この世界は折り重なった死体でできている
ゲラゲラと醜い男の笑い声が響く。
「セシルさん……」
ライチはセシルの横に座り込んだ。
頬は赤く唇は艶やかだ。
だというのに彼の目は見開かれ、額からは真っ赤な血が一筋流れている。
「ああ、ライチ……」
ニコの声が震えている。
ライチはセシルの手にそっと触れた。暖かい。ぎゅっと握る。
けれど彼は握り返さない。
「ライチ……逃げないと……」
そうだ、逃げないといけない。自分はまだしもニコに何かあってはいけない。
目の前には銃を持った男が立っているのだ。
早く逃げないと。
そう思うのに全身の力が抜けてしまって立てそうにない。喉が重たく感じ、彼女はぐっぐっと鳴らした。
セシルが名前を呼んでくれたら力が湧いてくるのに。
「いや……。あんたはいいけど、その人は逃げちゃダメなんで……」
「ライチ……!」
ニコが耳元で名前を呼び、肩を揺さぶっている。ニコだけでも逃げて欲しい。自分は動けそうにない。
青年はライチを気に留めることなくセシルの腰にあるポーチから遺骨を取り出していた。
セシルに触れるな、と怒鳴りたいのに頭に何重にもベールが被せられたようで何も言葉にならない。全ての感覚が遠い。
「ど、どうして……。どうして」
セシルの額から流れた血は顔を伝い地面に垂れていく。
「どうしてセシルさん倒れてるの……」
「お前の罪のせいですよ」
汚い笑い声の間にこちらを蔑む女の声がした。
紫色の髪が雪と一緒に舞い上がる。
「久しぶりですね」
レオは変わらぬ姿で立っていた。
セシルを撃った青年がレオに遺骨を掲げて見せている。
「……レオ……」
「何百年俺を待たせる気だこのウスノロ!」
レオの喉にあるもう一つの口が黒い唾液を撒き散らしながら喚いている。
「ごめんなさい、でも、集めても取られちゃって」
「いいのですよ。お前より優秀な人がいますもの」
レオは目を細めた。
彼女の視線を追う。炎がこちらに向かって来ていた。
「ライチ。あの人は……?」
「あの人と約束したんです。遺骨を返すと」
ライチが見つけてバラバラにしてしまった。だから集めて返さなくてはならない。
そうでなければ彼女の怒りは鎮まらない。
レオと、喉の口は笑い声を上げている。
「もう少しです。もう少しで全てが終わります……! 私の長い旅が、やっと……!」
レオは歓喜に震えていた。
ライチは彼女の言葉の意味を考える。化け物の群れや、セシルの死。これらが旅の終わりを意味するのか。
雪を踏み締めレオがケイトの方へ向かって歩き出す。
「……レオ……!! なんで、ここに……!」
炎が大きく揺れる。雪が溶ける蒸気もゆらゆらと揺れていた。
「お待ちしていましたよ」
「セシル……」
呆然と呟くケイトから彼の体を隠すようにマックィーンが立ち塞がる。
それを見たレオはまた上機嫌に笑った。
「相変わらず邪魔ですね、マックィーン」
「……俺はお前の邪魔をした覚えはないよ」
「いえ、いいのですよ。別に怒っていません。
侵略者をあれだけ殺してくれたんですからむしろお礼をしましょうか」
「何するつもりだ」
レオとセシルを撃った男の首に縄がするりと落ちていく。ページは驚いた様子でそれを外そうとするがレオはニヤニヤと笑うだけだ。
「あなたにとって悪い話じゃありませんのよ?」
「何が、だ! 嘘つきめ……! 何を、考えている……!
あの、群れはなんだ。どうして、あんなのが……」
苛立ちに掠れるケイトの言葉にレオは退屈そうに目を閉じた。
「彼等はあなたには関係ありません。あなた方にね」
「関係、無い、だと?」
「ただ集まっただけです」
「ここに、いる、巨大な力を、持つ、化け物と、か?」
「化け物? それはお前たちのことだろうに……。
ページ」
レオに名前を呼ばれた青年は右手で首の縄を引きながら左手を中空に伸ばした。
彼の虚な瞳はライチを見ている。
ニコがライチの腕を引く。
どうして私はいつも、何か起こる時、ぽかんと口を開けて見てることしかできないんだろう。
ページの首の縄が締まる。その前に彼は指をパチンと鳴らした。
それだけで、化け物が襲ってくることもまた火薬の匂いがすることもなく、しんしんと雪の降る音だけが辺りを支配した。
「……なんで……」
一人、声を上げた。ケイトだ。だが何かがおかしい。
彼女を覆う炎が弱まっていく。細い体が徐々に露わになる。
白い髪の少女は張り詰めた顔をしていた。
「火が消えた……?」
焼けていない声は想像よりも幼いものだった。
雪と同じくらい青白い肌は、すでに炎も火傷も消えている。
どうして、とレオの方を見ようとしたライチにも異変が襲う。
指先に鋭い痛みがあった。セシルから手を離し彼女は自分の指を見る。
「どうして燃えてる……」
ニコが愕然とした顔で後退りした。
彼女の指先が燃えていたのだ。慌てて雪に突っ込み火を消すがたちまち燃え上がり雪を溶かしていってしまう。
火はゆっくりと昇ってくる。これは。
「言ったでしょう、お礼ですよ。
ページはお前たちの枷を入れ替えることができるのです」
「あ、ああ……」
ケイトの側にいたマックィーンがうわずった声を出す。
尻尾が大きく左右に振れ、雪が舞い上がった。彼の赤い目は爛々と輝いている。
「ずっと探してた……俺のことを救ってくれて、一緒にいてくれる人のことを。
やっと……!!」
ケイトは興奮する男を困惑した様子で見る。
「……どういうことだ、マックィーン」
マックィーンは針金のように細い体を4本の腕で抱きしめた。
「ケイト様と俺は永遠に一緒です」
「枷を入れ替えるって、まさか……私が不死になったのか?」
金色の瞳がライチを見つめる。
ケイトはもう死ぬことは叶わない。永遠の旅路を彷徨わなければならなくなった。
それがどういう結末をもたらすか横にいる男を見れば明白だ。どこまで狂っても死ぬことはできない。
「ああ嬉しい。嬉しい。こんなに嬉しいことはありません。
あなたに置いて行かれるのが不安だったんです。でもこれでもう大丈夫ですね。
これであなたは俺を置いていくことはできない」
マックィーンはのしかかるようにケイトに抱きついている。白い肌に黒い鱗の生えた腕がまとわりつく。
まるでケイトが男に飲み込まれたかのようだった。
ライチは腕まで上がってくる火を雪で消しながら頭の隅で思う。
ページの祝福は刑の入れ替えだった。だからレオは彼と共に行動していたのだ。
おそらくページを知った時から彼女はライチと誰かの刑の入れ替えを考えていた。
ライチの不老不死を失くし殺すために。
「これでようやくお前を殺せるよ、ライチ!! 殺したくて殺してくて身震いが止まらない……!」
レオの黒い唾液が雪の上に飛ぶ。
ニコが面を外し彼女の前に立ち塞がった。
「ライチは殺させない!」
「あーあー、絆ってやつか? くだらない!
お前たちのような社会の塵が善人面してんじゃねえよ!!」
レオの額には青筋が浮かんでいる。
「お前たち侵略者のせいで俺はどうなった!?
神を穢されこんな体になってしまった!! お前らのせいで俺の世界はめちゃくちゃなんだよ!!」
怒声に気圧され、ニコは一歩後退する。
「……君は一体何者なんだ」
彼女は引き攣った笑い声を漏らした。
喉の口は怒りの言葉を吐き続ける。
「私たちこそがこの世界の正しい住人。
ここはお前たちが化け物と呼ぶ私たちの世界だ。
その骨は私たちの神のご遺体だ……!」
*
ページ? 眠れないんですか?
……化け物が怖い? 恐れることは何もありません。絶対に襲ってなんてきやしませんから。
襲われない理由ですか……。なんででしょうね?
……眠れないなら何か話しましょうか?
良いですよ。お話、しましょうか。どんな話が良いですか?
どうせあなた全部忘れちゃうんだからどんな話だって良いですよね。
……ある所に……終わりを迎える世界がありました。空は神が瞼を閉じるように暗く、世界から色が失われ、生きとし生けるもの全てが活動をやめていきます。
神が死にゆくので、人々もその準備をします。神の死の眠りを妨げないよう墓守となるのです。
ですが、神の死を察知したおぞましい侵略者が彼等の邪魔をします。
自分の体を石として落として、世界を支配しようとしてくるのです。
その石は穢れが強く普通の人は近づけません。神の使いだけがそこに近付くことができました。
穢れを祓うことはできませんが囲いを立てることはできたので、神を苦しめないよう囲い、安らげるようにします。
……なんのお話か? ふふ、なんでしょうね。まあ、黙って聞いてなさい。
ついに神が眠りました。人々は墓守へと姿を変えます。体は黒く硬くなり、知能は消え、墓を守ることを第一に動きます。
神の使いもまたそうなるはずでした。
ですが、神が眠りにつく寸前、巨大な何かが降って来ることに気付きました。そう、おぞましい侵略者が手を伸ばしてきたのです。
神の使いは侵略者を退治するために墓守にはなりませんでした。倒さなくては。神の使いは立ち上がります。
ですが侵略者はただ体を落としていただけではなく、色々な世界から駒を集めていました。
駒は、駒です。侵略者が土地を均し終われば殺されるだけの存在。知能も低く、狂気に片足突っ込んだような奴等です。
だというのに奴等は侵略者によって好き勝手に書き換えられ歪んだ世界で好き勝手に欲のままに振る舞い、あまつさえ神の遺体を掘り起こしたのです。
掘り起こした駒の女は馬鹿な女でした。それをすれば墓守が操れるなどと言い出し、遺体をバラバラにしました。
許せない! あの女っ! ライチ! 殺してやる! あの女を生きたままバラバラにして内臓引き摺り出して殺してやる! 内臓を玩具にして殺してやる!
……おっと、興奮してしまいました。いけないいけない。
それで……その馬鹿な女に神の使いは制裁を加えようとしました。
ですが想定外のことがここで起こります。
神の使いは駒を殺すはずが抵抗され命を落としてしまうのです。
ああ、神の眠りを妨害したまま死んでしまうなんて。でもそれでも、このまま墓守に変われば……集められている駒達を殺していけばいい話でした。
けれど馬鹿な駒はどこまでも馬鹿でした。
侵略者に与えられた未熟な力を使い私を甦らせてしまったのです。
侵略者の力など不完全なものでしかありません。
神の使いの体は醜いものとなってしまいました。
……制裁を加えようにも馬鹿な駒は不老不死の罰を与えられており、殺すことは叶いませんでした。
神の使いは命じました。
神の遺体を集めるようにと。
それをしない限り私と墓守は追いかけてお前の内臓を引き摺り出し殺し続けると。
神の使いの制裁はいつ終わるのでしょうか。
馬鹿な駒は馬鹿で不器用なのでいつまでも遺体を集め終わりません。
ふふ、そうですよ。ページ。だからあなたの力が必要なのです。
もう神の遺体をライチに集めさせるのは終わりです。
惨たらしく殺してやりましょう。
……眠いですか?
どうぞ、寝てください。起きたら私の話なんて忘れてるでしょうね。
あなたは自分の刑と他人の刑を交換したせいで記憶が保たないんですから。
それで良いのです。私の目的をあなたは知らなくて良い。ただ、少し力を貸してもらえれば良いのです。
お休みなさい。
*
レオは不老不死じゃない。ライチが蘇らせなければ死んでいた。
なのにどうして自分と同じ時を歩けるのか、それは彼女がこの歪んだ世界の住人ではないから。
この世界の時間の影響を受けないのだろう。
化け物たちは自分の神の眠りを妨げたライチを許さずいつまでも追いかけ殺してきた。彼らもこの世界の時間の影響を受けず不老のライチを追いかけ続けた。
「ケイト。私に遺骨を返してください」
彼女は狼狽えるケイトを見下ろす。
「……なんで自分で集めなかった。どうしてライチに集めさせたんだ」
「眠りについた神の体にわたくしたちは触れられないのです。
触れれば神は起きてしまう」
金色の目を瞬かせ彼女は天から縄を下ろした。
レオとページの首にあるものと同じ縄だ。そこには骸骨がぶら下がっていた。
「これか……」
遺骨はほとんど集め終わり生前の骨格を取り戻していた。
三つの頭部に六本の腕、背中には尻尾のような長い何かがぶら下がっている。
これがこの世界の本当の神なのだ。あの恐ろしい女神ではなく。
ライチたち駒を掻き集めた女神は世界の支配者ではなく侵略者だった。
「さすが、あなたなら集められているだろうと思っていましたよ。
よくここまで正確に……均等に……」
「そういうのが得意な男がいるんだ」
コムのことだろう。
ライチの霞んだ視界にページが遺骨の上顎を興味深そうに眺めているのが見える。
「……何か書いてある」
「は?」
レオがまた青筋を立てるが、ページは落ち着いた様子で彼女に遺骨を見せる。
「ほら」
ライチはふらふらと立ち上がる。
彼女は口を開け自分の上顎を燃える指で差した。
「私が、刻んだんです。
英語で……」
「ふざけやがって……!!」
睨みつけるレオだが近付いて来ない。燃えるライチの体に近付きたくないのだろう。
だがニコはそっと彼女に寄り添った。まだ燃えていない背中を撫でて「君はずっと探していたんだね」と囁く。
ライチの胸に温かいものが広がっていく……いや、これは。
セシルだ。彼の祝福だ。
自分の腕から燃え上がらない炎を見つめる。
未だ彼はライチを守ってくれている……。
「セシルさん……」
燃えた腕で彼を抱き締めることは叶わない。ライチは身を屈め彼に顔を寄せた。
「Help……Revival……。
どうせ奪われると思ったから遺骨にメッセージを刻んだの?」
「そうです……。あの骨は2回手元に来ました。2回目の時には既に遺骨はこの世界中に散らばってしまっていた。
だから届くようにと刻んでおきました……」
ニコも雪の地面に膝を付いた。
「ライチ。マックィーンから聞いたよ。
君の祝福は蘇生だね……?」
知られてしまった。息苦しくてたまらなくなり喉を鳴らす。
もう二度と誰にも祝福を使うつもりはなかった。レオのように、恐ろしい失敗をしてしまうから。
「ごめんなさい、黙ってて。
でも、私は一度も蘇生に成功していない。
どうしても言えなかった……!」
セシルが、ニコが、チームのみんなが蘇生の祝福を求めて動いている中ライチの頭は罪悪感でいっぱいだった。
彼等になら話せる、そう思ったことは何度もあった。けれど失敗して今の居場所を失うことになったら……。そう考えるとどうしても告白することができなかったのだ。
ライチの暗い視線はレオに向かう。彼女の喉に張り付いた化け物の口。
口汚く罵り穢れた唾液を撒き散らす。
レオはあの程度で済んだ。
「君を責める気なんて少しも無いよ。
ただ……。そうだな、少し考えてほしい。
このままセシルを死なせるわけにはいかない。そうだろう?」
ニコは優しくセシルの髪に触れる。積もっていた雪がパラパラと落ちた。
「君はセシルを愛している。そしてセシルも君を愛してる。
彼は死んでもなおライチを守っているんだ」
ライチの目から涙が溢れ出す。炎が彼女の体を包まないのはセシルの祝福によるものだ。
彼の気持ちは死んでもなお続いている。
「もう一度、セシルの声を聞きたいと思わない? 彼に抱きしめてほしいと、笑いかけてほしいと。
愛してると……言って欲しくないか……?」
声は震えていた。ニコは自分の妻と子供のことを思い出しているのかもしれない。
「セシルさんに会いたいよ……」
「君ならできる。
大丈夫だよ」
「でも……」
「そうだね。僕の言うことを信じちゃダメだ」
彼はきっぱりと言った。
お面の奥で真剣な顔をしたニコと向き合う。
「自分の力を信じるんだ」
そんなこと一度だってできなかった。
ライチのやることなすこと全ては悪い方向に転び、大切な人を二度失った。
けれどこれで取り戻せるなら……。
彼女は祈りを捧げるように両手を握りしめた。
遠くで自分を呼ぶ声がするがそれは雪の降る音にかき消された。




