だ」
そういった客は、二度と招かない。たとえ、献金に来た大商人であろうが盟約の交渉に来た高官であろうが構いはしない。その献金はそっくりいただいているので、涜職卿などというあだ名がつくのだが。
「でも、良い人のようで安心しました」
「ほう。あやつの心根がわかるか」
「使用人に感謝を述べて、食事に敬意を払える人間ならばそれだけで十分ではないですか」
「うむ」
「セルビアが、会って初日の方に口を開くなんて滅多にないですよ」
「そうなのか?」
「ええ。父様も、もう少しお帰りになればわかる……申し訳ありません、つい」
「いい、わかっている。ワシも死ぬまで戦うつもりはない。不毛な政争は終わらせて、余生を過ごしたい。そのために篤哉を雇った」
今までになく切実な声色で呟いたが、篤哉は二人の聞いていなかった。何事か真剣に考えこんでいるようだ。
「もういい時間だ。もう少し家の中を案内しなければ」
「いえ、父様はお休みください。篤哉様は私が案内します」
「しかし」
「ゆっくり、湯舟につかってきてください。その……」
「臭うか」
「はい、少々」
父親を傷つける言葉番付け横綱級の言葉に、流石のカルテも引き下がった。娘に臭いと言われれば、鬼も釜茹で地獄で入浴する。泣く子と地頭には勝てぬが、泣く子は母に勝てず地頭は娘に勝てぬのだ。
「では、私が案内いたします」
「ん?あ、そうか。頼むわ」
その後、キリカの後を追いながら、屋敷の間取りを一通り覚えた。
篤哉の紹介は明日になるが、すれ違う人には簡単な自己紹介をしておく。キリカがサポートするのでかなりスムーズに、篤哉の存在が邸内に知れ渡った。
一方、浴室には溜まった垢を必死でこそぎ落とす大臣、いや父親の姿があったという。




