狂った生き物*
ライチは拳を握る。耐えなくては。
「そんな怒らなくても良いだろ? ちょっと賭けしてたってだけだよ」
「知らない人と話したくない」
街を出てすらいないのにこれだ。
フリーズは目を離した隙に賭け事を始めニコは通行人とトラブルを起こした。
これから先が思いやられる。ライチはため息の代わりに喉をグウッと鳴らした。
「早く行きましょう。ロペまで歩きますし、ニコさんの怪我も治ってないんですから」
「君が僕の内臓にダメージを与えたんじゃ」
「い、いや、でもあれは仕方なくですね……」
「冗談。早く行こうか」
ニコは微笑み先を歩き始めた。
街を抜けるとそこはすぐ岩場になる。暫くすれば隣のシップスに着くだろう。
歩きにくいためライチが慎重に歩いていると、突然何か赤いものが視線を横切った。
それはフリーズの頭に真っ直ぐ飛んで、そして彼女のツノをひっ摑んだ。
「なんだ!?」
フリーズが慌てて首を振る。
ライチは声が出なかった。それは赤い腕だ。
鱗の生えた赤い……。
「まずい、マックィーンだ……」
ニコが呆然と呟く。
「は!? うわ!?」
ツノを引っ張られフリーズは大きく体がよろける。
なんとかしなくては。ライチはフリーズの側に駆け寄り腕を引き離そうとした。
彼女たちの上に暗い影が落ちる。
「久し振りだな」
低い男の声が降ってきた。あ、と思う間も無くフリーズが地面に打ち付けられる。
「フリーズ。またお前は悪さしに来たのか?
腕を切ってやったのに懲りない奴だ」
「ま、マックィーン……さん」
異様な男だった。筋肉質な体には黒い鱗が生えぬらぬらと照り輝いている。
青みがかった黒く長い髪は一つに結ばれて背中に流れている。視線を辿っていくとこれまた長い尻尾が見えた。
真っ赤な目は愉快そうに三日月型に歪んでいる。
微笑む口元には牙が見え隠れしていた。
人間なのだろうか……。ふとライチの脳裏に何かが過ったが、それが何か分かる前に頭がズキズキと痛み吐き気に襲われた。
「オレっ、なんもしてないんすけど!」
「まだ、な。
またケイト様の武器を盗む気か? それとも遺骨?」
そう言いながらもマックィーンはフリーズの腕を捻り上げた。彼女の喉からくぐもった悲鳴が漏れる。
「ちょっと! 離してください!」
気分の悪さをこらえながらライチが間に割って入るが、彼女の細い首を赤い腕が掴んだ。
「俺はコイツと話している」
首を捻り上げられ、ゴキッと何かが折れる音がした。
そのまま放り投げられる。ライチの体をニコが抱き止めた。
「ライチ!!」
「殺したのか……!?」
「別に良いだろ。死なないんだから」
「ライチ! しっかり!」
しっかりも何も死んでいる。だが意識はあった。
動かない体でニコを見つめる。首が折られたことで頭が揺れ、視界が安定しないが彼は面を外しているのは分かった。
槍を降らせるのだ。
「ニコ!」
遠くからセシルの声がする。
彼はその声を聞きながらも、マックィーンに向かって槍を突き立てた。
こちらを伺うように野次馬していた住民の悲鳴が聞こえる。
「うわあ! あぶねえな!」
真っ赤な血飛沫が飛ぶ。フリーズは慌てて飛び退いた。
「ちゃんと外したでしょ」
フリーズはニコの方に駆け寄る。二人……と死んでいるライチはマックィーンを見つめた。
彼は槍を腹に突き刺されながらニヤリと笑うとニコの方に腕を伸ばして来る。血液がボタボタ腕を伝って落ちた。
その腕をセシルが止めた。
「なんでこんなことに」
彼は戸惑うように何度も血塗れの男とニコたちを見比べた。
「手を出したのはそっちだぞ」
「あんたがオレを!」
「いい、お前らはオニツカ達と合流しろ」
セシルが怒りを孕んだ目をマックィーンに向けているのが見える。
「セシルどうしてここに」
「小屋の鍵を渡し忘れたと思ったんだ。
だがもういい」
彼は背中のボウガンを構える。
「流石に、やられっぱなしじゃ腹立つだろ」
セシルの怒りに震える声を聞き、ニコがフリーズの手を引いた。
「行こう」
フリーズは頷くとニコからライチの体を受け取って早足で歩き出した。
「アイツも不死身だってことか……」
フリーズがため息と共に言葉を吐き出し首を振る。
ライチの頭上をツノが掠めた。
「……ライチと同じ?」
「そういうことだな。
……なあ、ライチさ……」
彼女はフリーズの方に顔を向けようとしたが首がガクンと揺れる。まだ骨は繋がっている途中のようだ。
「……まあいっか。
それよりマズイことしちゃった」
「うーん。僕が、かな?
セシルめちゃくちゃ怒ってたね」
「絶対オニツカになんか言われる……」
「言うだろうね。でも君のことが心配なんだよ」
ライチはセシルに任せておけば大丈夫だ、と伝えたかったが治りかけの体で言葉を紡ぐのは難しかった。
代わりに震える手でフリーズの体を抱きしめる。彼女は優しく抱きしめ返してくれた。
「良かれと思ったことが全部裏目に出るんだよ」
フリーズの怯えた声がライチの耳に残って消えない。
*
それはフリーズがセシルたちのチームに入ってしばらくのことだった。
彼女は首から下がった御石を触る。
フリーズは正直なところ……遺骨も、その正体を知っていそうな蘇生の祝福も、どうだっていい。
だが、同じ「地球」から来ただけあってか彼等と一緒にいるのは案外悪くない気分で、フリーズはすっかりチームを気に入っていた。
今までいたチームは気が合わなかったり、内部分裂が起こったりと落ち着かなかった。片方のツノを切り落とされたりもしている。
それに比べるとセシルたちは随分居心地が良い。
彼等の為なら少しくらい何かしても良いかな、という甘い考えがよくなかったのだろう。
居酒屋に燃える人型があった。
なんだあれ、と近くに居た女に聞くと彼女は慄いた顔をして「地区長よ」と小声で答える。
あれが地区長ケイト……? フリーズは首を傾げる。人というよりは物体にしか見えない。
燃える体は金属の椅子を熱している。そうか、この居酒屋は内装が石と金属でできているからケイトは入ってきたのか……。
フリーズがコソコソ彼女を観察していると、一人の大柄で筋肉質な男がケイトにカップを渡しているのが見えた。
黒い鱗の生えた変な男だ。彼は嬉しそうにケイトに向かって何か話している。
ケイトの落ち窪んだ眼窩も彼に向けられているようだ。
ふと、ケイトの横の机に黒い物体が無造作に置かれていることに気がついた。
あれは……。
フリーズは目を剥いた。
銃だ。拳銃だ。なぜあんなものがこの世界に?
ケイトの物だろうか……。彼女は地球から来た誰かと親交がある?
好奇心が湧いたフリーズは、よせばいいのに、銃を見てこようと考えた。出所を知りたかった。
銃があればもう少し戦いやすくなる。
多分セシルはボウガンより銃の方が扱い慣れてるんじゃないだろうか。ボウガンを撃ちながら扱いにくいと舌打ちする姿を見るとそう思う。
気配を消し息を潜め物を奪うことはフリーズにとってアルファベットを習うより前からできることだった。左右どちらの手でも気付かれずに相手の懐から財布を盗むことだって。
彼女はフッと息を吐くと自然な仕草で椅子から立ち上がると、まるでそちらに知り合いがいるかのような振る舞いをしながらケイトの方へ寄った。
銃はあと数十センチだ。彼女はまだ銃の方を見ない。
周りはフリーズに気が付いていない。ケイトですら。
あと数センチ。そこでフリーズは左手を伸ばした……が、彼女の指が固い金属に触れることはなかった。
一瞬の冷たさの後、熱と痛みが彼女の左腕を襲った。
「何やってるんだ」
赤い瞳が彼女を見下ろす。
ケイトの横にいた男だ……。銃に触れる寸前のところで彼に気付かれたらしい。
だがおかしい。男のいる場所からじゃフリーズを切りつけることは不可能だ……。間にはケイトがいるし周りに人も多い。
そう思ったが中空に浮かぶ刃物を持った赤い腕を見てフッと息を吐く。この腕もまた男の腕であり、意思を持って彼女を切りつけたのだ……。
男は黒い腕に何かを持っていた。あれは、フリーズの手だ。
彼女は自分の左手を見下ろす。途切れた腕から真っ赤な血が溢れ出していた。
「あ、ああ……」
フリーズの喉から掠れた悲鳴が漏れる。
周囲の客もまた、悲鳴を上げていた。
左腕が……!
フリーズは床に倒れ込んだ。目の前が白く染まっていく。
「マックィーン……店の中で、暴れるな」
嗄れた声がする。赤い炎が揺らめきながら近づいてくる。
これがケイトの声なのだ。話して動いてもなお、フリーズにはそれが人だと思えなかった。
「ケイト様。この女があなたの武器を奪おうとしていました」
「……なるほど……。全く、舐めた真似をしてくれる……な」
大量に血を出したせいで意識が遠くなって行く。だが気絶する訳にはいかない。この男が……フリーズの切り落とされた腕を食べているこの男は、気絶する前に彼女の首を切り落とすだろう。
逃げなくては。フリーズは這うように体を動かそうとした。
「おっと」
マックィーンがフリーズの左肩を踏んだ。傷が痛み甲高い悲鳴が漏れた。
「どうします?」
「……別に、腕を切り落とす……必要は無かった……んだが。
食べちゃったのか……」
「マズイです」
「なら……食べなければ、いいのに。
さて。君をどうしようか……」
空っぽの眼窩がフリーズを見ている。
「なんで、私の……武器を……奪おうとした?」
「……銃が……」
フリーズは息も絶え絶えに話す。
「見たかっただけだ……」
「ふうん……。銃(pistolet)のことを……知ってるんだな……」
pistolet? フリーズは白く染まる視界の中疑問が浮かぶ。
フランス語か? いやロシア語?
なんにせよ、やはりこれはフリーズもよく知るものなのだ。
「マックィーン……この女に、見覚えは?」
「セシルのところで最近見ました。
名前はフリーズ」
「セシル……? ああ……獣の体の……。
連れて来い……」
フリーズは目を見開いた。
自分たちのことを知られていただなんて。
驚きが伝わったのだろう、ケイトの喉から不気味な笑い声が聞こえる。
「マックィーンは……記憶力が良いんだ……」
褒められたマックィーンは得意げな笑みを浮かべている。
自分の返り血を浴びた男に向けられる表情としては最悪の部類だろう。
彼は「探してきます」と、尻尾を大きく振りながら店を出て行く。周りの客は真っ青な顔をしてマックィーンを避けていった。
「君に……死なれては、困る……。
店主」
ケイトが黒い二つ並んだ穴を、太った女の方に向けた。
「手当を……」
店主と呼ばれた女は青褪め引き攣った顔をしたままフリーズに近づいてきた。震える手で切断面の止血を始める。
バケモノがいるせいか、この世界の人々……特にこうやって店を構えるような人は応急手当ては当たり前のようにできるのだ。
最も、目の前で惨状が起こることには慣れていないだろうが……。
手当されている間、ケイトは興味深そうにフリーズを見ることはあっても何も話さなかった。
そしてマックィーンが戻って来る。背後には白い顔をしたセシルもいた。
「フリーズ!!」
「……セシル……」
彼はこちらに駆け寄ると「何したんだよ」と責めるような、悲しそうな声で聞いてきた。
「……銃、が。あったんだ。ちょっと興味があったからさ……」
「それだけか? 馬鹿だなお前は!」
「……ごめん」
フリーズが謝ると彼は重々しく息を吐いた。
それだけだった。もっと怒鳴られたり、詰られたりすると思っていた。だが尻尾は苛立ちを表すように何度も左右に揺れている。
言いたいことはまだ山ほどあるのだろう。
「……彼女は返してもらえるんですよね」
「別に……私は、特に怒ってない……」
「え? なんでですか?」
マックィーンが驚いたように声を出す。
「……お前ほど、血気盛んじゃないんだよ……。
ただ……銃か、それを、知っている理由は……?」
「地球、いえ私たちの世界では当たり前にありましたからね」
「……そうか」
「何故あなたたちがそれを持っているか聞いても?」
セシルの質問にケイトは、また喉から不気味な声を出した。
「素直に聞けば……教えたものを」
「ですよね」
「でも、これ以上何も……しない。
……腕を……食べたのは……申し訳ないと思ってるよ」
「食べ……?」
セシルがゾッとした顔をする。
「……悪いな。くっ付けることは、難しくなった……」
ケイトが意味ありげにマックィーンの方に顔を向けていたが彼は平然としていた。
「治療師のところに、連れて行くんだろ……。マックィーン、手伝ってやれ」
「そんな」
フリーズが悲痛な声を上げる。セシルも苦虫を噛み潰したような顔になるが、マックィーンは構わず「了解です」と言った。
それから赤い腕でフリーズの足を、肩から生えている黒い腕でフリーズの肩とツノを持ち上げる。不自然な姿勢に彼女は悲鳴を上げた。
「ちょっと何してるんですか」
「運ぶんだろ」
「拷問してるのかと思いましたよ。
私の背中に彼女を跨らせてください……」
マックィーンは、怪我人に気遣うことなくまるで荷物のようにフリーズを豹の背中に乗せた。
小さくセシルが呻いたが気にしないことにする。
「……腰が死にそうだ」
「歩けるのか」
「大丈夫です……。落ちないようにフリーズのこと支えててくれますか」
赤い腕がフリーズの首を掴む。
さっきから、何故よりによってそこを持つ? というところばかり掴んでくる。
手当してもらったとはいえ意識が飛びそうだ。もうフリーズは何も言えなかった。
「覚えて、おくよ。セシル……フリーズ……」
炎の中から女の声がする。その声にセシルは返事をせず、慎重な足取りで店を出て治療師の元へ歩き出した。
体が揺れる。痛みは既に感じず漠然とした息苦しさだけがあった。
荒い息を吐きながらフリーズが落ちないようにバランスを保っていると後ろから声がかかる。
「そういえばお前たちは同じ地域の出身なのか」
「そうですが……」
「全員? チキュウ?」
セシルは鬱陶しいのだろう、おざなりに「そうです」と返事をする。
「チキュウ人集めてんのか」
「……そうです」
「ならライチってのいるか?」
ライチ。その時は聞いたことない名前だった。
彼女の名前を聞いたのはこれが初めてのことだった。
「いませんが……。なんでですか」
「返したい物があるけど、わざわざ会いに行くようなことでもないからな。もし知ってるなら渡しておこうと思っただけだ」
「その人は今どこに?」
「多分ロペかな……。大きな街の大きなチームにくっ付いてるはずだ。
チームに入れたいのか?
力が無いわ、闘いに役に立つ祝福じゃないわで散々な奴だよ」
思案するようにセシルは「そうですか……」と呟く。
どんな人であろうと地球から来たと分かれば彼は迎えに行くだろう。居心地が良いという単純な理由だけではなく、遺骨や蘇生の祝福の手掛かりになるからだ。
「どういう知り合いなんです」
この質問にマックィーンは答えなかった。彼の顔を見ると何故か微笑みを浮かべている。
不気味に思ったのだろうか、セシルはそれ以上何も聞かなかった。
治療師のところまでフリーズを運ぶとマックィーンはパッと彼女から手を離した。
突然のことに体が揺れる。
「危なっ!」
「え? ああ、まだ持ってなきゃダメか?」
「降ろすの手伝ってください……あー……腰が……」
「難儀な体だ」
乱暴な手つきで彼はフリーズを引き摺り下ろす。もう彼女は為すがままになっていた。
祝福で血を増幅させているとはいえ痛みが無いわけじゃないのだ。気力が削られる。
「そこの子供は? 関係あるのか?」
マックィーンは虚空を指差す。なんのことだ?
フリーズとセシルは顔を見合わせた。
「関係無い、ですね?」
「……そうか。
じゃあな。次は無い」
くるりと身を翻しマックィーンは去って行く。フリーズは大きく息を吐いた。
「歩けるか?」
「まあなんとか……」
セシルの肩を借り彼女はやっとの思いで治療師の部屋に入り、藁のような植物で出来たベッドに腰を下ろした。
「……さてと。言いたいことは山ほどある」
「……悪かったよ……」
「二度とこんなことするな」
エメラルドグリーンの瞳がまっすぐにフリーズを射抜く。
彼女は頷いた。マックィーンに掴まれていたせいで首がズキズキと痛んだ。
「分かった」
「……何が分かったんだ?」
「人から物を盗んだりしない」
「それは良い。盗む相手を見極めろって話だ。
地区長相手って知ってやったんだろ?」
フリーズはまた頷く。
「もっと鈍そうな奴にやれ」
「盗みは良いのかよ」
「有効な時もある」
思わず苦笑する。そんなものか。
「治療師呼んでくるから大人しく、いいか? 大人しく、待ってろ」
「わかってる。さすがに反省したって……。
……チームに治療師入れたら? お前が探してるって言えばすぐに集まるだろ」
なんせセシルのチームはフリーズですら知っていた。
治療できる人間がいればもっと動きやすくなると思うのだが……。
「地球から来た奴でちょうど良いのがいればな」
「地球人にこだわる理由は?」
「前も話したよな?
遺骨に彫られてた英語……あれが手掛かりになるからだ。
それに……嫌だろ。マックィーンみたいなどこから来たのかも分からん得体の知れない奴入れるのは」
「まあ、それはそうだけど」
セシルは仲間意識が異常に強く、一度仲間となった人に対しては優しい。現にこんなやらかしをしたフリーズを許してくれた。
そしてそれは排他的ということでもある。
極端な奴だ。
……あんな癖の強い奴らまとめてるのがまともなわけないか。
フリーズはやれやれと首を振った。
「じゃあマックィーンの言ってたライチっての探すか?」
「そうするかな……。
マックィーンの言うことがどこまで信じられるか分からないが……。
遺骨探しついでにロペに行くのは悪くない」
赤い瞳が、腕を貪り食う姿が、虚空を指差す姿が、フリーズの脳裏に浮かぶ。
例え同じ言葉を交そうとあの男は狂っている。
問題はどこまで狂っているかだ。




