第四話「人が集まると仕事が増えた」
一週間で、村の人口は六人になった。
ルーチェは喜ぶ暇もなく、六人分の仕事量が発生していることに気づき、内心で盛大にぼやいた。
前世でいえば、四月だ。新年度の四月。新入社員が入って、引き継ぎと教育と通常業務が同時に走り始める、あの地獄のような四月。あの頃の総務部は全員が目の下に隈を作りながら、それでも誰も欠けることなく回していた。
今のルーチェの状況は、あれに少し似ていた。
「術師さん、木材の見積もりが出ました」
カルロスがノートを差し出してくる。
「術師さん、畑の種はどこで買えばいいですか」
ベルトが首を傾けながら聞いてくる。
「術師さん、この家の屋根、雨漏りするんですが」
シルビアが困り顔で指さしてくる。
「術師さん、ニコが川で石を拾ってきたんですが、これ何かに使えますか」
ダルクが大量の石を抱えた少年を連れてくる。
「術師さん、朝飯はどうするんだ」
グレタが仁王立ちで腕を組んでいる。
ルーチェは一瞬だけ目を閉じて、深呼吸した。
「カルロスさん、見積もりありがとうございます。木材は今日の午後に近隣の町へ買い出しに行くので、そのリストを一緒に持っていきます。ベルトさん、種は同じく町で調達します。一緒に来てもらえますか。シルビアさん、雨漏りの場所を後で確認します。ダルクさん、ニコくんが拾ってきた石は後で見ます、川の石は付与術の材料になるものもあります。グレタさん、朝飯は各自でお願いします。食料の共有については夜に話し合いましょう」
全員が一斉に「わかりました」と言った。
ルーチェはノートに追加事項を書き込んだ。書きながら、前世の上司が「お前は詰め込みすぎだ」とよく言っていたことを思い出した。でもこれくらい詰め込まないと、回らないものは回らない。
一週間前のことを、ルーチェは思い返した。
カルロスが来た翌日、元農夫の夫婦が来た。ベルトとシルビア、どちらも四十代で、日焼けした顔に人のよさそうな笑顔を持っている二人だった。
「廃村を立て直してると聞きまして。農業の仕事があるなら、ぜひ」
ベルトがそう言ったとき、ルーチェは即座に「あります」と答えた。
その三日後に、元行商の老人ダルクが来た。七十近いが足腰がしっかりしていて、物の値段と流通に詳しいという。「隠居するには早すぎる。何でもやります」と言ったので、「では村と近隣の町との取引を担当してください」と頼んだ。
ダルクが驚いた顔をした。「そんな大事な仕事を、会ったばかりの老人に任せるんですか」と言ったので、「専門の人間に任せるのが一番早いです」と答えた。ダルクはしばらく黙って、それから「わかりました」と深く頭を下げた。
少年ニコは、一人でふらりと現れた。歳は十二か十三か、着ているものがよれよれで、名前以外のことをあまり話さない。親のことを聞いたら黙ってしまったので、それ以上聞かなかった。
「住む場所と飯はあります。何かできることがあれば手伝ってください」
ルーチェがそう言うと、ニコは小さくうなずいた。
こうして一週間で、グレタを含めて六人になった。
六人。
前世の総務担当として言わせてもらえれば、六人というのは組織として機能し始めるギリギリの人数だ。役割分担ができる。互いにフォローし合える。一人が抜けても誰かがカバーできる。
逆に言えば、今が一番危ういタイミングでもある。仕組みができていないうちに人が増えると、混乱するからだ。
だから今日、ルーチェは町へ買い出しに行くついでに、いくつかのことを整理するつもりでいた。
近隣の町はダレン村から馬で半日ほどの距離にあった。ベルトを連れて、ルーチェは朝のうちに村を出た。
町に入ると、まず資材を扱う商店を探した。
木材、釘、石材。カルロスの見積もりに従って、必要な量を確認しながら商人と話す。値段の交渉はダルクに任せる予定だったが、今日は試しにルーチェが直接やってみた。前世の総務時代に業者との交渉は日常的にやっていたので、それほど難しくない。
「少し待ってください。この量を一括で買うなら、まとめ値引きをしてもらえますか。今後も継続して取引をする予定です」
商人が眉を上げた。中年の、人のよさそうな男だった。
「継続、ですか。あなたはどちらから」
「ダレン村の付与術師です」
商人が首を傾けた。
「ダレン? あの廃村の? 確か人が住まなくなって久しいはずですが」
「今は六人います。これから増やします」
商人はしばらくルーチェを見た。それから、ゆっくりと笑った。
「付与術師というのは本当ですか」
「はい」
「でしたら、一つお願いがあるのですが」
商人が奥から持ち出してきたのは、古びた魔道具だった。水の温度を調節する台所用の小型魔道具で、術式が擦り切れて機能しなくなっているらしい。
「これを直していただけますか。王都に頼むと時間も金もかかって」
ルーチェは魔道具を手に取って確認した。術式の劣化具合を見る。単純な熱量調節の付与で、刻み直せば十分使える。作業時間は三十分もあれば足りる。
「修理代と、今日の資材の代金を相殺にしませんか」
商人がぱっと顔を明るくした。
「それは助かります。ぜひ」
ルーチェは商店の隅を借りて、その場で術式を刻み直した。ベルトが横で「こんなに早くできるんですか」と目を丸くしていたが、慣れた作業なので手が止まることはなかった。
修理が終わると、商人は喜んで資材の値引きに応じてくれた。さらに「知り合いにも壊れた魔道具を持っている者がいる。紹介してもいいか」と言った。
「ぜひ。ダレン村まで来ていただければ対応します」
「ダレンまで持っていくんですか?」
「村を動かせないので」
商人がまた笑った。今度は最初より少し温かい笑い方だった。
「わかりました。声をかけてみます」
帰り道、ベルトが「術師さんって商売上手ですね」と言った。ルーチェは「前世で仕込まれました」と答えた。ベルトが「前世って何ですか」と聞いたので、「うまく説明できないのですが、前に生きたときの記憶です」と答えた。ベルトはしばらく考えて「よくわかりませんが、すごいですね」と言った。
それで十分だった。
村に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
馬を木につないで、荷物を降ろしながら、ルーチェは顔を上げた。
村の家に、明かりが灯っていた。
一軒ではない。三軒。補修を終えた家のそれぞれの窓から、暖かい光が漏れている。夕暮れの薄紫の空を背景に、黄色い光の四角が並んでいる。
朝に出たときは、昼間の光しかなかった。
当たり前のことだ。住人が増えれば、夜に明かりが灯る。それだけのことだ。
でも、ルーチェはしばらくその光景を見たまま、動けなかった。
胸の奥に、じわりと何かが広がった。温かいような、少し切ないような、うまく名前のつけられない感情だった。
前世でも、こんな感覚を覚えたことがあった気がする。大変だったプロジェクトが形になったとき。チームが初めてうまく動いたとき。自分の仕事が誰かの役に立ったと、はっきりわかったとき。
「これが、好きなことだったんだ」
声に出すつもりはなかったが、出ていた。
誰かを助けること。場所を作ること。バラバラのものを、機能するかたちに組み上げること。派手な実績じゃなくていい。誰かが今日も安全に眠れる場所を作ることが、ルーチェには向いていたし、好きだったのだと思う。
婚約破棄されて、王都を離れて、廃村に来て、初めてそれがわかった。
「遅い帰りだな」
グレタが玄関先に立っていた。腕を組んで、仁王立ちだ。
「ただいま戻りました」
「飯は食ったか」
「まだです」
「入れ」
グレタが踵を返した。ルーチェは荷物を置いて、老婆のあとについていった。
夜、全員でテーブルを囲んで話し合いをした。
食料の分担、作業の優先順位、収入の見通し。ルーチェが議題を箇条書きにして読み上げると、カルロスが「こういう話し合いって必要なんですね」と言った。
「必要です。決まっていないことが多いと、後でもめます」
「前世で学んだんですか」
「はい」
「術師さんの前世、便利ですね」
笑いが起きた。グレタまで口元を緩めていた。
話し合いは一時間ほどで終わった。ニコが途中で眠ってしまって、ダルクが背中を丸めて笑っていた。
各自が自分の家に戻っていく。小さな村の、小さな夜だった。
翌朝、ルーチェが村の境界を確認しに出ると、見慣れないものが立っていた。
杭だ。村の入り口から少し外れた場所に、金属の杭が一本。旗が括り付けてある。青地に銀の紋章——馬上の騎士の意匠だった。
杭の根元に、折り畳んだ紙が挟んであった。
開いてみると、几帳面な筆跡でこう書かれていた。
「当該土地はハーヴェイ侯爵家の管轄領内に属します。開拓および居住行為については、領主への申告と許可が必要です。速やかに領主館へ出頭するか、担当者の訪問を待つこと。ハーヴェイ侯爵家領地管理部」
ルーチェはしばらくその紙を眺めた。
それから工具箱に戻って、ノートを開いた。
やること一覧の末尾に、新しい項目を書き加えた。
「侯爵家への対応:書類準備」
筆を置いてから、ルーチェは少し考えた。権利書は持っている。開拓届は来る前に調べて提出してある。住民名簿は昨夜の話し合いの記録がそのまま使える。作業記録は毎日ノートに書いている。
書類は、揃っている。
何も問題はない、はずだ。
——はずだ、というのは昨日もグレタに突っ込まれた言い回しだったな、とルーチェは思いながら、ノートを閉じた。




