第009話:ゴブリンキングと、拍手する影(第一章・完)
1. 玉座から出張ってきた王
地響きと共に姿を現したのは、通常のゴブリンよりも二回りは大きな体躯に、歪な玉座もどきの骨飾りを身にまとった一体だった。
「ゴブリンキング……! なぜこんな浅層に……!」
凜が息を呑む。本来、第十層のエリアボスとして君臨するはずの個体。それが群れごと、なぜか八層まで這い出してきていた。
「ガアアアアッ!」
咆哮と共に振り下ろされる骨の棍棒を、トールは片手で軽く受け止める。
「……ふん。玉座に飽きて散歩にでも来たか? 悪いが、俺のジャンク屋の得意先に手を出したのは、いただけないな」
凜は目を見張った。指一本ですら決着がついたはずの目の前の光景。トールは棍棒を握った片手だけで、ゴブリンキングの巨躯を軽々と押し返していた。
(……レベルが上がった分、少しは動きに余裕が出てきたか)
トールの網膜裏に、静かなログが流れる。
《スキル「威圧」発動条件を満たしました》
新しく解放されたスキルの存在に、トールは片眉を上げた。試すような気持ちで、意識を軽く尖らせる。
途端、周囲のゴブリンの群れが一斉に足を止め、怯えたようにその場で震え始めた。
「ほう。こいつは使える」
2. 二人の一撃
「……凜。お前のログ、まだ残ってるだろ」
「……ああ、ギリギリだが」
「なら、トドメはお前がやれ。俺は道を作る」
トールが軽く指を鳴らすと、威圧に竦んで動けなくなっていたゴブリンたちが、群れごとまとめて塵と化した。残されたのは、王一体のみ。
凜は鞘に手をかけ、深く息を吸う。
(ここで使わなければ、ただ溶けて消えるだけの力だ。ならば――)
「――抜刀・討伐解放!」
放たれた一閃が、残光の斬撃を伴ってゴブリンキングの巨躯を斜めに薙ぎ払う。トールが押さえ込んでいた隙を、寸分違わず突いた一撃だった。
「グ……ォ……」
巨体が大きく揺らぎ、光の塵となって崩れ落ちていく。
静寂が、第八層に戻った。宙に浮いていた回収ハックが、ふわりと漂いながら散らばった魔石を拾い集め始めた。
3. 荒い息の下で
「……勝った、のか」
膝をつき、荒い息を吐く凜の肩を、トールが軽く叩く。
「上出来だ。ログの使いどころ、悪くなかったぞ」
「トール殿のおかげだ。感謝する」
「殿はいい加減やめろって……」
呆れながらも、トールの口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。誰かと共に何かを守り抜く感覚――それは、かつて帝国を率いていた頃には得られなかった、不思議と温かいものだった。
(悪くない。こういう平穏の形も、あるんだな)
その独白は、誰にも聞こえないまま、静かに闇の中へ溶けていった。
(……ふん。瓦礫の向こうに、気配が一つ。随分と控えめに隠れているつもりのようだが、生憎、俺の目はごまかせん。……まあ、敵意はないな。放っておくか)
網膜裏には、静かなログがもう一つ流れていた。
《Lv61 → Lv64》
《称号「群れを退けし者」を獲得しました》
地道な積み上げが、また一つ形になっていく。派手さはないが、確かな手応えだった。
4. 拍手する影
――パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手の音が、崩れかけた瓦礫の陰から響いた。
トールと凜が同時に振り返る。そこに立っていたのは、運営管理局の職員証を提げた、見覚えのある女性だった。
「遠野……さん?」
「お見事でした、佐藤徹くん。……いえ」
遠野環は、口元にだけ薄い笑みを浮かべ、静かに言葉を継いだ。
「――お見事でした、と言うべきかしら。トールさん」
その一言に、トールの纏う空気が、一瞬にして凍りついた。
「……何の話だ?」
「さあ、何の話でしょうね。ただ――」
遠野は手にしていた端末の画面を、こちらへ軽く傾けてみせる。そこに映し出されていたのは、代々木第一層のログ、あの奇妙な回収装置の反応記録、そして先ほどの戦闘の一部始終を記録した映像だった。
「これから、じっくりお話を伺いにあがります。渋谷運営管理局として、正式に」
遠野は口元の笑みを崩さぬまま、最後に一言だけ付け加えた。
「――ああ、言い忘れていました。拒否権は、たぶんないと思うけど?」
(……面倒なことになったな。だが、ここで下手に暴れれば、それこそ後々面倒事の種になる。大人しく話を聞いてやるとするか。……ま、本気で逃げようと思えば、いつでも逃げられるがな)
トールは肩をすくめ、いつもの気だるげな仮面の下で、小さく笑った。
夜風が、崩れたゴブリンの骨片を静かに撫でていく。
シブヤの闇に潜んでいたはずの覇王の正体は、こうして、静かに、しかし確実に――運営管理局という組織の知るところとなった。
5. 数日後、もう一つの影
数日後、渋谷の高層マンションの一室。
神城零は、自身のクランが独自に収集した代々木第八層の異常発生記録――ゴブリンキング討伐の瞬間を捉えた、不鮮明な監視ドローンの映像を、何度も繰り返し再生していた。
一撃で群れを薙ぎ払う少女の剣技。そしてその傍らで、片手だけでゴブリンキングの巨躯を軽々と受け止める、見覚えのない男子生徒の姿。
「……これ」
零の氷のような瞳が、映像の中の一点に釘付けになる。少女が纏っているスーツの意匠に、見覚えがあった。噂に聞いていた、あの「鋳造師」の仕事だ。
「――見つけた」
それだけ呟くと、零は静かに端末を操作し、渋谷代々木学園の生徒名簿へのアクセス権限を申請し始めた。
シブヤの闇に潜む覇王を巡って、もう一人の追跡者が動き出そうとしていた。
(第一章・完)




