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微かに汗の匂いがした

街の境目に二つの人影が見える。

セシルたちチーム一行はその人影に近付いた。

コムは普段と変わらない無表情だったが、マックィーンの方はというと不満げな表情でこちらを見下ろしている。


「じゃあ、お願いします。ケイト様も後からルパートに行くそうですので」


「はいはい……」


セシルは少し面倒臭そうに返事をしていた。

それを聞きながらライチは忘れ物は無かったか頭の中で反芻する。

10日分の日数が肉体に加算されることになるがその距離なら2回宿に泊まれば着く程度の距離だろう……気候にもよるが。

エルシーは未だ協力的でまた何かあればいつでも寄って、と言ってくれた。

ライチは彼女のことはすっかり好きになっていたしルパートでの用事が終わればすぐにでもエルシーの宿に戻りたかった。


……だから旅立ちの時見送りの場に彼女がいないのは残念である。

起きてから彼女を探したが姿は見当たらず。仕事があるので仕方ないことだがせめて出発前に一声かけたかった。


「マックィーン。言ったこと忘れるなよ」


「わかってる」


静かにマックィーンの姿を伺う。2メートル近くある大柄な男だ。威圧感がある。

鱗の生えた黒い肌も異質な雰囲気を増加させていた。


「なあ」


フリーズがライチの耳元で囁く。


「お前本当にアイツのこと知らないの?」


「アイツ? マックィーン……さん、ですか?」


「そうそう」


そういえば前もそんなことを聞かれた覚えがある。だがライチは首を振った。


「知らないです」


「……向こうはお前のこと知ってるみたいなんだけどな……。一方的にってことか?」


「そうじゃないですか……? さすがにあんな人見たら忘れないと思います……」


そう言ってから、果たしてそうだろうかと思い直す。

何か引っかかる。……この世界に来て間もない頃……?

だが少なくともあの男では無いはずだ。


「ルパートまで何もないと良いけど」


ニコの呟きがライチの耳に入った。

ライチもそうなれば良いと思う。だがただでさえこのチームは平穏な日々を送っていないのだ。

不安要素のマックィーンが投入され何もないなんてことはないだろう。


*


家畜や、車のような機械があればと移動の度に思う。

もちろんあるにはあるのだが、残念ながら普及していない。食用の小さな家畜はまだしも、大きな家畜は化け物の攻撃に逃げ遅れたり奪われたりしてひとところにいることは少ない。

車も同じようなもので作り手が化け物に殺されたりして中々数が増えないようだ。

鉄道を作る計画はあちこちで立てられているが未だに完成していないところを見るにうまくいっていないのだろう。化け物が襲ってくる街の端で作業をするのは困難を極める。


だからライチたちは歩いて行くしかない。

気候の良いところは進みも早くなるがそうでないと遅くなりがちだ。

先導するように歩くマックィーンの後ろをチームはついて行く。

勿論フリーズは最後尾、マックィーンから最も距離を取った位置である。

セシルとニコも未だに怪我が痛むからかマックィーンに近寄りたくないからか後ろの方をノロノロ歩いている。元々セシルは持久力がある方じゃないのでああやって体力を温存しているのかもしれない。

ライチはマックィーンに続くジーナの横を歩く。

彼女は男の揺れるトカゲのような尻尾をしげしげと見つめていたが不意に空を見上げた。


「見晴らしが良いわね」


ほっと彼女は息を吐く。トッコを抜け、ピンキーを抜け、ゲスを抜け、アンジェリックを抜け……ちょうど折り返し地点で待っていたのは草原広がるキャトルの街だった。

時々、爽やかな風が一行に吹く。これでもう少し涼しければ居心地が良かっただろうに。

ライチは東京に吹く熱風を思い出した。あれに比べればマシだ。


「いい天気です」


「ちょっと暑過ぎない? 溶けちゃいそう」


「ウクライナって寒いですもんね……」


冬国の彼女からしたら耐えられない暑さなのかもしれない。

後ろを見るとセシルも暑さに喘いでいる。


「デンマークも寒いですよね」


「でしょうね。行ったことないから分からないけれど」


「私も……というか、海外に行ったことないです」


東京から出たことすら数えるほどしかない。


「私もよ」


「そうなんですか? 大抵の国は地続きだから海外旅行行きやすいと思ってました」


「……家から出るのすら面倒だったから」


ジーナは目を眇め遠くを見ている。

ジェイコブスのせいで、ということだろう。ライチも同じように遠くを見る。

それらしい人影は無いが付いてきているのだろうか……。


「見つかります?」


「……わからない。いるのかしら?

あの人だって忙しいだろうし暫くは近くにいないと思いたいわね」


「ヴィヴィアンのことか?」


低い声が降ってきてライチは肩を揺らした。

マックィーンがこちらを振り返っている。

話を聞いていたらしい。


「そうです。

わかります?」


「どこにいるかは分からない。

けど今まで離れなかったアイツがお前から離れるわけないな」


顔を歪め面倒そうに彼は答える。あの男のストーキングっぷりは人外すら呆れるほどなのか。

ライチの喉が鳴る。


「早く捕まえて排除しなきゃ」


拳を握りそう呟くとジーナが嬉しそうに笑う。


「ありがとう。私もそう思うわ。

でも私たちが直接手をくだしたらダメなのよ……なんらかの事故で、惨たらしく死んでもらわないと……」


ジーナは少し寂しそうだ。諦めているのかもしれない。それがライチには無性に悔しかった。


「どうにかしてやりたいのに」


「意外ね、あなたがそんなこと言うなんて」


「……そうですか?」


「攻撃的な方じゃないじゃない。むしろ消極的」


「無理やり好意を押し付けてくる人嫌いなんです」


喉を鳴らすのが止められない誰かに迷惑をかけている当人が悪いのだからそんな人死んだって殺したって構わない。


「……ライチ? そんなに思い詰めた顔しないで大丈夫よ」


ジーナの白い手が優しくライチの頭を撫でた。


「はい……」


柔らかな手付きにライチの心も凪いでいく。

その様子を見ていたマックィーンが鼻を鳴らした。


「厄介だな」


「厄介だと思うならなぜジェイコブス……いえ、ヴィヴィアンをそのままにしてるんです」


「え? ……ああ。

そもそもアイツのせいでめちゃくちゃにされた自治チームが何個かあったからって、ケイト様のところまで回されたんだよ。

他の奴はまだしもケイト様なら素手で触れないから祝福にかからない」


ジェイコブスの祝福は愛情だ。触られると彼に愛情を持ってしまう。

だがケイトは全身燃えている。たしかにそれならば祝福にかかることは……ジェイコブスが大火傷を覚悟しない限り、無いだろう。


「アイツの祝福を欲しがる奴は多いからケイト様も殺しはしない。化け物に触れさえすれば遺骨と同じ能力なわけだしな。

それに覚えていれば仕事は早いし期待値を超える」


「だから殺さない?」


「そういうことだ。

お前はヴィヴィアンのツマっていうのなんだろう? 番いみたいなやつ。

殺して欲しいのか?」


妻の概念をマックィーンは知らないのだろうか? 不思議そうな顔でジーナを見下ろしている。


「結婚してたからって愛し合ってるわけじゃありません。

死んで欲しいですよ」


「ふうん。

……なあ、ケッコンってなんだ」


「夫婦になる契り……で分かります?」


「なんとなく」


「あなたってどういう世界から来たんです」


ジーナは眉をしかめて彼を眺め回す。ライチもそれは気になった。

鱗の生えた、腕の四本ある生き物はどこから来たのか。


「どういうって聞かれてもな。

ここに比べると乾いた場所だったよ」


「皆あなたみたいに鱗が生えてるんですか?」


「ああ……。鱗が生えてるのがそんなに珍しいか?

ケイト様もよく剥がしてくる……」


ライチの脳裏にスプーンで鱗を剥がされる、虚ろな目をした鯛の姿が浮かぶ。


「痛そう……」


「痛いに決まってる」


当たり前だろとマックィーンはライチを睨んだ。


「結婚っていう概念が無いなら代わりに何が?」


ジーナはマックィーンの生態に興味があるらしい。……というより、結婚が無いというところに惹かれているのかもしれない。


「お前たちは一対の雌雄が番って、それがケッコンになるんだろ。

俺のところはそうじゃなくて女王に選ばれた奴等だけが生殖活動をする」


「……奴等? 複数人?」


「そう」


ハーレムだ! ライチは目を見開いた。ジーナも同じように目を見開いている。


「女王に選ばれなかったら……」


「俺の話はもういいだろ。

それよりセシルとフリーズが動かない」


慌てて後方を振り返る。

いつのまにか2人はチームと離れていたらしい。10メートルほど離れた位置でフリーズがセシルの背中にのしかかっていた。

集中力が切れたのだろうか……怪我人相手に容赦が無い。

抵抗する気力も無いのかセシルは伏せの状態で虚ろな目をしている。


「ワア!? セシルさん!?」


「ニコもオニツカも見てないでセシルの背中の重荷蹴飛ばしなさいよ」


走り出したライチの後をジーナが続く。


「ど、どうしたんですか」


ライチが駆け寄るとフリーズがちらりと彼女を見て手を伸ばしてきた。


「もう疲れたー。少し休もうぜ?」


「オニツカ。早く起こして」


「なんで俺? わかった、睨むなよ。

ほらフリーズ……マックィーンもいるからもう少し頑張れ」


「ニコもセシルも怪我人なんだから、もっとゆっくり歩けよなー」


「その怪我人の上に乗ってるのは誰だ……?」


地を這うようなセシルの声に圧されたのかオニツカがフリーズの腕を引いて無理やり立たせている。


「すみません、歩くの早かったですよね。

痛みますか……?」


額に汗を浮かべ疲れ切った顔をしているセシルに声を掛けると、彼はゆるゆると首を振った。


「暑い……」


「ああ……。お水飲んでください。

余ってますか? 私のいります……?」


「大丈夫……」


大丈夫じゃなさそうだ。

それはそうだろう。もうだいぶ長いこと歩いた上でこの天気。

ライチは水を渡し、タオルでセシルの汗を拭ってやる。


「ライチちゃんってば……甘やかさなくていいって。

インドで密猟してたんだよ? インドだよ? もっと暑いに決まってる。行ったことないけど」


「……こんな毛皮背負ってなかった」


こっそり彼の豹の毛皮に手を伸ばす。艶やかな毛並みは今はご遠慮したいほど暖かい。いや、熱い。


「あーそっか。剃れば?」


オニツカのケロっとした言葉にセシルが思いっきり顔を歪めた。


「今自分が五体満足なことに感謝しておくんだな……。

自分の肉体がどれだけ素晴らしいか失ってから後悔しても遅いぞ……」


「こわー」


「セシルは不満ばっかだねえ。良いじゃん豹。僕はかっこいいと思うよ」


「かっこよくたって機能性が悪い!」


叫びながらヨロヨロとセシルは立ち上がる。疲れは取れたのか。顔色はあまり良くないので、とにかく早く宿に着きたいのかもしれない。


「機能性って……機械じゃないんだから」


「ニコさんは大丈夫ですか?」


「うん。全然。

元々大した怪我じゃなかったし」


彼は先を歩くマックィーンとジーナを見る。


「先に行ってるけど、ゆっくりついておいで。

大丈夫だから」


「はい」


ライチはホッと息を吐く。ニコがそう言うなら大丈夫なんだろう。


「じゃあオレ様たちはゆっくり行くわ」


「フリーズは歩くのに飽きてるだけでしょ。

早くしないとまたマックィーンに腕切られるよ」


「脅しじゃないから困るよなあ」


「この街出たら気温も変わるから楽になるよ。

それにルパートは寒いらしいからこの気温を楽しんでおこうよ」


「えー。オレ寒い方が嫌い……」


フリーズはぶつくさ文句を言っていたがスタスタと歩くオニツカの後を追うように駆けて行った。

残されたのは二人だけだ。


「ゆっくり行きましょう」


「……うん……」


ヨロヨロと歩くセシルに、ライチは不覚にもキュンときた。可愛い。


「ルパートが寒いなら少し過ごしやすいかもしれませんよ」


「そうだなあ。

日本は暑いだろ。寒いのは平気か?」


彼女は頷く。異世界に来る前の気温や匂い、風の吹き方は微かな記憶でしか残っていない。

この世界の暑さも寒さも、痛みすらもただ慣れた。


「お前は丈夫だな。体力もあるし」


「そう、ですか?」


「文句も言わない。偉いよ」


セシルが乱暴にライチの頭を撫でた。それが彼女にはすごく嬉しく、なすがままになる。


「……綺麗な髪だな」


彼の指がスルリと髪に絡まる。


「こんな世界なのに手入れできるもんなのか?」


「いえっ、死ぬと体がリセットされてここに来た当初の姿になるみたいで……。こっちの世界に来た時はそれなりに綺麗にしてる、つもりでしたから」


「ああ……」


納得したように頷いた彼は指を動かしライチの頬に触れた。熱い温度に彼女は息を飲む。


「肌も綺麗だ。

永遠にこの姿になるってことだな……」


ゆっくり顎を持ち上げられる。セシルの目とぶつかった。

ライチの頬は徐々に赤くなっていく。

これじゃまるで……。


「なあ、これから俺が何するか分かる?」


ライチはぎこちなく頷いた。微かに体が震える。

そんなわけが。セシルが? 疲労から自分にとって都合の良いように解釈してるだけなんじゃないか?

混乱するライチをからかうように彼は顔を近づけてくる。


「言ってごらん」


耳元で囁かれカーッと熱くなる。堪らなく恥ずかしい。だがセシルは急かすようにライチの喉を撫でる。

風に搔き消えそうなほど小さな声で「キス」と答えた。

しかしライチなんかにセシルが? 彼女は答えを間違ったと思い「間違えました」と言おうとした。

彼はかすかに口角を上げ頷いた。


「そうだ。

この距離なら呼べば誰かしら気が付く。逃げるなら今のうちだ」


ちらりと先を行くチームを見た。もうマックィーンとジーナの姿は遠いがフリーズが跳ねるように歩き、その後ろを呆れたように続くオニツカとニコが見える。

こちらの方は見ていない。


今のうち。

ライチは背伸びした。

セシルの目が細められる。腰に回された手が熱い。

自分はどこに手を置けばいいのか。必死で考えライチは彼の胸に手を置くことにする。


「ずっとこうしたかった」


覆いかぶさるように彼の体が近付き、柔らかい唇が触れ合った。

ハア、と熱い息がかかる。彼女はドキドキして錆びた機械のように緊張した動きで彼から離れる。


「……い、行きましょうか」


真っ赤な顔をしてライチはザクザク歩き出した。

恥ずかしくてセシルの顔が見られない。

後ろで彼は忍び笑いをしている。


「ああ、そうだな。お陰で元気になったよ」


「それは良かったです……」


「気を利かせてくれたニコにもお礼を言わないとな」


彼の言葉にライチはそうですね、と同意した。

ニコには感謝しなくては。


「ライチちゃん? 顔赤くない……?」


「そっそんなことは。あるかもしれない。熱中症ですよ。死ねば治ります。だいじょうぶです」


「……セシル……」


「何?」


「まあまあ! オレはよく我慢した方だと思うぜ!」


「ほとんど何もしてないって。まだ」


「俺、忠告したんだけどなあ……」


「怒んなって」


「怒ってない。心配してた」


「迷惑かけねえよ」


「どうだろう」


「ライチが望んでるなら良いんじゃない? ね?」


「ジーナは怒りそー」


*


「……お前たちっていつもこうなのか?」


「こうって言うのはどういう意味でしょう」


「隙あらば抱き合って。そんなのは後にしてさっさと歩けと思うんだが」


「誰と誰が、です!?」


「せ、セシルとライチ……」


「抱き合って!?」


「う、ん」


「あのクズ……ついに手を出したわね……」


「そんな怒らなくても」


「私が何で怒るかは私が決める!」


「はい……」

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