1-2 無人の街
「────」
目が覚めた。
最初、目に入ったのは木の天井。見覚えのある天井だ。
馬車の中のようだ。どうやら、その中で橙雀は寝かされていたらしい。
馬車自体は動いていないようだ。
「俺は──。」
橙雀は記憶を整理する。
フリタールへと向かう途中で、橙雀の乗る馬車が謎の化物により襲撃、それに腹を裂かれ──。
ここまでしか思い出せない。
「……そうだ、腹は──」
自身の腹が裂かれた事を思い出し、腹の安否を確認する。
──結果から言うと、腹は無事だった。あくまでも結果的にだが。
乾いた包帯で下腹部をぐるぐる巻きにする。とても腹の裂けた傷に施す処置ではないだろう。
「かなり重症だったはずなんだが……。」
その余りにも不適当な処置に、橙雀は呆れを見せる。
この整った包帯から妙に「処置は完璧に完了した」感がある。
たとえ応急処置だとしても雑な事には変わらない。
「というか皆はどこに行ったんだよ……。」
ひとまず、自身の事を考えるのは一旦やめ、橙雀は馬車から出て、他の人達を探す事にした。
「────」
馬車は既に街へ到着していた。
当然だが、馬車の運転を担っていたおっちゃんも居なくなっていた。
それどころか、先頭に居たはずの二頭の馬すらも姿が見えない。
おっちゃんやフレアイクス、シレスターは何処へ行ったのか。その手掛かりは何一つとして残っていない。
特段、馬車が停まっている場所は何か建物の正面と言う訳でも無い。
街の辺境。なんとも半端な場所に停めてある。停めて意味のある場所でも無い。
それがいっそう謎を深ませていた。
「何かよからぬ事でも起きたのか…?それで俺を置いて……。」
嫌な想像が脳裏を過ぎる。
そもそも、あの絶体絶命の状況下からどうやってこの街まで逃げて来れたのか。それも不明だ。
あの時、唯一動ける者は運転のおっちゃんくらいだった。彼が機転を効かせて逃げた──そう橙雀は推測する。
──しかし、その先で『何か』が起きた。それは間違い無いだろう。
「────」
橙雀は街を探索する。
はぐれたフレアイクス達を探すのもそうだが、現在、自分がどのような状況に置かれているかを把握する為に。
街の建物の殆どは灰色のコンクリートを主な建材として使用しており、稀に木材が使われている家があるくらいだ。
基本的に灰色一色な為、非常に殺風景な街並みとなっている。
「──ほんと、不気味なくらい静まり返ってるな……。」
無音──それがこの空間の支配主だと。言わずとも分かる。
音が無い事で、自身の心音や呼吸音がより際立つ。
それに気づけば、脳がズキズキと痛みを叫び出す。
空は薄暗い雲に淀み、日の光は地まで届かず。
建物の照明も全て消灯。人が居た痕跡は全くと言っていい程無かった。
その風景だけでも十分に不気味さを感じられるが、その感覚の一番の割合を占めている要因はやはり、生命体の気配を全く感じない事だ。
人はおろか、野生動物や虫さえも気配を感じられない。
リミナルスペース──この光景を表すのなら、この言葉が最適となり得るだろう。
街並みが酷く殺風景なのもその恐怖感を助長させている。
やがて、橙雀は悪夢のような孤独感に苛まれた。
ここまで広大な街道があると言うのに、誰一人として住民が居ない。
人口密度がマイナスになっている。と説明されてもあまり違和感を感じれなくなってしまうだろう。
それはもはやこの空間に人どころか、生命体が存在する事すらも許されない。
『根源的恐怖』──それは人が生まれながらにして抱いている恐怖の対象。
この状況はまさに、『根源的恐怖』なのではないだろうか。
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二時間程経っただろうか。
未だ景色は変わらず、人の気配も感じられない。
「……一旦地図見るか。」
何故、今まで地図の存在を忘れていたのだろうか。
目の前の恐怖が膨大だったからなのか。それは分からない。
ひとまず、やけに大きい地図を開く。
開かれれば、この大陸の地図が顔を見せる。
「たしか、ここはフリタールっていう国だったよな……。」
地図中から『フリタール』の字を探す。
フリタールは雪国な事から、大抵の場合、北を探せば簡単に見つけられるだろう。
「──あった。」
フリタールの表記を見つけて、次に自身の居場所の特定を始める。
無論、紙の地図に自分の居場所が一瞬で分かるなどと言う便利すぎる機能は付いていない。
「まぁいいさ、大体の場所が分かれば十分だ。」
橙雀の旅立った地、メイリオから一番近いフリタールの街。それを探せば大体の居場所は特定できるだろう。
「フリタールの一番南の街となると──一応中央都市には入っているのか?」
フリタールは主に四つの都市で構成されている。
まず、大部分を占める中央都市。王宮を囲うように街が並んでいるようだ。
他にも、巨大な法廷と言った観光名所もあるとのこと。
「法廷を観光名所にするのか……?」
次に、中央都市から東に行くと辿り着く庶民街。名前の通り、庶民が住まう土地だ。
一応、フリタールには庶民と貴族の階級が存在していたらしく、今は撤廃されているが、昔は格差が酷かったのだとか。
それから、西側に位置するアンデル港。特に言う事は無い。ただの港だ。
最後に、北側に広がっている富裕区。これも名前通り、金持ちの貴族が住まう土地だ。
「フレアイクスは『アルベルト財団』に行くって言ってたよな……。財団ってことは、多分富裕区にあるんだろうな……。」
「ここから徒歩となると──日が暮れるな。」
「いや、でも──」
独り言が増えている。
こんなにも何も無い空間なのだ。常に言葉を紡いで居ないと精神がおかしくなってしまいそうで、独り言でなんとか精神を引き繋いでいる。
「──行くか。」
宛が無い訳では無い。
もしかしたら、フレアイクス達も既に合流しているかもしれない。
ほぼ無いに等しい可能性に僅かな希望を見出しつつも、藁にも縋る思いで橙雀は足を踏み出す──。
ただ、ここから富裕区へ行くには、確実に徒歩で丸一日以上は掛かってしまう。
食糧も何も無い状態で探索するのは無謀なのでは無いだろうか。
「確か、馬車に食糧が積んであったはず──。」
荷台に乗っていた五人の他にも、幾つかの物資が置かれていた。その中に明らかに食糧品だと確信できる物も含まれていた。
それに、橙雀が目覚めた時にもそれがまだ残っていた事は覚えている。
一旦はそれを取りに戻るのが最善では無いだろうか。
近くの店の物を盗むという手もあったが、生憎、全て鍵がかかっていた。
戸締まりに気をかけるのは良い事だが、今だけはそうあって欲しくなかったと、橙雀は悔みを苦笑で誤魔化す。
扉を破壊しようにも、橙雀の手持ちのナイフだけでは到底破壊できそうに無い。
──よって、馬車に戻る選択を取ることに決めた。
「ただ──、二時間かけて歩いた道を引き返すのは気が引けるな……。ま、仕方ないか。」
とんだ無駄足だ。
来た道を記憶できているかが不安だが──橙雀はもう先の事は考えない様にした。
失敗した未来の事を考えても、そのあるかもしれない未来に怖気づくだけだ。加えて自信も無くなってしまう。
「──よし!戻るぞ!」
行動が二転三転しているが、ようやく次の行動が決まった。
踵を返し、来た道をまた辿る──。
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戻るのに四時間も浪費してしまった。それは帰り道で迷ってしまったからだ。
今回の出来事で学んだ、橙雀は方向音痴だった。
「逆に四時間で済んだことを褒めてほしいくらいだ。」
橙雀は誰も居ない虚空へと独り言を投げかける。
何はともあれ、無事に馬車が停まっている地点まで戻る事が出来た。
ざっと辺りを見渡してみるが、驚くほど変わらぬ風景だった。
やはり住民の姿も全く見えない。
「とりあえず、荷台から食糧を拝借するとするか……!」
橙雀は回り込んで、馬車の荷台へと向かう。
ざっと食糧は十日分くらいはあったはずだ。あれだけあれば大丈夫だろう。
──そんな事を考えながら、橙雀は荷台の中を覗き込む。
「────」
橙雀は息を呑んだ。
衝撃の光景と言われればそうだし、そうではないと言われればそうではない。
その程度の光景ではあったが──。
視線の先──そこには、食糧を漁る子供の姿があった。




