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オレはそこまで強くない

鐘楼の隠し部屋に戻るとヴィヴィアンが体を丸め地面に蹲っていた。


「ヴィヴィアン、さま」


エルシーは慌てて彼女の背中に手を当てる。体がビクンと跳ね、サッとこちらを睨み付けてくる。

だがその瞳は涙に濡れていた。


「なんで、僕言ったよね。任せてって」


「聞いたけど、やっぱり……心配で。

顔色が悪い。具合が悪いんだろう?」


ここに来る間彼女の顔色はドンドンと悪くなっていった。今では灰色、死人と同じ色をしている。

額には脂汗が浮かび、触れた背中はじっとりと湿っていた。


「……平気、放っておいて……」


「泣くほど辛いなら我慢しない方が」


「痛くて泣いてるんじゃない。ヴィヴィアンのことを……。

まあそんなことは良いよ。早くニコをなんとかしないと。ジーナに悪さする、かも……」


「彼女なら大丈夫だろう。それよりあなたが心配……何があった? お腹痛いの?」


ヴィヴィアンは充血した瞳でエルシーを見つめる。

それからふうと浅く息を吐き「コムだよ」と震えながら言った。


「コム……?」


「アイツが、2回も君に攻撃することを許すはずがない。

呪われたんだ……内臓が蠢いてる……どう呪ったのかしら」


乾いた笑いを漏らすヴィヴィアンの耳は、金属の耳だ。コムの怒りに触れた彼女は耳を切り落とされた。


「殺さなかったのは懸命な判断だよ」


「なぜ」


「色んなところに、祝福をかけた化け物を隠してるんだ。僕に攻撃をすれば、ジーナ以外の人間を襲うようにね」


「なんでそんなことを!?」


「保険だよ。僕は弱いでしょ。だからこれくらいしないとすぐ殺されちゃうんだよ。

持てるものは全て使わないと」


「……そうか。化け物も操れるのか」


「そうなんだよね。不思議なことに。

僕の姿を見て彼等は愛情を覚える……。ふ、あの変態どもよりも化け物の方が真っ当なんじゃない?」


唇を歪めてケイト達を嗤うヴィヴィアン。憎まれ口を叩ける余裕はあるのだろう。


「動ける? 横になって休んだ方が良い」


「……なんで?」


「そうやって丸まって内臓を圧迫するのは良くないかも……」


「そうじゃなくて。

なんで、僕のこと気にかけるの? 祝福は解いたよね?

僕が死んだら化け物が暴れるから……? 確かに君の宿の近くにも潜ませたけど……この辺にいるのは、豹男達がなんとかするよ。多分ね」


体を縮めながら睨んでくるヴィヴィアンの姿は威嚇する小動物を思い起こさせた。

エルシーは敵意が無いことを示すように笑ってみせる。


「あなたが私をここまで連れて来たことは確かに怒ってた……けど、鼻を殴ったし、もうそれはいい。

祝福も、私にとっては本当に祝福だった。得難い思い出になった。

あなたはただ私を洗脳したかっただけだろうけど、私は嬉しかったんだ。良い夢を見たよ」


「……よく分からない……。もう一度祝福をかけて欲しいの?」


「自分が何かして欲しいから人に何かするってのじゃなくて、単に感謝してるってことなんだけど。

難しいか?」


ヴィヴィアンは目を細めている。だが今度エルシーが体に触れても振り払いはしなかった。


「……もし僕に何かあったら、まあ多分、結構な人が化け物にやられるし君も死ぬと思うけれど、それでも生きてたらジーナのこと守ってあげてくれる?」


「私にそんな力は無いから……死なないでほしい」


自分が押し込められていた袋の中から上着を取り出し床に引く。そこにヴィヴィアンを寝転がらせた。

顔色は悪いままだ。

金属の当たる音がして真っ白なうなじに細い鎖が掛かっていることに気が付く。下がっているのは御石ではない。二つの銀色の指輪だ。

視線に気づいた彼女がそれを掌で包んでエルシーから隠す。

エルシーは興味がないふりをしてヴィヴィアンの額に触れた。


「夢を……。

完全にコントロールはできないけれど、ある程度、どんな夢が見たいとかあれば見せてあげられるよ」


ヴィヴィアンは目を瞑る。エルシーは頭を撫でながら言葉を続けた。


「どんなのが良い?」


「……いらない。起きた時、虚しいだけだもの」


そう言った彼女の目尻から涙が一筋流れていた。


「失ったものは奇跡でも起こらない限り絶対に戻って来ない。

けどこんな世界で奇跡なんて起こらない。

想ってるだけしかできないんだ……」


人形の手が止まる。

失ったものは戻って来ない。それなのに代わりが効かないものばかり失ってしまう。


*


フリーズが見つからない。オニツカは悪臭漂う街を彷徨っていた。いったいどこに……。

自分たちがいた場所からだいぶ離れてしまった。ニコはどこで彼女を見かけたのだろう。

赤毛を探しながら歩いていると道端で女がうずくまって泣いていた。この惨事で誰かを亡くしたのかもしれない。

オニツカは見ていられなくて、彼女を避けるように通り過ぎようとした。

だが、女の胸の中にある物を見て背筋が凍った。


「……それ」


女が縋るように抱き締める金属のそれはフリーズの義手だった。


「それをどこで!?」


泣きじゃくる女の肩を揺さぶる。彼女は三つの目をオニツカに向けた。


「何があった、なんでそれを持ってる」


「お、女の人が……」


女がギュッと力を込めて義手を握る。


「転けた私を化け物から庇ってくれたんです……。その人、化け物の攻撃を全く受けなくってっ、自分は守護があるから大丈夫だって。

そしたら」


彼女は顔をクシャクシャにした。三つ目から涙が溢れ出す。


「他の人たちが彼女を盾にして…………。何分も何分も、逃げようとしたら殴りつけて、ずっと防がせてたんです。でも、女の人は悲鳴を上げて、それで、体がっ……」


体から熱が引いていく。力が入らない。

オニツカは瞬き一つせずに義手を見ていた。金属だというのにまるで紙のように潰れていた。


「……彼女はどこに……」


耳障りな嗚咽がオニツカの耳を攻撃する。女は義手を何度も握り、それからすっと、通りを指さした。

瓦礫の隙間に鹿の角と赤毛が見えた。


「フリーズ!」


叫びながら、もしかしたらセシルの守護は化け物の攻撃に耐え切れたかもしれないと思った。

もしかしたら三つ目の女の話す女はフリーズのことじゃないかもしれない。

彼女はケロッとした顔で、いつものようにオニツカに悪戯な笑みを向けるかもしれない。


「フリーズ」


瓦礫の隙間を覗き込む。

フリーズの瞳がこちらに向けられた。


「……オニツカ……」


「フリーズ、大丈夫か? 今ここから出すから」


「いい、もう……多分」


「何言ってんだ。血が足りない? 増幅の力でなんとかして、それで」


「祝福じゃもう……ごめん」


彼女は申し訳なさそうに眉を下げ笑う。

オニツカはフリーズの腹に乗った瓦礫を退かそうとした。このままじゃ瓦礫に潰される。そんなことなってたまるか。

だが、退かそうとした瓦礫に少しの隙間もないことに気がつく。

隙間は彼女の体の厚み分も無い。


「……腰から下、あっちに、吹き飛んじゃった……。さっきから、増幅の力でなんとか出来ないかなって、試してんだけど、間に合わなさそ、う。

……セシルが言ってたんだけどさ……。信仰を、捨てられない人は……祝福を扱うのが、下手なんだって……。

オレ……神様のことまだ信じてるから」


フリーズが変だよな、と苦笑いを浮かべた。

頭を働かせろ、今出来ることを考えて、彼女を救わないと。

そう思うのに体は動かない。最悪な想像が頭を支配する。


「い、しゃ、呼んでくる……」


「……無理だよ、諦めな……。それより、ここに居て。1人で死にたくない……そばに」


フリーズが手を伸ばす。オニツカはその手を必死に握った。


「ら、ライチは……? あいつ、化け物に、捕まった……」


「今セシル達が助けに行ってる……」


そう言うと彼女はホッと頬を緩める。それでも苦しげな眉間の皺は消えない。


「そっか……。

看取らせて悪いな……。ああ、でも、お前が側にいてくれて良かった。

セシルに、謝っといて。折角守護かけてくれて、あんなに……耐えて……。今までで一番強かったのに、死んでごめんって。

あとジーナに……いっぱい怒らせてごめんって。反応してくれるの、面白くって……。ニコにも……悪戯いっぱいした……。

ライチに……は、お金スってごめんって、言っといて……」


いつも嫌になるほど明るくて、うるさくて、聞こえないと寂しいくらいの声が掠れていく。

何か言おうとしたが言葉がうまく出ない。涙が流れてフリーズの顔に落ちた。


「……はは、何、泣いてんの……。でもちょっと嬉しいかも……」


フリーズの手の力が徐々に抜けていく。


「お前、もうちょっとセシル以外の、人のこと信頼できるように、なれよ……。あとタバコ。あれやめろ。

あとえーっと……ライチに意地悪すんな……とか……? 言いたいこと、いっぱいある、のになあ。もう……。

……オレ先に地獄に……行ってるわ……。待っててやるからゆっくり来いよ……」


青白い顔に優しい笑みが浮かぶ。

彼女は死をすっかり受け入れられているらしく、諦めたように眉を下げて笑っている。

オニツカは受け入れられていないのに。


—自分じゃない誰かが生きるべきだと。この命はその人に渡すべきだと。


訥々と話す少女の声が頭にこびりついている。


*


私の話をしましょうか。長くなりますけど、ネットや動画で言われている三宅来知じゃなくて、私の話す三宅来知のことを聞いて欲しいから。


……父は私が4歳の時に家を出ました。別の家族があったそうです。

思えば、あれが誰かに捨てられた最初のことのように思えます。

母は女手ひとつで私を育ててくれました。いわゆる水商売で、お客さんに酒を注いでやって愚痴を聞いて、愛想良く笑う仕事で私を養ってくれました。

歩くだけで人が振り返るほど美しく、人と話すのが好きな母には向いている仕事のように思えます。実際、仕事を辞めたいと母が言うことはあまりありませんでした……夜起きてきたときだけそう愚痴を言うことはありましたが。


私が小学生に上がる頃に母には男ができました。

再婚はしませんでした。私がいたせいでできなかったのでしょう。

コブ付きは嫌われる、と聞いたことがあります。……そうですよね。あなたならよく聞いたことあるでしょうね。

程なくして母が私を疎んじていると感じることが増えました。


だからと言って、決して母は私に対して手を上げることも、育児放棄することもなく、最低限のことはしてくれました。

高校にまで通わせてくれました。

ただそれは、祖父母がそうするように言ったからのように思えます。

祖父母は中学卒業と共に働き出した母のことを快く思っていなかったようで、私が高校に通うお金を出してくれました。

祖父母が私を愛していたかというとそうではないと思います。二人に会う回数は数年に一度程度のもので、近くに住む従姉妹の方が可愛かったはずです。

それでもお金を出してくれたのは親族間の情と、母の水商売という仕事を認めたくなかったからというところがあると思います。


私がこうして生きているのはみんなが私に最低限の情があったからだと思います。

でも、私がこうやって生きているのはみんなが私に最低限の愛をくれなかったからだと思います。

私は人に愛されてると感じたことはありません。

それを悲しいと思うことは中学までありませんでした。そもそも愛されていないと気付いてすらいませんでしたから。


中学に上がり、私はひとりの友人と出会いました。

あなたはきっと男に何度もペンを突き立てる血に染まった彼女しか知らないでしょう。

でも、チィちゃんは本当は穏やかな優しい子です。素直で、人から愛される魅力のある子です。

喋り方は大人っぽいのに笑い声がコロコロと、まるで赤ちゃんみたいで、彼女が笑うと自然と私も笑いました。


私は彼女と仲良くなるにつれ苦しくなりました。

彼女にとって人から好意を持たれるのは当然のことなのです。

いっそ嫌いになりたかった。でもチィちゃんは本当に魅力的で、好きにならざるを得なかったんですよ。

私はチィちゃんのことが大好きです。

人というのは好意を持った相手の行動を真似するそうですね。私もそうです。

今も、チィちゃんが喉を鳴らすあの癖が、体に染み付いています。


チィちゃんがあれをやっている理由が分かります。

突然口から何かが出てきそうになるんです。それを、ああやって喉を鳴らして堪えていたんでしょう。

彼女は母親の死から変わりました。暗くなってしまったんです。

それは怪しげな魅力へと変わり、男子生徒がやたらと彼女にちょっかいを出すようになりました。

チィちゃんはそれが嫌だったのでしょうが、私には理解できませんでした。

私は男の子から好意を持たれたことは無かったから少し、かなり、羨ましかった。


やがて彼女は学校に通わなくなります。

私は彼女のためにもっと何かできたと思います。

それをやらなかったのは私の醜い嫉妬心からでしょう。

ただ電話だけして、これをやってるんだからいいでしょう、と……。

母と同じですね。友人として最低限のことしかしなかった。

唯一の友達だったのに、ひどいものです。


でも私の嫉妬心は間違ってた。チィちゃんは分かってたんです。相手の男の好意がどれだけおぞましいものか。

チィちゃんはあの日、襲われました。

……あなたが知ってる三宅来知はここからですね。

ネット記事の見出しは友人の復讐を果たした殺人鬼とかですか?

ああ。そうなんですね……。

チィちゃんのとき散々好き勝手に書かれているのを見ましたから、私もそうなんだろうと。当たってましたか。


ただ復讐とは少し違います。

私は助けてあげられなかった。友達なのに。最低ですね。

チィちゃんはずっと助けて欲しかったはずです。

もう一度生きたいと思ったはずです。

そう思いませんか?

自殺したとき彼女は助けてと言ったんです。

助けなくちゃ。それは教典を知っている私しかできません。


私はまだ教祖様が試していない蘇生術を試しました。

特別な日にアイツらの血で術式を描いて、殺しました。

代わりにチィちゃんが蘇るはずでした。……でも何も起こらなかった。

だから最後、自分の命をもってチィちゃんを蘇らせようとしたんです。


誰からも愛されていない私じゃなくて、誰からも愛されるチィちゃんが生きるべきなんです。

チィちゃんが生きていれば……。

世界に必要なのはチィちゃんでしょう?

あなたは思ったことありませんか?自分じゃない誰かが生きるべきだと。

この命はその人に渡すべきだと。


けど、目を開くと私はここにいました……私の代償はチィちゃんの死体です。もう教祖様の方法でも、私の祝福をもってしても、蘇りません。

代わりに蘇り続けるのは私です。


私はチィちゃんを蘇らせられなかった。私がチィちゃんに嫉妬していたからかもしれません。

愛情を教えてもらえなかったからきちんと愛情を持てなかったのかもしれません。

罪はいくら逃れても追いかけて来ます。私が犯した罪はどこまでも……。


オニツカさん、あなたの言う通り私はおかしいのでしょうね。でもいつから……何がおかしかった?

とうしたら良かったんでしょう。教えてくださいよ。


*


「どうしてそんなにライチが怖いの?」


いつか聞かれたニコの質問に彼は答えられなかった。

地獄に落ちることは怖くない。どんなやつだろうと必ずそこには誰かいる。

けれど彼女に引きずられていった先にあるのは孤独だ。

初めて見た時から恐ろしかった。

自分はあの闇に取り込まれてしまうと肌で感じた。


「フリーズ」


自分のものに比べたらずっとずっと細い指だ。オニツカは力を込めて握り締める。


「俺じゃなくて、フリーズが……生きるべきだと思わないか……」


青白い顔をした彼女は不思議そうな顔をした。


「生きるべきなのは俺じゃないんだ……。

セシル達には自分で謝れよ」


「……何言ってんだ……?」


「俺の全部を貸してやる。足りない肉体も、内臓も、血も、全部だ。俺そのものをお前に貸す」


フリーズは呆然とオニツカを見つめている。


「え、いや……そしたら、お前が……」


「いつか返せよ」


「や、だ。なんでお前がそんな、ことすんだよ。

オレは、良いから。お前が死ぬのは嫌だ」


青白い頬に涙が伝う。無い力を振り絞り必死でオニツカを止めようとする。

それでも彼はフリーズに覆い被さり祝福を使う準備をする。


「早くしろ、時間が無い」


「嫌だって……!」


「俺も嫌だ。

お前が死んだ世界じゃ生きていけない。お前の死体を抱えて生きていけるほど強くない。

だからフリーズに全部預ける……大丈夫、いつか、戻って来れるよ」


「なんで……なんで、オレにそこまで」


「……知ってるだろ。俺、好きなのに依存しないと生きてけないんだ」


オニツカはフリーズの頬に手を当て冷たい唇にキスをする。

その途端体が溶けていくような感覚が彼を襲った。

これで自分はフリーズの体として生きていくのだろう。

もう二度と孤独にならない。

そう思うとひどく安らかな気分になれた。

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