ただ君を守りたいだけ**
ルパートの街はいつだって女神の心臓のように冷えている。
男は白い息を吐きながら手を擦り合わせた。
力の強い化け物が出るというのでここに来たは良いが寒すぎて動きが鈍ってしまう。
チームの面々も寒さに耐えられなかったようで体調不良になる者が続出していた。
ここらで引き返すのが良いだろう……そんなことを考えながら空から降ってくる細かな白い粉を浴びていると、人影が見えた。
よく見るとそれはまだ幼い少女だった。
こんな所に何故一人でいるのだ。
男は近付く。
「こんにちはお嬢さん」
柔らかな髪が揺れ金属製の耳が見え隠れする。少女が顔を上げたのだ。
男はその美貌に息をするのを忘れた。
大きな瞳に長い睫毛。真っ赤な唇が白い肌に浮いて、まだ幼いのに官能的ですらあった。
ゴクリと男が息を飲む。
「こんな所で何してるんだい? 保護者の人は?」
いないならこのまま連れ去ってしまおうか……チームで愉しむのも悪くない……。
男は少女に手を伸ばした。
その時、彼女が丸い何かを大事そうに胸に抱えているのに気がついた。
「それは?」
少女が男を見る。だが彼女はどこを見ているのか、視線が合わない。
もう一度「保護者はどこなんだい?」と訪ねた男の手を少女が握る。
途端、彼の胸の中が幸福感でいっぱいになった。
「言うこと聞いてくれる?」
彼女の声は聞いたことがないほど美しく清らかでいつまでも聞いていたかった。
その声が男のために発せられている。彼は幸せで全身が痺れた。
「なんだって……どんなことだって叶えます」
「そう。なら自分の内臓を取り出して地面に並べて」
俺の内臓を地面に並べる。なんて素晴らしい提案なんだろう!
男の瞳から歓喜の涙が溢れ出す。
「喜んで……」
腰に下げていた剣を握り彼は自分の腹に突き立てた。少女が見ていると思うと痛みを感じない。
彼は腹に空いた穴に手を突っ込んだ。ヌルヌルとする内臓を掴み引き摺り出す。
そのまま白い粉が敷かれた地面に内臓を並べた。
「ほら見て。綺麗だねエルシー。
ヴィヴィアンのことを思い出せる……あの子は良い子だった。あんな風に死ぬべきじゃなかったのに」
少女は丸い何かに向かってそう呟いた。
丸い何かは女の頭部に見えた。だがよく見ていない。彼はとにかく少女を見ていたかったのだ。
男は少女をチラチラと見ながら震える手で内臓を並べる。どうしたら彼女はもっと喜んでくれるだろうか……。
「あれ……?」
だが少女は男を見ていなかった。遠くにいる2つの人影を見ているらしい。
紫色の髪が白い粉の合間に見えた気がした。
「見覚えのある顔だ」
「……お嬢さん……」
男が声を絞り出した。せっかく綺麗に並べたというのに見てくれないのか……。
彼の縋る声に少女がやっと振り返る。
「ああ、どうも。上手だね。
そのままジッとして、動いちゃダメだよ。いいね?」
「はい……ですがいつまで……?」
「死ぬまで」
それは素晴らしい。男は頷いた。
「咽び泣いて喜びなよ、変態に相応しい死に様をくれてやったんだから。
全く、世の中こんなのばっかりで嫌になるね。
……ジーナのこと守らないと」
少女はじゃあね、と美しい笑みを浮かべ立ち去っていく。彼の中の多幸感が消えていく。
男の頭がゆっくりと動き出した。
自分は何故こんなことを。
あの子供に言われたからって内臓を引きずり出してしまうなんて、こんなの異常だ。
慌てて内臓を掻き集めた。血肉はボトボト音を立てて腹に空いた穴からこぼれ出している。
このままじゃ本当に死んでしまう。
しかし彼の意識は徐々に、まるでこの街のように白く……。
*
漂っていた意識が戻ってくる。
半分寝ていたらしい。ライチは身を起こした。
部屋までフリーズに運んでもらった記憶はうっすらある。
自分がなぜ倒れたのかも。
「あ、起きた?」
声がしてライチは大げさに驚いてしまった。
ベッドの横の椅子に人影があったのだ。
布で覆われた窓の隙間からほの明るい日差しが入ってきて兎の面を反射していた。
「ニコさん……」
「おはよう」
彼女は頷く。
ニコは口元に優しい笑みを浮かべていた。
「私どれくらい寝てました?」
そう聞いた途端外から鐘の音が聞こえてきた。
「これで2回目」
良いタイミング、とニコが笑う。
「すみません。迷惑かけて」
「ううん。
大丈夫?」
その声は責めるようなものでもなく好奇心にかられたものでもなく、気遣いが感じられるもので、ライチは胸が絞られたような感じがした。
「私……」
「……何があったかなんて話したくなければ話さなくて良いんだ」
ニコが椅子から降り立ち上がってライチを見下ろした。彼女の微かに震える手を柔らかく握る。
不思議な感触だった。触られているのに温かみも冷たさも感じない。握られているという感触もあやふやだ。
ただニコが手に触れているという事実が視界にはある。
「辛いことがあったんだろう……? 他の人には考えられないくらい、とても辛いことが。
心はそれで千切れてしまった。違う?」
鼻の奥がツンとする。声を出すと泣いてしまいそうで頷くことしかできない。
「それでも君は頑張って生きていた。心がやっとの思いで繋がっていった。
でもまだ、それを思い出すと傷が開いてしまうんだよね。
縫い目の糸が緩んでしまう」
彼女はまた頷く。
「もし……誰かに話すことで糸が結ばれるなら僕が話を聞くよ」
彼は優しくライチを抱きしめた。手と同じ、なんの匂いも体温も重みもない体が彼女を包む。
「僕なら君を救える。
君もわかってるだろう」
ポンポンと背中を叩きニコが離れていく。
それからふと悲しそうな顔になった。
「……マックィーンとやらのことはセシルたちにも話さないといけないかも」
「ああ……」
「セシルがピリピリしてる。まあ、深くは聞かないと思うけど何があったのかだけでも。ね?」
そう言われてもライチに話せることはほとんど無い。
彼との出会いは古すぎるのだ。記憶は忘却の彼方に連れ去られてしまっている。
「昔……行動を共にしていた時があって……」
「昔? 同じチームだったの?」
「あの頃はチームなんてありませんでした……」
「……あの頃?」
「何も無かった……」
ニコが息を止め、戸惑った様子でライチを見た。
「君は……一体?」
彼の困惑の混じった声にライチは返事をしなかった。
代わりに「オニツカさんは今どこに?」と尋ねる。
「多分外でタバコモドキを吸ってると思うけど」
「そうですか……」
自分は話さなくてはならない人がいる。
こちらをジッと観察する黒い瞳を思い出す。
オニツカは最初から知っていたはずだ。
ライチがなぜこの世界に来てしまったのかを。




