1-1 雪路での奇襲
橙雀達は馬車に揺られていた。
食糧品が積まれた馬車の荷台には、橙雀の他にフレアイクスとシレスター。それから旅の者が二人といった所だ。
橙雀とフレアイクス以外はまだ早朝だからか全員眠っているようだ。
(シレスター……ちゃんと生きてたんだな。)
フレアイクスから「殺した」と告発された時は度肝を抜かれたが。本当に冗談だったようで安心していた。
ああ見えて彼は冗談好きな性格なのだろうか。
彼らがこれから向かうのは、法治国家の『フリタール』。裁判の結果が絶対的な力を持つ国であるらしい。
北へ向かうにつれて、景色が雪で覆われ、段々と淡みを含み始めていた。
「フリタールの平均気温は二十度を下回る事が殆どです。寒さの対策をしておきましょう。」
そう言いながら、フレアイクスは分厚いコートを羽織る。
寒さ対策がうんぬんと言っていたが、橙雀の分は無いらしい。
(気遣いの心があるのか無いのか……。)
橙雀が寒さに強い方だったのが幸いだ。
「───。」
「とりあえず、フリタールに着いたら、まずはアルベルト財団に行きましょう。」
フレアイクスが予定の確認を行う。
「アルベルト財団って何だ?」
「ここら一帯の経済を支配している財団ですよ。その財団に、記憶に関する専門医がいますので、まずは彼に会ってみましょう。」
財団なのに医者が滞在している事に違和感を覚えつつも、橙雀は頷く。
財団とは別の組織も混合しているのだろうか。
「──そうだ、俺はこの世界の事を殆ど知らないんだ。行く途中は暇だろ?教えてくれよ。」
橙雀はフレアイクスに教えを乞う。
一般的な常識は知っているという自覚はあったが、それは自己的な視点から見たもの。
客観的に見てみれば、まだ知らない常識や、別の発見があるかもしれない。
「世界の事──と言われましても……何から言えば良いか──あぁ、属性の事は分かりますか?」
「知らないな。」
いきなり知らない単語が出てきて、橙雀はほんの少しの驚きを感じた。
自分は思ってるより世界の常識を知っている訳ではないようだったからだ。
「──属性とは、炎、水、雷、氷、風、草、光の七大属性からなるものです。一応、この属性は全ての人に潜在的に備わっており、出力する能力があれば扱う事もできますよ。」
「へぇ。俺は何の属性なんだろうな。」
「そうですね……属性を確実に測定する方法は現時点では無いからどうしようも無いですが──何かイメージしてみてはどうでしょう?」
そう言われて、橙雀は手を強く握りしめる。
──ただ、何も出やしない。
どうやら、橙雀には属性を出力する能力は無いようだった。
その様子を見て、フレアイクスは少し気まずそうにしていた。
(待てよ──じゃああのモノクロの力は何なんだ……?)
橙雀が昨夜習得した謎の力。
先程説明を受けた七大属性のどれにも当てはまらなさそうだ。
あれは属性とはまた違うものなのだろうか。
「──なぁ、その七大属性以外にも属性ってあるのか?」
一応だが、聞いてみる。
『七大属性』と呼んでいるあたり、他にも幾つか存在してても不思議では無いだろう。
『三大欲求』は食欲、性欲、睡眠欲だが、それ以外にも欲求は存在する。それと同じ感じだ。
──フレアイクスは少し思考し、数十秒経った後に口を開く。
「──一応、かつて禁忌として抹消された、『闇属性』という属性がありました。」
不思議と彼の声色が低くなっていた。
禁忌とされる程なのであらば、それほど人類にとって危険な存在なのだろうか。
──だが、橙雀の扱うあの力が『闇属性』だとは感じられなかった。
あれを表すのなら、やはり『虚無』が一番似合う。
「因みにそれは何で禁忌なんだ?」
「そうですね……闇属性には、他には無い特殊な特性が──まぁにかく人体に悪影響なんですよ。」
「まぁ……よく分からんが碌なものじゃないんだな。」
「えぇ、刻律者も命を狙われたもので……当時は刻律者が反乱を起こして大変だっ──」
フレアイクスがそこまで言いかけた時、ゴロン、と馬車が前方へ大きく揺れた。
何事かと、橙雀は荷台から身を乗り出す。
「──!」
前方を見てみれば、無数の四足歩行で、漆黒の化物が立ちはだかっていた。
熊のような姿から、恐ろしい程に鋭い爪がこちらに顔を見せている。
今までに見た事が無い、無機質で恐ろしい姿に橙雀は身を縮ませる。
「──虚無ですか!?どうしてこんな時に……。」
「『虚無』……?」
虚無。その言葉が妙に引っかかる。
橙雀があの力を『虚無』と呼称していた所為もあると思うが、それとあの化物には、何処か似た雰囲気を感じる。
「貴方は──戦えなさそうですね。では、私が対応します!貴方は安全な場所で待機してください!」
フレアイクスがいつになく必死な声色を橙雀へ釘付ける。
「───。」
フレアイクスは臨戦態勢に入った。
だが、武器は持っていない。
「おい!どうやって戦うっていうんだ!?」
橙雀は武器を持たぬフレアイクスに向けて叫ぶ。
素手であのような化物と戦うなど、死にに行くも同然だ。
「──大丈夫ですよ。私には草属性の力が扱えるんですよ。」
フレアイクスは橙雀を安心させるように答える。
「それなら大丈夫……なのか?」
フレアイクスが説明していた、七大属性のうちの一つだ。
彼もその属性の力が扱えるのだろう。
「──ッ!みんな!起きるんだ!」
橙雀は眠っている者達の肩を揺らす。
──だが、起きない。まるで催眠術で無理矢理眠らされてるかのように、死んだかのように眠っている。
どれだけ声をかけても、身体を揺さぶっても、誰一人として目覚める事は無かった。
脈はある。ただ眠っているだけなのだ……。
「────」
──フレアイクスはモノクロの化物に向けて、腕を伸ばす。
すれば、彼の腕からは茨がぐんぐんと伸び、それはやがて十メートル程の長さにまで成長した。
茨は鞭のようにしなり、化物の肉体を殴打する。
茨の棘が時折食い込み、肉片を抉り取る。
ほんの僅かにだが、命を削っているのは確かだ。
「──ッ!消えなさい…!」
フレアイクスの茨の殴打が加速する。
秒間に十数発程だろうか。先と比べてやや乱雑になっては居るが、確実に命中数は増加している。
「───。」
数十秒程、茨による攻めが続いた。
その間、化物はただじっと待ち続けていた──反撃のタイミングを。
化物は少しづつ、フレアイクスの方へ歩み始める。
フレアイクスは近づかせまいと、茨の壁を築いたが、それもなす術無く突破されてしまう。
両者間の距離はじわじわと、確実に狭まっている。
それは遠くから眺めているだけの橙雀にも見えていた。
「───ぁ」
──気づけば、フレアイクスは吹き飛ばされ、馬車の荷台へ叩きつけられていた。
壁の木材は衝撃で砕け、その破片が更にフレアイクスを襲う。
荷台の片隅で横たわる打撃傷だらけのフレアイクス。ほぼ確実にあばらは砕けているだろう。
彼を前に橙雀は何も出来なかった。
恐怖と罪悪感──その圧倒的なまでの支配の前では、とても動く気にはなれなかった。
「……クソッ。」
だが、そんな恐怖に抗い、橙雀は立ち上がった。
勝算なんて無い。だが、少しでも時間を稼げれば──その思いだけだ。
たまたま誰かが通り掛かって、たまたまその人が強くて、たまたまあの化物を倒してくれる──。
たまたまの連続が起こる事に賭けるのみだった。
だから、それを呼び寄せる為に、時間を稼ぐ──。
「──ハァァァァァァァァッッ!!!!」
橙雀は叫んだ。出せる限りの全力で。
そうやって喝を入れなければ、戦うなんてとてもじゃないが出来ない。
橙雀は臆病な人間だ。戦いになんて巻き込まれたく無い。今すぐにでもここから逃げ出したい。
勿論、やろうと思えばいつだってできる。
──だが、後方には負傷したフレアイクス。
見知った人を見捨てて逃げるなんてことは、橙雀には選択できない。
相手と適度な距離を保ちつつ、ただがむしゃらにナイフを振るう。
──しかし、空回りするだけだった。
リーチの短いナイフでは、至近距離まで近づかなければ当たらない。それは当たり前だ。
だが、橙雀の恐怖心がそうさせないでいた。
近づいてしまえば、フレアイクスのように負傷してしまうのではないか──。
「───。」
気づけば、橙雀の身体は既に宙へ投げ出されていた。
視界に映るは雲に淀んだ空。そしてそれを塗りつぶすかの様に舞う鮮血。
言葉にしなくても分かる。──橙雀は斬られたのだ、あの剛爪に。
「───。」
その光景を最後に、彼の意識は途絶えた──。




