不条理の神が殺しに来る*
オニツカが無表情でライチを見下ろす。
宿の裏道にいるのはライチとオニツカの2人しかいない。
いつものようにタバコの煙をくゆらせながら彼は小さく呟いた。
「……来知ちゃん」
「最初から私のこと知ってたんですね」
「チームに誘う前から君のことはみんな知っていた。マックィーンからライチって名前のチキュウ人がいるって聞いていたから。
セシルが先に会いに行って……それで一応顔だけ見ておこうと思ってフリーズと見に行ったんだけど。
……驚いたよ。まさかこんなところにいるなんて。ああ、当然かな?」
「何で知ったんですか」
「日本で君を知らない人は少ないんじゃない。
ニュースにもなったし、特集が組まれたし、ネット記事のトップにもなってた。
女子高生がまたもや残虐な殺人鬼にって……」
「そうですよね」
そうだろうと思った。
彼女は俯く。
罪からは逃れられない。いつだって追いかけてくる。
「君はおかしいんだよ」
オニツカが小さく呟いた。
*
息が苦しくて、詰まる感じがする。
私は携帯を手にとって電話をかけた……いつものように。
「もしもし、チィちゃん」
戸惑ったような、それでいて明るい声が電話越しに聞こえる。
ミヤちゃんは私のことをチィちゃんと呼ぶ。彼女が付けてくれた可愛いあだ名。
「もしもしミヤちゃん? 今平気?」
「うん。どうしたの?」
彼女は私の唯一の友達だ。
私なんかと友達になってくれる優しさと、意志の強さのある、尊敬できる友人。
クラスで目立つ方ではないのだが意見はハッキリ言うし、素直で時々ウッカリさんになって可愛い。
私はミヤちゃんが大好きだ。
中学の時、男子からいじめられ浮いていた私にミヤちゃんは親切にしてくれてそれ以来すっかり仲良くなった。
「学校どうかなって……」
高校に行かなくなって半分過ぎた。父からは受験もあるから転校するよう言われている。
本当はミヤちゃんと同じ学校が良かったのだが、通学時間が倍になってしまうので諦めた。
けど今のことを考えれば通学時間なんてどうだって良かったのだろう。
結局高校でもいじめられてしまい、それ以来人が怖くて怖くて電車に乗れないのだ。
転校したって私はきっとまたいじめられる。
そう考えると、喉でグッとカエルの鳴き声のような音を鳴らしてしまう。
「そろそろ体育祭だからそれの準備が忙しくて。
私体育苦手なのに、手伝わなきゃいけないんだよ? 酷いよね」
「でもミヤちゃん持久走得意じゃん」
「得意じゃないよ! ただ持久力があるだけ! 走るの遅いもん……!」
嫌になるよー! とミヤちゃんは嘆きながら言っていた。その背後で、ガチャンと扉の開く音がした。
ミヤちゃんのお母さんは夜の仕事をしているので、多分お母さんが働きに出たのだと思う。
「チィちゃんは何してたの?」
「あー……」
私は自分の部屋を振り返る。
散らかった部屋に万年床。薄暗い部屋のなか兄の使っていないタブレットだけが青々と光っている。
「youtube見たりとか」
「現代っ子だね」
「同い年なのに何言ってんの」
「そうだけど。
youtubeで何見るの?」
「色々。
メントスコーラとか、ゲームの実況動画とか、陰謀説とか、フリーメーソンのこととか、カルト教団の正体とか、昔あった事件の犯人のこととか……」
「ふーん。なんでもあるね。
悪いことしたら全部動画になっちゃう。悪いことできないね」
しないクセに。
優しい彼女がこんな動画になるほどの悪いことをするはずがない。
私は笑いながら携帯を耳から離してミヤちゃんに、今日見て面白かった動画のリンクを送る。
「わ、ありがと。
……ヤクザの実態? 怖そー」
「うん。なんか危ない。トイチとかって、暴利で人に金貸したりすんの」
「トイチ?」
「十日で1割の利息」
ミヤちゃんは分かってるのか分かってないのか興味無さそうに「へえ」と呟いている。
「ヤクザ怖いんだよ。
女子高生も食い物にしてる……」
「エンコウとか?」
「そうそう。JKリフレとかさ、そういうこと。
危ないからミヤちゃんも気を付けてよ」
「ハイハイ、気を付けるよ、お母さんみたいになりたくないから」
ミヤちゃんは揶揄うようにそう言ったけど少し、悲しそうだ。なんか悪いこと言っちゃったかも。喉がまた鳴る。私は慌てて別の動画のリンクを送った。
「これは? ……イギリスを震撼させた連続殺人鬼の正体……?
血生臭いのばっか見てるね」
「そ、そうかも。
でもそれすっごく面白いよ。
エリザベス女王の陰謀説もあったり……」
「怖くない?」
「怖いけど。
……その人蘇りの方法探してたんだって」
私の視線はつい母の作ってくれた編みぐるみに移る。
母が死んで3年。胸の中に空いた穴は大きく、未だに恋しい。
「私はそれがあるなら試すよ」
電話越しでもミヤちゃんが困惑しているのが伝わってくる。
ミヤちゃんも私も同じだ。ミヤちゃんは一人っ子でお父さんがいないし、お母さんはいつも働いている。
私も母が死んで、父はずっと仕事に出ている。兄は荒れてしまってろくに話していない。
私たちは境遇がよく似ていた。だから私はミヤちゃんの孤独を感じることができる。
でも私たちはお互いの孤独を埋めることはできないのだ。
「チィちゃん……」
「ごめん」
「……ううん。そうじゃなくて。
今度会って話そ。やっぱり電話じゃ……顔が見たいし」
「うん! だね、いつ空いてる?」
*
血に塗れた手だとうまく携帯を掴めない。裾で血を拭って、電話をかけた。
「もしもしっ!?」
「もしもし? チィちゃん?」
「ミヤちゃん、どうしよう、私」
動かなくなった男の体を見る。
中学の時私を散々いじめていたアイツ。彼が家の前に来ているのを見つけて私はパニックになった。
彼は私を見つけるなりニヤニヤと笑い、手を掴んで無理矢理車に引きずり込まれた。
誰の車だろう、とか、なんでここに? とか、色々思った。
だけどそんなの、スカートに手を突っ込まれて全部全部消し飛んだ。
そういうことかと脳が理解するのと同時だった。私はアイツの髪を掴んで抵抗した。噛み付いて殴って蹴って暴れた。でも彼は1人じゃなかった。
もう1人が助手席から私の腕を掴み体を押さえつけてくる。
もうダメだ。でもなんでこんな目に合わないといけないんだろう。私はこの人知らない。
なんで?
自分のポケットにペンが入っているのが分かった。
後はもう、何か考える余裕なんてなくて、必死にペンを振り回した。
ペン先がアイツの目に突き刺さる。
頭が一瞬冷えた。なんてことをしてしまったんだろう。
でも私はペンを引き抜いてまた突き刺した。
目だけじゃなくて首にも、口にも、刺せるところ全部。
気がつくともう1人はいなくなっていて、車内に残っていたのは動かなくなったアイツとアイツの返り血を浴びた私。
「人を、殺しちゃったの」
「……え?」
「どうしよう。どうしよう」
「落ち着いて、大丈夫だから。
今どこ?」
もう1人は運転していたのだろうか? でもここは家からそう離れてないところだ。
車から降りようとして私はあることに気がついた。
……私の姿を捉えるかのようにカメラが設置されている。
「あ、あ」
パソコンが助手席にあった。そこには返り血を浴びカメラを見つめる私の姿が映っている。
動画の配信をしていたんだ。動画のタイトルに「JKゴーカン生放送」と書いてある。最初からこのつもりで……。
チャットが凄い勢いで流れていく。
「これ本当?」「ドッキリ?」「コイツ知ってる」……。
「どうして」
「チィちゃん!?」
「お父さん、お兄ちゃん、ごめん」
なんてことをしてしまったのだろう。
喉を鳴らすのがやめられない。
グッ、クッ、と不快な音が遠くで聞こえる。
男の死体から逃れるように私は車から飛び降りた。
そこは見晴らしのいい高台の上で、私は嫌なことがあるとよくここから街を見下ろした。
運命なんじゃないだろうか? 誰かに背中を押されている気がする。
「チィちゃん! チィちゃん!!」
お父さんもお兄ちゃんもお母さんが死んですっかり人が変わってしまった。けれど。
お父さんは精神を擦りきらしながらそれでも私の不登校を受け止めてくれていたのに。
お兄ちゃんは荒れてしまったけれど、偶に……心配するように私を見ていることがあった。その視線が鬱陶しくもあったが、だがあれはお兄ちゃんの愛情だったのだ。
なのに私はそれに答えないで、それどころか人を殺してしまった。
2人は加害者家族となってしまった。
なんてことをしてしまったのだろう。
私のせいで。
「返事してよ! 何があったの?」
「ごめんなさい。ごめん、私、お母さんの所に行けない」
私は地獄に落ちる。
ガードレールを乗り越え崖の下を見た。剥き出しの地面は遥か遠い。
「チィちゃん……! チサトちゃん!! 私行くから! 待ってよ!」
「ごめんね……」
そのまま私は身を投げた。
体がふわりと宙に浮く。内臓まで浮くような感覚と、それから後悔が私を襲った。
……死にたいわけじゃない。ただ罪を赦して欲しかっただけなのに。
助けを求めるにはあまりにも短い落下。
最後の瞬間まで電話越しから何度も何度も狂ったように私を呼ぶ親友の声がしていた。
*
「助けて」と掠れた声が聞こえた。
肉が叩き潰される音と、スマートフォンの呼び出し音が頭の中を支配する。
何度電話をかけても返事は無い。
千里の「グックッ」と喉を鳴らすあの嫌な音と呼び出し音が不協和音のように響いてくる。
*
三宅 来知はカメラを構える。
同い年の男女が救いを求めるように来知を見ている。
「許してくれ! まさかあんなことになるなんて思わなかったんだ!」
男の声は叫び続けたのだろう、嗄れていた。
その横で女が失禁し「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返している。
彼等は制服のまま後ろ手で縛られて薄汚いコンクリートの上に転がされていた。
あとで分かったことだがここは公園にある舞台の跡地だったらしい。
ほとんど人が通らず、凶行の最中何度も上げられた悲鳴には誰も気付かなかった。
コンクリートの床には赤い血でなんらかの紋様が描かれていた。2人の首から血がダラダラと流れている。この血を水で薄めたもので紋様は描かれたそうだ。
来知はその様子をしっかりとカメラに移していた。
生配信をしていたのだ。
千里が強姦されかけ、そして救いを求め殺人に及んだ瞬間と同じように。
千里のその瞬間は世界中に駆け巡った。千里の父親と兄はどこにいったか知らない。
ある日夜逃げするように車に乗りそのまま誰も姿を見ていなかった。
「なあ!! 頼むよ!!」
来知は返事をしない。カメラを三脚にセットするとピントを確認するように手のひらをかざす。
そして確認が終わるとその姿をカメラに映した。
長く黒い髪が青白い顔を縁取りより白く見せていた。泥のような深い黒色をした目は虚ろで、明らかに精神に異常をきたしていると分かる。
ヤクザという職業柄こういった廃人を目にしたことは何度もあったが、まだ10代である彼女の心がここまで壊れてしまうのは痛ましくもあり、悍ましくもあった。
彼女は携帯を耳に当て、カメラには何も語らず、誰かに電話をするように振る舞う。
その電話の先が死人だと犠牲者たちは気が付いていた。
「もしもし、チィちゃん? あのね、あの時の共犯者捕まえたの」
狂っているのに来知の声は驚くほど冷静だ。
片手にスマートフォン、そして片手には包丁が握られている。
「時間がかかってごめんね」
まるでそれが当然のことのように来知は包丁を振り上げ男の腹に突き刺した。男が絶叫する。
横の女も発狂したように喚いていた。
「大丈夫。きっとうまくいくから」
何が、だったのだろうか。
来知は男の腹を切り裂いて暫くその姿を見ていたが、やがて女の方に向き直ると同じように刃を突き刺した。
画面内に真っ赤な血が広がっていく。
手際が良いとは言えない。だが躊躇いも無かった。
2人が苦悶の声を上げ足をばたつかせる様も、ゆっくり動かなくなっていく様も、カメラは全て捉えていた。
来知は死体をじっと見つめる。グッという、奇妙な音を喉で立てながら。
その後何かを待つように死体の周りを彷徨いていた来知だったが、サイレンの音がすると「別の方法を試します」とカメラに向かって言った。
彼女がこちらに視線を向けたのはこれが最初で、最後だった。
来知はカメラをそのままにどこかへと立ち去った。
その後彼女の姿を見たものはいない。
オニツカもこの映像のことはすっかり忘れていた。あの日までは。
*
「オニツカさん、あなたの言う通り私はおかしいのでしょうね。でもいつから……何がおかしかった?
とうしたら良かったんでしょう。教えてくださいよ」
彼は答えるどころかライチを見ようともしない。
この人が自分を忌避していることは初めて会った時からなんとなく気付いていた。
人を殺したライチが許せないのだろうか? だけどこの世界にいるほとんどがそうじゃないか。




