好きの自覚は未だ
「フリーズさん。ニコさんの様子は?」
ライチは美味しそうにニコニコしながら酒を飲むフリーズに尋ねる。
彼女の声は周囲の騒ぐ声で消えそうになったが、フリーズにはきちんと届いたらしい。
「それがすげえ元気そうで、治療されてる間も散々こき使われたんだよ」
彼女はわざとらしいため息を吐く。息は既にアルコールの匂いでつんとするものになっていた。
「へえ。内臓系をやる呪いだったんですけど、丈夫なもんですね」
「内臓ってどこよ」
「どこというか……内臓を整列しようと思いまして」
「整列?」
内臓に使う言葉じゃない。ライチは嫌な予感がした。
「ほら、内臓って左右対称じゃないでしょう? これが嫌で。
だから左右対称になるように呪ったんです。
痛かったでしょう」
「最悪でした」
お腹の中が蠢く感覚、千切れる感覚。それを思い出し背筋が震える。
「……できることなら見たかったですけどね」
悪い人じゃないとは思いたい。彼女はまた酒を煽った。
それにしても本当になぜニコは呪われても平気だったのだろう……。
ふっと視界の端に豹の模様が見えた。
柱が邪魔で気が付かなかったが彼は奥のソファ席にいたらしい。
ライチは嬉しくなってするりと椅子を降り彼の方へ歩き出すが、すぐに止まってしまう。
セシルは美しい女性と一緒にいた。
肉感的な体つきに魅惑的な瞳。青いドレスが似合っていた。
女性は美しい笑みを浮かべセシルの耳元で何か囁き、彼はそれに対して満足げに笑っている。
ギュッと体に力が入って何も考えられなくなる。
どう考えても……セシルは彼女のような人と……。
「ライチ? ちょうどいいところに。
今……」
セシルが何か言いかけるが彼女はサッと身を翻した。彼を見ていられない。
いや、女といる彼を見たくない。
ライチは隠れるようにオニツカとフリーズの間の席に座る。
「らいちちゃん? 邪魔しないでよー」
「どうしたんだ?」
「い、いえ。別に」
彼女はコソコソとフリーズの酒を奪い、呑む。
「オレ様の酒を!」
「あ、すみません」
今度はオニツカの酒を取って呑んだ。彼は怪訝な顔をして「美味しいなら良いけど……」と呟いている。
もうライチは自分が何しているのか分からなかった。
たださっき見た光景を忘れたくて、自分の胸の中に広がる感情を知りたくなくて、必死だった。
「お、おい。そんな呑んだらぶっ倒れんぞ。
オニツカも止めろって」
「ダイジョーブ! 横にお医者さんいるしー」
「任せてください」
「酒呑みのヤブ医者に任せられるか。
ライチ。水じゃねえんだから、もっとゆっくり呑めよ」
「はい」
フリーズの制止を聞き流しつつ彼女は酒を流し込む。
不死身の体なんだ。多少無理しても死ねば大抵のことは平気である。
「らいちちゃんはザルなのかなー?」
「イエス! アイム……アイアム? ドランカー……」
「なんで英語?」
「英語だったのか? 奇声かと思った。
ちゃんと翻訳されてねえぞ」
「まあ奇声みたいなもんでしょ」
なんで英語? それは単に昔の記憶が蘇ったからだ。
ふざけて英語を話していたが、テストの結果は散々でそれをよくからかわれていた……。
ああ。アルコールが全身に回ってきたらしい。
こんな他愛のない記憶今まで思い出せやしなかった。
耳の中に水が入ったようにボンヤリする。
どこからかスマートフォンの電子音が聞こえ、ライチを呼んでいる声がした。
「私の、ケイタイは?」
ポケットを探り机の上も探る。だがあの四角い機器が見当たらない。
「大分酒回ってるねー。そんなの無いよ」
「でも、呼ばれてる……」
「おう。セシルがさっきから呼んでる」
フリーズの指差したところを見ると彼が怪訝な顔をしてライチを見下ろしていた。
ボヤけた膜が消え「ライチ。どうしたんだよ」とセシルの低い声がハッキリと耳に届いた。
彼のシャツはいつもよりはだけている。店内が暑いから、なわけがない。
「……いえ、なんでも……。
私帰ります。これお勘定……」
「わー。露骨にテンション下がったね。
セシル何したの?」
「知らん!
……送ってくる」
「平気です。1人で帰れます」
「そんな赤い顔して平気なわけあるか。
ほら」
手を差し出されるがライチはふいとその手を避けた。
とにかく今はセシルから距離を取りたい。
彼を見ていると先ほどの光景を思い出し、モヤモヤとイライラが湧き上がるのだ。
「セシル振られてんの? 珍しい」
「うるさい。
ライチも駄々こねるな」
「そういうのも好きなくせにー」
「うるさい。本当に。
何怒ってんだよ」
「怒ってません」
怒ってるわけじゃない……だって別に、セシルは何もしていないのだから。
だからこそライチは自分のこの苛立ちの原因が分からなくて更にイライラするのだ。
「怒ってないならいい。一緒に帰るな?」
「いえ。1人で帰ります」
「お前な……最初に会った時、変な男に絡まれてたお前を俺が助けたんだ。忘れたか?
お前はそいつの目玉を潰してたが」
「目玉潰せる力があるのに助ける必要あります?」
「あります。
……とにかく、目を離すと変なのに絡まれる。
酔ったお前なんて特に放っておけない」
エメラルドグリーンの瞳にまっすぐ射抜かれ、ライチは渋々頷いた。
ここでゴネ続ける自分が恥ずかしかったというのもある。
差し出された手を今度は掴んだ。
「このまま宿に帰ってゆっくり話そうか」
「……ハイ……」
話すことも何も無い。単にライチの気持ちが不安定になっただけで……。
「……ゆっくりじっくりたっぷり話そう。色々。俺の部屋で。ベッドで休みながら」
「……ん……?」
「ジーナとエルシーもどうにかこうにか追っ払わないと」
「セシル? お前調子に乗りすぎだぞ」
オニツカが突然セシルの尻尾をグイッと引っ張った。された彼は勿論嫌そうに顔を歪める。
「何しやがる」
「こっちは我慢してんのに」
「言っておくけどお前ぜんっぜん我慢とか出来てねえからな!」
「ですね」
コムはおざなりに合いの手を入れながら、カウンターに置かれたグラスを次々に等間隔に並べている。
「出来てますけどー?」
「出来てるやつが毎回毎回ナンパしてきた奴殴るか!」
「今回は殴ってないし。
それに俺のことが好きなんだから、他の男なんていらないよね」
「気持ちに答える気もない癖にほんっと……クズめ。
ライチはああいうのには近付くなよ。ボロ雑巾みたいになっても手放してくれないからな」
「なんの話ですか?」
ライチはフリーズに助けを求めるが彼女は「こいつらいっつも訳わかんねえの」と怪訝な顔のまま酒を呑んでいた。
*
フラフラと足元のおぼつかないライチを支えながらセシルは帰路を辿る。
彼女はまだ怒ったような顔をしていた。
「何怒ってるんだよ」
そう聞いてもライチは拗ねたようにそっぽを向く。
セシルは苦笑した。
子供っぽい怒り方にもだが、やっと怒りを露わにしてくれたことが嬉しい。
今までムッとした顔はしてもここまで感情はさらけ出さなかった。
「ライチさーん? どうしたんですかー?」
「……あの女の人……」
「ん?」
「青いドレス着てた人。誰だったんですか?」
「ああ、あの人」
彼女が蘇生の祝福に関して知っていると聞いたのでセシルは疲れた体に鞭打って酒屋に行ったのだ。
酒屋で働く彼女は色々なことを知っていた。
死人が蘇った街が、ここから遠く、約30000日分離れたところにあるとかなんとか。
その街に関してはそれとバオという名前だけしか知らないと言われた。バオに関して知っている者はこの辺りにはいないだろう。
蘇りに関しても「死体がそのまま歩いてるだけみたいな感じ」しか分からないと言われたが、それでも蘇りは蘇りだ。少しだけだが有力な手掛かりが手に入りセシルは喜んだ。
……問題は30000日という遠さ。約80年。
蘇生の祝福を持っている者がいたとしても遠くに離れているという可能性は考えていたものの、実際の数にすると途方も無い数字だった。
その街に辿り着く前にセシルが老衰で死ぬのは考えるまでもなく、さらに言えば老衰で死ぬよりも衰え化け物に殺される可能性の方が高い。
そこまで遠くに住む蘇生の使い手に生きて会えるかどうかすら不安がある。あの遺骨の文字を書いた者も、蘇生の使い手も死んでいる可能性はずっと考えていた。
その場合別の蘇生の使い手をこちらに誘き寄せる何かがあればいいのだが……。どうにかして探し出せないものか……。
「セシルさん」
眉間に皺を寄せたライを見て彼は思考を止める。
しまった。つい別のことを考えていた。
「ドレスの人な。情報提供者ってところか。
後でまとめてみんなに話す」
「……綺麗な人でしたよね……」
「うん?」
声のトーンが沈んでいる。心なしか表情も暗い。
「魅力的な人でした……」
確かに溌剌としていて雰囲気も明るかった。
裏表を感じさせず、情報の真偽は分からないが少なくとも彼女は嘘をついているわけではないのだろう、と思えた。
何より面倒な輩に絡まれたところを助けてくれたのだ。セシルの襟首を掴んだ相手を無理矢理引き剥がしたのでシャツのボタンが取れたが、穏便に済んで助かった。
これがフリーズだったら考えるのも嫌になるくらいトラブルが増幅する。
「まあ、ああいうところは人好きのするようなタイプじゃないとやっていけないから。
人が好きで、人から好かれるんだろ」
「……私はあんまり人好きじゃないです……」
そんな気はしていた。
こうやって打ち解けるのだって時間がかかった。
心を閉ざしライチの中に入れてくれなかった……今こうして怒りを露わにしてくれているのが奇跡のように思える。
それは彼女のされていた仕打ちを思えば当然のこととも言えるが。
「別に人嫌いでもいいだろ?
オニツカみたいに捻くれるよかマシだよ」
「お酒も好きじゃないし、派手なお化粧も、香水も嫌で……」
「ライチ?」
「わかってます……わたし、魅力的じゃないし……」
何を言っているんだか。今だってどう2人きりになり、部屋にこもるかあれやこれや考えさせられているくらいに魅力的だというのに。
彼女の目はとろんとしている。どうやら相当酔っているらしいが……。
「……魅力的じゃないと何か困るのか?」
「それは……わかんないです。なんか、ずっと、もやもやしてて……」
それは嫉妬心からじゃないのか。そうとしか思えないのだが。
セシルはジッとライチを見る。
冗談で言っているわけではなさそうで、本当に彼女の顔は悩ましげだった。
「でも……ごめんなさい。八つ当たりでした」
「いや……。
なあ、お前って」
そう言ったがなんと言葉を続ける気か彼自身分からなかった。
彼女の鈍感さはなんだろう。
自分の気持ちに鈍感だし、セシルが露骨な好意を見せているにも関わらず意識されることもない。
だが無知というわけでもない。フリーズが発する明け透けな言葉には驚いた顔をしている。
どうにもチグハグだ。まるで自分が好意を向けられることなど無くて当然だと思っているような。
「あれ? セシルさんこっちの道に行くんですか?」
彼女がボンヤリとした目でセシルを見上げている。
「そりゃ宿に帰るんだから」
「こっちの方が近道ですよ」
千鳥足でライチは、セシルの行こうとしてた方とは逆に曲がる。
「……なんで知ってるんだ?」
「へへ、なんでも知ってますよー」
そういえば……。
シップスの街に到着した直後だというのに彼女は宿の位置を知っていて、先に歩き出していた。
あの時も彼はなぜ宿の場所を知っているのだろうと思ったのだ。
「来たことあるのか、ここに」
「一回だけ」
「なんだ、言えよ。
いつ来たんだ? お前の元のチームって結構大きかったけど、てっきりロペを拠点に動いてないのかと思ってた」
「もっと前です」
「あのチームに入る前?」
「はい。もっとずっとずっと前」
ライチは楽しそうにクスクス笑いながら、覚束ない足取りで先導していく。
「ずっと……?」
「ロングロングタイムアゴー! です!
あのときはこんなにたくさん、人がいなくて……」
あのときっていつだ。ずっとっていつだ。
「ほら、着きましたよ!」
彼女の指差す方を見る。セシルが知っている道よりも断然到着が早かった。確かに近道だ。
彼女はなんなんだ?
セシルは慌ててライチの手を取る。捕まえていないとどこかに行ってしまいそうで怖かった。
「……どこにも行くなよ」
「ハイ。ずっとここにいます」
ライチは手を握り返さない。それがセシルには猛烈に不安だった。




