100年後の救済
フリーズはポケットに固いものが入っているのを思い出す。
彼女に返さなくては。
セシルにタバコの吸い殻を押し付けて彼女は街をウロつく。
ライチは建物の横の地面を叩いていた。
「……ライチ」
声をかけるとパッと振り返った。そしてフリーズを見ると悲しそうに微笑んだ。
「フリーズさん」
「こんなとこで何してんだ?」
「埋めてました」
どこから見つけたのか彼女はスコップを見せてくる。
化け物の群れに殺された人間を弔っていたのか。
雪は退けられ茶色の地面が露出している。その上に、遺品と思われる血に塗れた靴が乗っていた。
「そいつのチームがやるんじゃないの」
「その方が身元とか分かるしいいんでしょうけど。原型を留めてなかったですから」
どんな凄惨な状態だったのだろう。想像するだけで気分が悪くなる。
「それに静かに寝かせてあげた方がいいでしょう」
彼女は地面をまた軽く叩いて立ち上がった。
「……オニツカさんはなんと言って……たんですか」
唐突な言葉だった。
「何を?」
「自分が……あなたの、身代わりになること」
聞きにくそうにしながらそれでも尋ねるライチ。フリーズは幾度となく反芻した彼の言葉を、また思い返した。
—俺じゃなくて、フリーズが……生きるべきだと思わないか……
「オレが生きるべきだって」
ライチはハッとしたように目を開く。息が止まった。
「そうなんだ……」
呆けた言葉だった。
「……オレはそうは思わないけど」
そう呟く。ライチは泣きそうな顔でこちらを見上げた。
細い指がフリーズの手を握る。
「私の祝福を使えば……。
肉体が7割残っていれば蘇らせられます。……七割以下だと、ちゃんとは戻らないです……」
ライチは首を押さえる。
彼女の祝福の話は再会した直後に説明された。
あまりにも低い成功率、失敗すると人の体を失ってしまうその力をライチは封印していたのだと。
けれどニコへの信仰心を失った彼女はセシルを蘇らせることができた……。
聞きたいことが多すぎて一度では理解できない話だった。
蘇生の祝福も、ニコの信者だったことも、セシルが死んでいたことも全部嘘みたいな話に思える。
いやサージの街に来てからのことは全部ひどい悪夢に思えた。
けれど全部本当だ。彼女は自分の左腕を見る。
「……多分死んだわけじゃないんだ。オレが失った分の肉体をオニツカが補ってる。
ほら、左腕もあるだろ。
それだけじゃなくてアイツの祝福もオレが使える。
だから蘇生、っていうのとは違うんだよ」
もしオニツカが貸し借りをやめれば彼は戻ってくる。その場合、恐らくオニツカに補ってもらっていた分の肉体は消え上半身だけのフリーズが残るだろう。
彼女の肉体は五割も残っていない。
「大丈夫だ。戻す方法探すから」
二人の間に沈黙が流れる。
ライチは何を考えているのだろう……。
それからふと自分の目的を思い出し、慌ててポケットからそれを取り出した。
「返しそびれてごめん」
フリーズは彼女にスマートフォンを渡す。
「……これ」
「お前の、ずっとオニツカが持ってたみたいだ」
ライチの指先が震える。恐々とスマートフォンを手に取った。
「……音しませんね」
割れた画面を悲しげに見つめている。フリーズはそうだな、と頷いた。
「私が何をしてこの世界に落ちたか、オニツカさんから聞きましたか?」
「いや……。何も」
そもそも彼がライチのことを知っていたということすら今聞いた。
「親友が男に襲われかけて返り討ちにして、自責の念から自殺しました。私は彼女を蘇らせたくてニコラス様、ニコさんの生贄の方法を使って人を蘇らせようと思ったんです。
それでも蘇らなかったから私の命を持って彼女を復活させようと……」
細い指が真っ黒な画面を撫でる。
「オニツカさんは私のしたかったことができた。羨ましいかもしれません。
彼は生きていて欲しい人に命を渡せた」
その言葉に目の前が赤くなる。
震える指をフリーズは無理やり掴んだ。スマートフォンが弔いの地面に落ちる。
「言っておくけどな」
掴む手に力が入る。
「普通大切な奴の命を貰ってまで生きてたくねえよ。そんなの重すぎる。
そんなことしないで良いから、ただ一緒に生きてほしかった。
そういうのわかんないかな」
「……一緒に?」
「そうだよ。それができないなら別に命背負って生きていけなんて思わない。
たまに……一年に一回とかでも、思い出してくれるくらいで良かった」
ライチはおぼろげな視線を寄越す。
「……それでも私は多分同じことをすると思います」
「セシルにそう言うのか。お前が生かしたセシルに、自分は命押し付けて死ぬって!」
フリーズが怒鳴るとライチは顔をくしゃくしゃにした。
「もう誰かの死んでいくところ見たくない」
彼女は雪の上に膝をついた。細い肩は小刻みに震えている。
「誰かを看取るのは懲り懲り……」
ライチは手を震わせながら死人の埋まった地面を撫でる。
弱々しい彼女の言葉にフリーズは言えなかった。
死ぬなんて言わないで欲しい。生きてればいつか良いことが待ってると……。
*
街の出口に立つ。もうこの世界は盤上遊戯ではない。
歩いていれば次の街に勝手に辿り着くことはないのだ。
風が赤毛を撫でるように吹き抜けた。
よし。
フリーズが一歩踏み出した時「もう行くの?」と声がかかった。
驚いて振り返るとお面を外したニコが立っていた。
「オニツカを取り戻す方法探しに行くんでしょう? 」
「……なんで分かった?」
「顔に書いてあるよ」
フリーズは自分の頬を擦る。
「ジーナたちには挨拶してたのに、僕には無し? ひどいなあ」
「探したのに見つかんないんだもん。どこにいた?」
「セシルと少し話してた」
ニコの瞳が優しげに細められる。
「ごめんね」
「何が」
「僕が嘘をついて君は化け物の群れから逃げ出したって言ったんだ。
もし、そんな嘘をつかなければ」
「オレが怪我することもオニツカがいなくなることもなかった?
そう思う?」
彼は少し首を傾げた。
「フリーズを探すのに手間取ってればライチは死んでたかもしれない。
もしくは化け物の群れにもう一人犠牲になっていたかもしれない。
でも、フリーズがすんなり見つかってみんなでルパートの街に来れたかもしれない。
どうすれば良かったなんて分からないな、神様じゃないし」
「オレもそう思うよ」
彼女は手をパッと広げる。
「だから怒りようがない。謝られても何言ってんだって感じだよ」
そうだねとニコは笑う。反省してるんだかしてないんだか。
「それよりジーナに謝れよ」
「さっき何十回か殴られた」
ジーナの必殺巻き戻しパンチを喰らったようだ。もちろんそれだけで許す彼女とは思えない。
「それから?」
「いや。それだけ」
「意外」
「思想の違いは埋まらないからね」
そう言ってのけるニコはどこか爽やかだ。
何言ってんだか、と呆れ声で言うと「フリーズには分からないかなあ」と馬鹿にしたような声が返ってきた。
「言っておくけどオレ様は女神様だからな? お前みたいなカルト教団の教祖がおいそれと話していい存在じゃないワケ」
「なら女神様、責任持ってあの街戻してくれませんか?」
ニコはスッと街を指差す。崩壊した建物、化け物の群れに殺された人々の死体。
到底手に負えるものじゃない。彼女は首を振った。
「オレができるのはこの世界をメキシコにすることくらいだよ」
「それはすごい……!」
「ふん。イギリス風にしてやってもいいけど?」
「そんなことできるの?」
「多分。ああでも、人操ったりはできないよ」
だから信者集めようなんて思うなよとおどけて言うと彼は苦笑した。
「今更いいよ」
「反省したの?」
「そうだね……。ライチが……僕のことを信じてくれてるのを見てもういいかなって思った。
こんなところまで道連れにしたんだ。他人を引き込むのはもう十分だよ」
フリーズの脳裏に地面にうずくまるライチの姿が思い浮かぶ。
ニコにすら救えなかった。
「お前、これからどうすんの」
「僕もフリーズと行くよ」
思わぬ言葉に彼女は面食らう。
「なんで?」
「ずっと幸せに暮らしてる奴等を憎んで生きてきた。でもライチに何してもこの胸の穴は埋まらないって言われて、そうかもしれないと思った。
そう思うのに随分時間が掛かった……たくさん人も殺した……だから贖罪の旅でもしようかと」
ニコの瞳は暗い。オニツカもライチも同じような目をしていた。三人は根っこのところが同じで、胸に深い深い穴を抱えている。
ライチが言うようにその穴は埋まらないのかもしれない。けれど、小さくすることはできるはずだ。
自分はそう信じてる。
「じゃあ行こうか」
二人は並んで歩きだす。
さてどこに行こうか。
*
ライチは地面にうずくまる。
オニツカ。彼は自分の命をフリーズに捧げることを選んだ。
尊い決断だと思う。
けれどフリーズの言葉が頭から離れない。
—ただ一緒に生きてほしかった。
そうなのか。そうだったのかもしれない。
自分は千里の笑い声をもう一度聞きたかったのかもしれない。
でも遠い昔に感じた感情だ。今は。
—セシルにそう言うのか。お前が生かしたセシルに、自分は命押し付けて死ぬって!
ひどいことを言っているのだろう。けれどセシルが撃たれた時ライチはもうダメだと思った。
マックィーンのように自分も狂うのだと。
もしまたセシルの身に何かあれば、今度こそライチは狂うだろう。もう狂気に片足突っ込んでいるのだから。
身を縮め震えていると彼女を呼ぶ声がした。
「……セシルさん」
「おいで」
彼は両手を広げる。ライチは迷うことなく飛び込んだ。
「体、冷たくなってる。どこかで暖まろう」
彼女はセシルの胸に頭を押し当てた。セシルは暖かい。生きている暖かさだ。
彼はライチの冷え切った手を握る。
「泣いてたのか?」
そう聞く彼の目も赤い。
「……オニツカさんがいなくなっても悲しくはないです。寂しいですけど彼は自分の望みを叶えたんだから悲しむのは違うと思う……。
でもフリーズさんが一緒に生きて欲しかったって言ってて……」
うまく言葉にできずライチは黙る。今こんな話をするべきじゃない気がした。
「ごめんなさい……」
彼から視線を逃れるように俯き謝る。けれどセシルは「どう思ったんだ?」と優しい声で聞いてきた。
「え?」
「一緒に生きて欲しかったって聞いて、どう思った」
「……私は」
もし自分がオニツカと同じ立場なら、やはり自分がどうなろうとフリーズに全てを貸してしまうだろう。
死んでいく愛する人を看取ることは耐えられないし、一年に一回思い出すなんてとんでもない。その人の死が己を隙無く苛み続ける。
「俺も一緒に生きて欲しいと思うよ。
もしライチの命と引き換えに俺が蘇るとしてもそんなことしないでいい」
セシルは身を屈めライチの目を覗き込んだ。
「俺も、俺の命と引き換えにお前を蘇らせない。
俺が死ぬ時はお前も殺す」
彼の熱い手のひらが髪を撫でる。
「もう苦しまなくて良い。大丈夫だよ。
俺が死ぬまで一緒にいよう」
そう言われライチはホッと息を吐いた。
やっと救われた、そんな気持ちだった。
ここまで読んでくれて本当に本当に本当にありがとうございます。
お疲れ様でした。




