壊れた機械*
ギニャアア! というフリーズの珍妙な叫び声でライチは飛び起きた。
色々あってやっとの思いで宿に着いて眠りに落ちたばかりだというのに。
だが砂時計を見て寝てからそれなりの時間が経っていたことを知る。
ドタドタと駆けるフリーズの足音が宿に響く。
一体何が。
ライチは扉を開けて彼女の様子を伺った。
「フリーズさん……? ここ、エルシーさんの宿じゃないんだからあんまり暴れちゃダメですよ……」
勿論エルシーの宿でも暴れてはいけない。
「それどころじゃっ、デカイ女が、ちょっとお前も来い」
「デカイ女?」
なんのことだ。ライチはフリーズに引きずられるようにして駆ける。
連れられたのはマックィーンの部屋だ。彼だけ一行とはちょっと離れた部屋に泊まっている。
「騒がしいな」
扉の奥から女の声がした。女?
扉が乱暴に開く。
「何やってんだお前は」
青い髪の、グレーっぽい肌をした女が出てきた。背がやたらに高く体格も良い。
なぜか上半身裸で大きな胸部が丸出しになっていた。
部屋の奥にオニツカがいる。彼も目を丸くして呆然としていた。
ライチもまた、呆然としていた。この女には見覚えがある。
「なっなんだよあんた!」
「もう忘れたのか?下等なやつだな」
「マックィーン……?」
いつの間にか来ていたセシルが呟く。
背後のジーナが「てっきりオニツカとフリーズが詐欺に引っ掛けたのかと」などと言っている。
「えっ? あのひと女の人だったの?」
「エルシーみたいにコムに呪わせて外見変えてるってことか!?」
ギャアギャアとフリーズが喚く。女は顔をしかめた。
「ごちゃごちゃうるさい。雌になって問題があるのか? 無いだろ」
「どうして女になってるんです?」
物怖じしないジーナが真っ直ぐに尋ねる。
「雑魚の近くにいると雌になる……」
彼女は、いや彼は面倒そうに答える。
「そんなクマノミみたいなのアリかよ!」
「ほんっとうにうるさい!」
「……とりあえず、服を着たらどうですかね?」
セシルが驚きから抜け出せぬまま提案する。この提案にマックィーンは不思議そうな顔をしていたがオニツカに服を押し付けられ渋々従っていた。
「不自由な奴ら」
「性別が勝手に変わる人からしたらそうだろうけど」
「お前らが雑魚なのが悪い」
彼はやれやれと首を振る。青い髪が揺れた。青い髪。こんな髪の色の持ち主をライチは1人知っていた。
鱗が生えた肌をした、赤い目をした、不死身の、名前も知らないあの女。
……そうだ。あの赤い腕。どうして今まで気付かなかったんだろう。
壁に掛かっていた上着を着ようとしたマックィーンは何か思い出したように声を出した。
赤い瞳がライチに向けられる。
「そうだ、これ」
何かを彼女に差し出してくる。
鱗の生えた手が金属の四角い板を掴んでいる。
黒い液晶は粉々に割れカバーも外れていた。
それを見た瞬間、劈くような電子音と肉が叩き潰される音が脳内から溢れ出した。
「中々会えないから返せなかったけど大事なものなんだろ」
違う、大事なのはこれじゃない。
「なんであんたがこれを持ってる」
「お前が落としたのを拾ってやったんだ。
言っておくけどその時から動かないんだからな。俺が壊したんじゃない」
「……そんなはずない」
ライチを呼ぶ声がする。電話越しの声がする。
喉がグッと鳴る。
突如、崩れかけのスマートフォンからヒビ割れたような電子音が響いた。
彼女はマックィーンからひったくるようにスマートフォンを奪い取る。
「もしもし!?」
必死でライチは声を上げるが電話の向こうの声は聞こえない。スマートフォンが壊れてるからだ。
「どうしよう」
ライチを呼ぶ電子音は止まらない。ずっと彼女に助けを求めている。
「だ、だれか。携帯貸してください……電話しなきゃ……」
彼女は縋るようにチームの面々を見渡した。しかし皆一様に戸惑うような目で見つめ返すだけで、動こうとしない。
「お願い……早くしなきゃ……」
「……ライチ。電話は鳴ってない……」
フリーズが小さく言った。
彼女は何を言ってるんだろう。今だってすごくすごく大きな音で鳴っていて、フリーズの声がかき消されそうなほどなのに。
「聞こえないんですか……?」
「電源付いてないだろ?」
そうだ。スマートフォンの画面は真っ暗なままだ。
でも確かに音がしている。
頭がおかしくなりそうなほど大きな音で。
「音、消して欲しいか?」
マックィーンが体を屈めてライチの顔を覗き込んだ。彼女は必死で頷く。
「わかった。消してやる。
動かないで頭を下げてろ」
彼は首を垂れるライチ目掛けて脚を振り下ろした。
右側頭部にとてつもない衝撃が走る。耳の奥がキンと鳴る。
体が床に叩きつけられ痛みで喚くがそれでも脚はどかされず、彼女の首からメキメキと音がした。
そして耐え切れなかった首は容易く折れる。壮絶な痛みがライチを襲った。
セシルが何か叫びながらマックィーンに掴みかかっているのが見える。フリーズが大きく口を開き横にいたオニツカの手を掴んだ。
だが誰の声も聞こえない。
聞こえるのは電子音だけだ。
これはライチの幻聴なのだ。
スマートフォンは壊れて動かない。電話は誰からもかかって来ない。
*
オニツカは突然のことに体が動かなかった。
潰れた肉の合間に見える黒い瞳と視線が合った気がして慌てて逸らす。
凶行に及んだというのにマックィーンは落ち着いた様子で、怒鳴るセシルに対し「ああするしかないだろ」と言っていた。
「よくもこんな惨いこと思いつくな!!」
「死ぬより幻聴を聞き続ける方が辛い」
「アイツは死んでも意識は消えない! 殺したって幻聴を聞いてるんだ」
「そうだ。死んでも蘇る。意識は続く。
でもこうしないと何が本当で何が妄想なのかわからない。
妄想だってわかれば少しは弱まる」
セシルはまだ何か言いたそうだったが、言っても無駄だと思ったのかマックィーンから離れてライチの方に駆け寄った。
ジーナは手首を抑えてライチの時間を巻き戻している。
ニコが体を揺すっていたがライチはボンヤリとして瞳に生気は戻っていなかった。
「……オニツカ……」
フリーズの手が震えている。彼は手をギュッと握って、離した。
「ライチちゃんのこと部屋まで運んであげな」
「そうだな……」
フリーズは相当ショックを受けたようで足取りがフラついていた。
仲間が目の前で傷付けられたショック……ではなく、ライチの正気を失った姿にショックを受けたのだろう。
オニツカは床に落ちていたスマートフォンを拾い上げる。
機体横のボタンを押すが勿論動かない。充電云々ではなくそもそも機体がこれだけ傷付いていれば壊れているだろう。
「ライチちゃんはこれを使って誰かと電話……話をしてましたか」
こちらの様子を眺めているマックィーンに尋ねる。
しかし彼はオニツカの質問に答えなかった。
「俺はソレをライチに返したい」
「……渡しておきますよ」
「頼んだ」
長い尻尾がゆらりと揺れた。
いつかライチは何か恐ろしいことを引き起こすと思っていた。だから警戒していた……だがもしかして、もう起こっているのだろうか?
彼が想像もできないような何かが。
……タバコが吸いたい。
アレがあればオニツカの不安など煙に溶けていくのだから。
ライチのあの目が怖い。暗く濁った泥のような目をしている。自分はいつかあの泥に引きずり込まれる気がした。




