彼の手のひらの上
キスをしたら出られない部屋に閉じ込められたセシルとライチがたくさんイチャイチャしています。
気がつくとライチはソファに座っていた。
狭いアパートの一室、冷たい床と黄ばんだ壁。部屋は散らかっていてソファにもローテーブルにも男物の服が脱ぎ捨てられたままになっていた。
なんだろうここ。彼女は立ち上がり少しザラザラする床を歩いて扉に向かう。
扉にはメモが貼られていた。
「開かないな」
背後から手が伸びた。ピッと軽く引っ張ってメモを外す。
「……キスしたら部屋から出られないらしい」
そう言ってセシルは怪しく笑った。
「き、キス。
しなければ良いんですね」
「そうだ。ローテーブルの砂時計が落ちてる間我慢するんだって。砂が落ちきったら扉が開く。
我慢できる?」
からかうように言われライチは「できますよ!」と顔を背けた。
キスなんて数えるほどしかしたことないのに、我慢も何もない。
「可愛いな……おいで」
エスコートするように手を取られソファに戻される。彼の豹の体に寄りかかるようにライチは座った。
ソファの前のローテーブル、放られたシャツの上に白い砂時計があった。中身の砂はまだ半分も落ちていない。
「ライチはキス嫌い?」
エメラルドグリーンの瞳に見つめられライチは逃れるようにソファの背もたれに視線を向ける。
「好きとか嫌いとか無いです。……嬉しいけど……」
「そうか」
セシルの親指がライチの唇をグイッと撫でた。
「俺は好きだよ。キスすると恥ずかしそうにするのに、俺に一生懸命応えようとしてくれて……可愛くてしょうがない」
だからキスしたくてしたくて堪らなくなる、と耳元で囁かれライチの顔が真っ赤に染まる。
「ライチもキス好きになって欲しいな……」
耳にセシルの息が微かに当たる。唇が僅かに触れた。
その途端ライチの背筋がゾワゾワと震え思わず彼にしがみついていた。
「ライチ?」
息が荒くなる。
彼の顔を見る。いつもライチを可愛いと囁く唇が目に入って、叫びたい気分になる。
キス、したい。
ローテーブルを見る。砂時計は少しも進んでいない。
「どうした?」
「いえ……」
首を振るが視線は彼の唇に釘付けだ。
ダメだ、キスしたくて仕方ない。
「……キスしたくなっちゃった?」
セシルが少し困ったような顔で笑う。
「ご、めんなさい。なんでか、急に……」
「謝らなくていい。嬉しいよ。
ここから出たらたくさんキスしよう」
ライチは彼の手を握りながら頷いた。早く出たい。
砂時計をまた見てしまう。
「まだまだだよ」
笑いながら彼に抱きしめられる。フワフワの豹の足が彼女の膝に乗った。ライチはセシルに甘えるように縋り付き息を吐いた。
「……辛そうだな」
「そんなことはないです……」
「嘘つけ」
彼の唇が、今度は確実に耳に当たっている。
「セシルさん、ダメですよ……」
「キスじゃない。話してて口が当っちゃっただけ」
詭弁なんじゃないかと思うが部屋にも扉にも変化はない。
「な? 平気だろ」
「でも」
「我慢できなくなる? ああ、可愛い……。苛めたくなるなあ」
セシルは耳から唇を離さない。それどころか軽く甘噛みまでし始めた。彼女は体を震わせる。
「わっ!? 離れて……。あ、吸っちゃだめ」
ライチの制止を無視して彼は耳の付け根をぢゅうっと音を立てて吸う。
これはキスじゃないの? そもそもどうやって判定されてる? なんて疑問は消えてどうして唇にしてくれないのかということに頭が支配されていく。
「ねえ、もう、耳じゃなくて」
「唇にはしない。我慢我慢」
我慢してと言うのに耳への悪戯は一切やめない。
ライチは小さく首を振りながら「キスして」とねだった。
「あー……。最高。ライチからキスしてっていってくれるなんて」
セシルはニヤニヤと笑いながら節くれだった人差し指をライチの口に入れる。
「俺の舌だと思って、好きにして良いよ」
そう言われてライチは彼の手を握る。ちゅうちゅうと吸い舌を絡ませ必死になって自分の衝動を抑え込む。
「息継ぎちゃんとしてる? ここ出たら練習しよう」
彼女は涙目になりながら何度も頷く。指じゃやっぱりダメだ。舌を絡ませてキスしたい。
「早くキスしたいな……」
ぽつりと呟いた彼に同意の意味を込めて甘噛みをする。
セシルは嬉しそうな顔をして「良い子」とライチの頭を撫でた。
「……ここから一生出られないってなっても良いならキスするけど、どうする?」
突然の提案に衝動は驚きに上書きされ彼の顔を見つめるしかできない。ライチは指から口を離した。
「一生ここから出られないし誰とも会えないけど、一生2人っきりだよ」
「え……でも、ジーナさんやエルシーさんにも会えなくなりますよ……」
戸惑った声にセシルは怪しく笑う。
「……その二人が最初に浮かぶんだ。良かった。
仲良いもんな」
なぜジーナとエルシーの名前を挙げたら「良かった」なのだろう?
キョトンとするライチにセシルは覆い被さった。彼の瞳はいつもと違う光を宿している。毛先が彼女の頬に掛かった。
「男の名前出したらキスしてここから出さないつもりだった」
普段の甘さなどカケラもない冷たい声だった。その温度の無さが本気で言っていると伝えてくる。
「私がこんなにキスしたくなるのはセシルさんだからですよ……?」
ライチは自分の気持ちが伝わっていないのかと焦る。それは彼に伝わったようで、表情を緩めると今度は優しく彼女の頬を撫でた。
「分かってるよ。お前は俺の物だ。体も、声も、髪も、心も、過去も未来も全部俺の大事な宝物。俺だけの物だ。
そうだよな?」
ライチの存在全てがセシルのものであり他の誰にも、カケラだって渡さない。
そんな強すぎる彼の執着にライチは喜びでクラクラした。
自分はこんなにも愛されている。
「そうです。私はセシルさんの物です」
うっとりと見上げながらセシルの首に手を回すライチ。
セシルは自分を救ってくれて、必要としてくれて、愛してくれている。
「大好き」
彼の首に顔を埋める。
愛がなんなのか、本当はまだ分からない。でもセシルの教えてくれるコレが愛情なのだろうというのは分かってきた。
側にいられるだけで涙が出るほど幸せで、暖かく、心に満ち溢れていく感情。
「愛してます」
「ライチ……」
「ここから出たらたくさんキスしてください」
「……うーん。いや、ちょっと我慢の限界だな」
「え?」
「起きよっか」
そう言ってセシルはライチの乾いた唇にキスを落とした。
*
「ありがとうございました」
セシルは深々と頭を下げながらエルシーに礼を言った。
「……あのままおっ始める気だっただろ」
「まあそりゃ」
「そりゃ、じゃない!! 言ったよな、夢を繋げることはできるけど私も見てるって!!」
「ライチがあんまりにも可愛いから止まんなくて……もう見られてても良いかなって」
「こっちが見たくないんだよ!」
「まあまあ。これでお前が俺の尻尾に怪我させた件はチャラにしてやるよ」
彼はニヤニヤと笑って尻尾をこれ見よがしに振ってみせた。
つい先日のことだった。
女神の支配が終わり変わりゆく環境の中、変わらずに宿屋を続けていたエルシーは大規模な掃除をしていた。
時間が絶え間なく流れるようになったので以前にも増して埃が溜まりやすいのだ。
彼女はコムやマックィーンの協力を得ながらベッドの下やクローゼットの中までありとあらゆる場所を掃除した。なんならコムは未だに掃除している。
エルシーが何気なくスツールを退かしその上に乗ったとき、異様な声が横から聞こえてきた。
セシルの喉から発せられた、と分かったのだがそれが何故か分からない。コイツも狂ったか、と思った時「しっぽ……」と呻いた。
彼の獣の体を辿り尻尾を見る。斑点模様の長い長い尻尾はスツールの下にあった。
慌てて飛び退き謝ったエルシーだったがセシルは「慰謝料払え」の一点張りだ。
お金なんてあるわけないと言うと「なら祝福を使ってライチと普段できないようなことがしたい」と抜かし出した。
やはり狂っていたか。しかも彼はしつこかった。
会うたび悲しそうな顔で「尻尾が痛む……」などとのたまい、ライチやマックィーンにも「酷いことされた……」と被害者面をする。二人はさして相手にしていなかったが。
根負けしたエルシーはセシルの望み通りにしてやることにした。
「……夢を繋げられる。お前の夢にライチの夢を繋げれば、同じ夢を見ることができるんだ。
そこで思う存分乳繰り合えば良いだろ」
「ありがたい。というか、そんなことができるのか」
「長い時間は無理だけど。
これでいいな?」
「尻尾の痛みが治ってきた……」
「……絶対そんなに痛くないだろ……」
かくして、エルシーはセシルの欲望に付き合わされることとなったのであった。
「キスすると部屋から出られない、だけどライチはキスしたくなる……よくそんなこと考えついて実行できたなあ」
「夢って分かってたからコントロール出来たんだ。お前に悪夢を見せられた時は全然できなかったけど」
当て擦りを無視してエルシーは首を振る。
「そんなこと思いついても普通実行しないって言いたいんだ。ライチ可哀想」
「確かに可愛い、いや可哀想だった。お陰で最高だった……。はあ、俺の指一生懸命舐めてるの堪んなかったなあ……早く脱が」
「お前以外にも客はいるから、大声で変な話するなよ」
セシルの話を遮ると彼はつまらなさそうな顔をした。まさか聞いて欲しいのだろうか。他の人たちならまだしもこのゴミからは何も聞きたくない。
「お客ってどうせコムさんでしょう?」
「ちゃんと他の客いるから。
もう良いか? 私仕事あるから」
「おう。また頼む」
「もう二度としない!」
「そんな……まだライチとあんなことやそんなことしたいのに……」
「勝手にやってろゴミ屑」
エルシーが彼の肩を叩くと大袈裟に痛いと喚いたが無視を決め込む。
もし今度セシルに怪我を負わせたら今度は息の根を止めてやろう。でないとそれを餌にたかられるだけなのだから。




