第008話:蠢く階層と、膨れ上がる群れ
1. 呼び出し
「――第八層で、ゴブリンの異常発生。規模、推定百体超え」
渋谷運営管理局の緊急招集がかかったのは、深夜のことだった。遠野環は資料を受け取り、眉をひそめる。
「百体超え……? 本来この階層に湧く数じゃないでしょう」
「原因は不明です。ただ、このまま増殖を続ければ、上層への溢れ出し――スタンピードの危険があります」
本来、第一〜十層は「新緑の洞窟」と呼ばれるチュートリアル帯。ゴブリンの群れ程度なら、若手探索者でも対処できるはずの浅層だった。だが数百体規模となれば話は別だ。
遠野の脳裏に、ふとある可能性がよぎる。
(……この階層のバランスが崩れた原因。まさか、あの「イレギュラー案件」や、あの謎の魔道具の反応と無関係ではないでしょうね)
彼女はまだ知らない。あの「回収ハック」――異世界由来の高密度な魔力を纏った、この世界の魔力体系にはない未登録の道具が、稼働のたびにダンジョンの警戒システムへごく微弱なノイズを撒き散らしていたことを。ほんの小さな歪みのつもりが、いつしか階層の生態バランスそのものを揺さぶっていたなど、誰も想像していなかった。
2. 巻き込まれた、剣士と剣士見習い
その頃、代々木第八層。
凜は新しいスーツの実戦感覚を確かめるため、単独で潜っていた。今日の相手はゴブリン数体――のはずだった。
「……何、これ」
角を曲がった先に広がっていたのは、暗闇を埋め尽くすほどのゴブリンの群れだった。数十、いや、それ以上。
「グギャアアアッ!」
一斉に襲いかかる群れを前に、凜は迷わず抜刀する。
「――抜刀・討伐解放」
新調したスーツのログゲージが唸りを上げ、一閃が数体をまとめて薙ぎ払う。だが、群れは絶えることなく奥から奥から湧き出してくる。
「くっ……キリがない……!」
一人ではさすがに分が悪い。凜の呼吸が乱れ始めたその時、視界の端に赤い光が瞬いた。
――ログゲージの限界警告。
(まだだ……まだ、倒れるわけにはいかぬ……!)
凜は歯を食いしばり、後退しながらも斬撃を繰り返す。だが、押し寄せる数の暴力の前に、その足取りは徐々に重くなっていった。
3. 呼ばれたわけでもないのに
「……ったく。あいつ、無茶しやがって」
学園の旧部室で、トールは何気なく起動していたシステムの隅の警告表示に舌打ちした。凜に持たせたスーツには、念のためこっそり簡易な位置・状態監視のログを仕込んである。単なる職人としての気まぐれのつもりだったが、今この瞬間、それが役に立つとは思わなかった。
(放っておいてもいいが……素材にヒビでも入ったら面倒だ)
そう自分に言い訳しながら、トールは窓から外へ飛び出していた。
代々木ダンジョンの入り口を、正規の手続きなど無視して踏破する。深層の壁など、トールにとっては障子紙も同然だった。
4. 割り込む影
第八層。ゴブリンの群れに押され、片膝をついた凜の前に、音もなく人影が降り立った。
「悪い、遅くなった」
「トール殿……!?」
「殿はやめろって言ったろ」
トールは面倒くさそうに前髪をかき上げる。だが、その双眸に宿る色は、いつもの気だるさとは違う、静かで冷たい支配者の色だった。
「お前ら、うちの素材にケチつけたみたいだな」
群れの奥から、ひときわ大きな影が、地響きと共にゆっくりと姿を現す。




