俺だけの孤独
槍が降ってくる。
白い槍が雪のように、雪よりもずっと早く、人を殺そうと降ってくる。
それは一瞬のことであり、また予想していなかった動きに誰も動くことができなかった。
ケイトの胸に、マックィーンの頭に、ジーナの手首に、重なり合うレオとページの腹に、突き刺さっている。
「……ニコラスさま……」
あまりの光景に動くことができない。
ニコラスはジーナにさえも手を出したのだ。
「ジーナ……ごめんね」
彼女は唇から呻き声を漏らす。あまりの痛みからか涙が溢れていた。
「ど、どうしてですか!?
どうしてこんなことを……」
「わかるんだ……。彼女は僕の言葉が通じなくなった人間の表情をしていた。
仕方ないね、考え方の違いは簡単に埋まるものじゃない」
彼のお面が指先からストンと雪の上に落ちた。
「今一番大事なことは君を守るということだ。
それからセシルを甦らせること。君と僕には守護の力が必要だ」
「だから切り捨てた……?
ジーナさんも、フリーズさんも……」
フリーズの名前を出すと彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ああでもしないと誰も動けないと思った」
「死んだ……のに……彼女のこと、みてあげられなかった……」
「君を助けるのが優先だよ」
「不死なのに?」
「あの化け物の群れを見た時ただならぬことが起こってると思ったよ。
今までとは違う何かが起こってると……実際そうだった」
ニコラスはライチの炎を見つめる。
彼女は震える足で立ち上がった。ケイトとマックィーンはピクリとも動かない。レオとページはかろうじて息はあるようだがどこまで保つか。
痛みに荒い息を吐くジーナにふらつきながら近づく。
「ジーナさん……」
槍を抜けば、ジーナの祝福を使えればニコラスを止められる。
彼は今蘇生の力を欲するあまり暴走しているのだ。
「だめだよ」
しかしニコラスは弱々しく歩くライチの肩を掴んだ。
よろけた足が何かを蹴飛ばす。赤い何かと一緒に雪がジーナの方に飛んでいった。
「僕が苦しみから解き放ってあげる。
だから僕の言うことを聞いて」
ニコラスの目は異様だ。
マックィーンのような狂気に囚われた目でも、レオのような怒りに囚われた目でも無い。
真っ暗な何も無い穴のような目。
「苦しみって……どうやって」
「……君も僕を信じられなくなってしまったんだね。
ここまで落ちてきてくれた割に脆い」
失望した彼の声にライチは申し訳なくなる。でも。
「あなたの思想が一番だと思っていました。ものごとに優劣をつけ、一番大事なものを甦らせるためになんでもする。
私にとってチィちゃんが一番で、殺した二人は順位が低いから甦らせるための生贄に殺したと。でも違いました。
私は孤独だった」
—犯罪者は孤独なの。
側に誰もいない、止めてくれる人がいない。だから犯罪を犯す。
今ならジーナの言葉の意味がわかる。
ライチは孤独だった。千里が死んで様子の変わった彼女の周りから人はいなくなった。
母親は何も変わらず、いつものように仕事をするだけだ。誰もライチを気にかけない。
そしてライチも誰も気にかけなかった。
加害者家族として母親がどんな辛い目にあうかも考えず、ただ千里の復讐に、ニコラスの経典にのめり込んだ。
「セシルさんたちと出会って私は変わったんです。フリーズさんもジーナさんもオニツカさんも、あなただって大事な仲間」
「……だから順位を決めた僕を許せない?」
「仲間を見捨てたあなたが許せません」
彼女は力強くニコラスを見据えた。
両足の震えが弱まり、腕の炎の熱を感じなくなっていく。
胸の内は何かに勇気づけられるように暖かい。
「私はジーナさんを助けます。それからケイト様たちも。
レオのことも殺したくありません」
だから邪魔をしないでほしい。ライチはそう訴えかける。
ニコラスは悲しそうに項垂れる。
「ライチ、君は間違ってる。ケイトやレオを助けたところで君が危害を受けるだけだ」
そう言われ彼女は微笑んだ。
「そうですね。きっと間違ってる。でも私、今まで正しいことなんてできたことありません。
チィちゃんを死なせ、甦らせようと人を殺し、この世界に落ちてからもこんなことになってしまった。
ずっと間違ったことしてきてるんです。今更正しいことをしようと思ったって遅いんですよ」
ニコラスから背を向けた彼女はジーナに駆け寄る。
ひどい出血で意識が途切れかかっているらしい。いつも白い顔はより白く、灰色になっていた。
「ジーナさん」
「……ラ、ライチ……」
「すぐに止血してここから出ましょう」
手首に刺さった槍に触れる。これを抜けば……。
「逃げて……」
え、と思った瞬間彼女の顔面に衝撃が走った。
「……セシルは諦めるよ。
君くらいなら抱えていける」
ニコラスに蹴られたのだとライチはやっと気が付く。そこまで痛みはなかったが、彼に蹴られたと言うことがショックだった。
「ごめんね、手荒なことして。
慣れてなくて……」
悲しそうな顔のままニコラスがゆっくりと近づいてくる。
……この人は多分悲しいんじゃ無いだろうな。こういう顔をしているだけなんだ。
お面を外しているのにニコラスは貼り付けたような表情をしている。
「……あなたの目的は……?」
「二人を甦らせることだよ」
それだけに取り憑かれた亡霊のような男。それがニコラスだ。
多くの人を殺し、唆し、この世界に落ちてもなお妻と娘を蘇らせようとしている。
……いや、彼にはそれしかもう無いのだ。彼もまた孤独。側に誰もいない、止めてくれる人がいない。
ニコラスは槍を地面に降らせた。そして一本それを抜き取る。
「殺したりなんかしないよ」
「や、やめてください……」
「ごめん。でも俺もう滅茶苦茶なんだ。
あの世界じゃ蘇りなんて諦めてたのに、ここに来て蘇らせるって分かったら。
目の前で希望を見せられたらそれを手に入れようと必死にならない?」
それはライチにもわかる気がした。
希望は何度も彼女の前に現れた。千里、遺骨、セシルたち……それらが奪われないよう必死に足掻き失敗した。
それでも希望が手に入るならライチはまた足掻くだろう。
しかし、だとしても……。
「やり方ってものが、あるでしょうが!!!」
静寂の中ジーナの怒声が響き渡る。
ガツンといい音がニコの後頭部から鳴った。
彼は小さな悲鳴と共に雪の上に倒れる。
「この、この……!!
ああ、もう。血が足りないの、叫ばせないで」
「ジーナ……!?
なんで、槍をどうやって抜いた」
血塗れの手が赤い腕を掴んでいた。
「マックィーンの腕?」
「……私がさっき、蹴飛ばしたんです」
彼は素早く立ち上がるとマックィーンの方に向く。だが彼は血を垂れ流しながら雪の上に突っ伏したままだ。
「どういうこと?
彼は死んでるはず」
「マックィーンは死んでます。でも赤い腕は死んでません」
「……まさか」
—自分が食べた子供たちの腕を祝福で手に入れ、その子供たちの幻覚を見ている。
マックィーンの祝福の腕は、彼とは別の命を持つ。この腕がマックィーン自身の腕よりも細く手の指も短いのは別人の腕だからだ。
かつて行動を共にしていたから知っていた。
赤い腕が嬉しそうに手をグーパーさせている。一本だけとはいえ器用に槍を抜いてくれたらしい。
「ニコ。どうするの。私はあなたの祝福には強いわよ」
ジーナは血塗れの手首を握りしめニコラスを睨めあげる。
その間にライチは走ってケイトとマックィーンの槍を抜いた。すぐには動けないだろう。だがケイトは意識さえ戻れば……。
「大嘘吐きが……!」
地獄の底からのようにひび割れた声だった。彼女は金の目を見開きニコラスを見る。
彼の首に縄がかかった。
「時間かかりすぎだ……。俺の腕が、動いてたのはわかってただろ」
マックィーンはブツブツ文句を言っていたがライチは無視して赤い腕を彼に渡す。
そうすると彼は口を閉し腕を受け取った。
ニコラスを見る。彼は唖然とした顔でジーナとケイトと対峙している。ここは二人に任せて大丈夫だろう。
身を翻しライチはレオたちに駆け寄る。
レオの上に覆い被さるようにページが倒れ込み、彼の胴を白い槍が容赦なく貫いていた。
地面には赤い血と黒い血が混ざり合っている。
「……トドメを刺しに来たのか」
黒い唾液には血が混じっている。
「計画、全部狂っちまった……お前のせいだ、全部、全部、全部……」
「……わざとじゃなかった。こんなことになるなんて思わなかった。
今も、あの時も」
二人を貫く槍を掴む。
「抜くよ」
自分の腕から立ち登る炎の熱に耐えながらライチは槍を引き抜いた。ずるっと嫌な感触、そして赤いものと共に槍は抜けた。
「ページ……」
かろうじて息はあるらしい。男がうっすら目を開け小さく悪態をつく。
ライチは男のそばにしゃがみ燃える腕を近づけた。
「待ってください。ページは私の命令に従っただけです」
「ち、違うよ。止血しようと思ったの」
背中とお腹に手を回し炎を傷口に押しつける。ページの喉からくぐもった悲鳴が漏れた。
「い、た……!」
「……セシルさんはもっと痛かったよ」
彼の名前を口にするとき思わず声が震えた。
「あの、銃は一瞬だから……そんな痛くないっすよ……」
ぎゅっと力を込めて熱を押し付けるとページは「痛い痛い」と涙を流した。
悲鳴を無視して燃やし続けた。香ばしい良い匂いがしてくる。
「これくらいかなあ……」
「かなあって、アンタなんも知らないのにやったのか」
「レオ」
レオの方の傷はページよりは浅い。そして何より人間じゃない彼女は少しは丈夫なはずだ。
彼女の黒い血液が何よりの証拠。
ライチが炎をかざすと彼女は嫌悪に顔を歪ませる。
「なぜ止血を。私たちを助けるのですか」
「……許してほしいから」
「あなたのやったことはこれくらいじゃ許されませんよ」
ぎゅっと押すとレオが化け物そっくりの声を出した。
「ごめんね」
血が止まったのを見届けた彼女は立ち上がり、ニコラスの元へ戻る。
ケイトに首を絞められ、抵抗しようにもジーナに時を戻され、彼は手も足も出せていなかった。
「俺はただ、妻と娘にもう一度会いたいだけだ……こんなことされるほどの悪事をした覚えはない」
苦しげな言葉をケイトはフンと鼻で笑った。
「言っただろう……嘘吐きは始末するって」
彼女の細い指がニコラスの前髪を掴んだ。
「その上お前は私とマックィーンを殺したな……?
ただで済むと思うなよ」
「ちょ、ちょっと待って。殺さないで。
まだ私たちは彼に聞きたいことがあるんです」
ジーナは肩でケイトを退かしニコラスの前に立つ。ライチもその横に立った。
ジーナの腕にはケイトの縄が巻かれている。これで止血しているらしい。
血に染まった縄から視線を逸らし彼女はニコラスの方を向いた。
「……最初から私たちを騙すつもりだったの」
「僕は騙してなんかない。
ライチが蘇りの守護を持っていたから、その力を借りたいだけだ」
「フリーズを見殺しにして私たちを傷つけてまで?
どうしてそこまで……」
「こんなのおかしいだろ!?」
突然彼は叫んだ。初めて彼の怒声を聞いた気がした。
「俺は妻も子供も失ったのに他の奴らはヘラヘラ笑って生きて、そのうえ家族を顧みない!!
俺がこんなにも望んでやまないのに……!!
二人は蘇らない? ああ、そうだよ!死んだ人間は蘇らない!!
じゃあ俺は一生この思いを抱えて生きなきゃならないのか!?
他の奴らじゃこの穴は埋められないのに……」
ニコの慟哭にライチは涙を流す。彼の叫びがたまらなく悲しい。
ライチの涙を見てニコは驚いたように息を止めた。
彼は神や教祖などではなかった。
大切な人を失った喪失感に狂う。他人を恨み、傷つけ、胸に空いた穴をなんとか埋めようともがく。
ニコはただの力無い人間なのだ。
「ニコさん、私たちの穴が埋まることはありませんよ」
彼に寄り添い胸に耳を当てる。心臓の音も何も聞こえなかった。
コムの内臓が整列される呪いにかけられた彼が平然としていたのがずっと不思議だった。
呪いをかけられた彼は苦しげに呻き血も吐いていた。でもすぐに立ち上がりジェイコブスたちの後を追っていた。
「あなたの刑は中身が空っぽになる刑だったんですね」
「……そうだよ。
何してても虚しいんだ……」
ライチはニコに手を伸ばした。彼は泣きそうな顔で見つめている。
炎が彼の顔に当たる。けれどニコを傷付けることはなく弾かれている。
セシルは彼にも守護をかけている。
ライチはニコから離れるとその場にしゃがみ込んだ。
ずっと信じていた人を失った。けれど不思議と痛みは無い。
チラチラ降る雪の隙間に愛しい人の死体が見える。
彼女は這うよう進み、彼の側に寝転んだ。
「セシルさん、起きてください……」
なぜだろうか。セシルが目を覚ましライチの名前を呼んでくれる。そういう確信があった。
そっと彼の肩を揺する。セシルの瞼が微かに動いた。
額の傷が逆再生するかのように埋まっていく。
長いまつ毛が震えた。エメラルドグリーンの瞳が開かれる。
「……ライチ」
ライチは微笑む。セシルも嬉しそうに目を細めた。




