まだ恋を知らない君へ
地獄へ続く道だ。
ジーナはジェイコブスの後を追いかけながら思う。
今までの人生、ずっとジェイコブスに邪魔されてきた。
何が彼をそこまで駆り立てたのだろう。ジーナに執着する彼は、彼女と生涯を共にすることに全ての労力を費やしていた。
初めて会った8歳から27歳、そしてこの世界に来てからもずっと……。
彼は幼子の足で路地に入って行く。誘い込まれていると分かっていたが彼女はそこに入った。
「ジーナ。やっと2人きりだね」
ジェイコブスの顔は、本当に嬉しそうだ。
この少女がジェイコブスであることは行動の滅茶苦茶さから考えても疑いようがないが、彼の美しい顔そのままの少女を見てやはりそうなのかと再度感じていた。
「……随分可愛くなったわね」
「これでも大人になれるように何度も街を行き来して頑張ったんだけど、中々ね。性別までは変えられないし」
「なんでヴィヴィアンなんて名乗ったのよ」
ヴィヴィアンはジーナの妹の名前だ。"特別"な妹。
「なんでって。ほら、髪の色とか少し似てない? 僕むかしは金髪だったからかしら? 大きくなるにつれて濃くなったけど……ジーナとお揃い嬉しいな」
「ちゃんと答えてよ!」
「ごめんなさいね。でも、そんなに大した理由は無いよ。こういう格好好きだったじゃない? だから代わりに着てあげれば天国で喜んでもらえるかなって。
……ジーナが愛してたように、僕も彼女を愛してたから」
心臓がどくどくと音を立てる。妹のことを思い出すと目の前が白くなり、指先が冷えた。
「愛してなんて……」
「愛してたよね?」
「私なんかがそんなこと言う権利無いわよ」
「……ジーナは悪くない。あれは運が悪かった」
彼の顔が寂しげに見えた。
ヴィヴィアンの死のことが脳裏にまざまざと浮かんでくる。
あの子は他の子と違っていた。そう母はいつも言う。ちょっとだけね。
喋るのが遅いのも、本が読めないのも、体がうまく動かせないのも、人とコミュニケーションを取れないのも、毎日決まった通りにしか動けないのも、それが出来ないとパニックになるのも、全部ちょっと人と違うだけなのだ。
だから姉のジーナはいつも彼女の面倒を見ていた。それが大変ではなかったと言うと嘘になるが、しかし苦痛でもない。毎日きちんと、全てのことを整理整頓しておけばいいのだ。
だがある日、彼女は寝坊してしまった。それだけで全て変わった。
毎朝ヴィヴィアンと一緒にバスに乗り学校まで送っているのはジーナと、勝手についてくるジェイコブスの役目だった。
それが寝坊により出来なくなり、仕方なくジーナは彼女をバスまでパジャマのまま送った。バスの運転手も添乗員もヴィヴィアンのことを分かっているし平気だと思ったのだ。いや、思いたかっただけかもしれない。ただもう少し寝たかった。
ヴィヴィアンはパニックを起こした。そして泣き喚きながら、ジーナの制止を振り切り、彼女は車道に飛び出して行った。
妹の小さな体がバスに潰されていく姿が記憶から薄れることはない。
本当に一瞬の出来事なのにそれはジーナの人生そのものを闇に突き落とした。
あの日寝坊しなければ。
パジャマだろうと一緒にバスに乗ってやるべきだった。
いやいっそ、一本遅いバスに乗ったって良かった。
何度も何度も事故が起こる前に戻れればとジーナは祈っていた。ほんの一瞬でいい、ヴィヴィアンの体を掴めるだけの一瞬。
「ジーナ……。大丈夫だよ。僕が」
ジェイコブスが苦しそうな顔をしジーナに近付いてくる。彼女は慌てて後退した。
「もう私を苦しめるのはやめて」
ヴィヴィアンが死んでからの苦しみは、ジェイコブスだ。彼はあの事故以来確実に変わった。
目の前で人が……ヴィヴィアンが死んだショックが大きかったのだろう。
ヴィヴィアンとジェイコブスは人に触られるのを嫌がるなど似ているところがあったし、2人は揃ってマイペースで衝突することなく仲良く遊んでいた。
あの日から彼はジーナへの執着を強め、また他者へより攻撃的になった。
「苦しめるだなんて。僕はただ君を守りたいだけだ。
誰が君を傷つけるか分からない。僕と一緒にいれば安全だよ」
どこがだ。ジーナは心の中でそんな言葉を吐き捨て舌打ちする。
ジェイコブスほど危険な男はいない。
父が死んだのだって……。
彼はジーナの幼馴染であり、地元で有名な会社の社長子息であった。ジェイコブスと、そしてジーナの父親もその会社に勤めていた。
父親だけがジェイコブスの強引な結婚計画に反対していたが、ジェイコブスは諦めず何度も何度も、ジーナの気持ちを置き去りにして父と話し合った。
そしてある日、2人が激しく口論している声が居間まで聞こえてきた。具体的な単語は分からないが珍しくジェイコブスが怒鳴っていた。
彼が帰った後母親が父の書斎を開けると同時に父が銃で自分の頭を撃ち抜く。血がそこら中に、母の顔にも飛び散った。
何を言われたかは知らない。それが死に追い詰められるほどの言葉だったということしかわからない。
父が死んだお陰でジェイコブスはジーナと結婚出来た。
このままじゃ路頭に迷う、どうか結婚してほしいと母に泣きながら乞われジーナに逃げ場は無かった。
「こんな所にいるのはあなたのせいなんでしょう?」
「そう、だね。言い逃れできない。本当に申し訳なく思っているよ」
「謝らなくていいわ。もう関わらないで」
「何言ってるの? 僕たちは夫婦じゃない」
心の底から不思議そうな声を出すジェイコブス。彼はジーナと自分が仲睦まじい夫婦だと信じて疑わない。
「そんなものもう無効よ」
「ジーナ」
彼が手を伸ばし袖を掴まれてしまう。
彼は直接肌に触れては来ない。だが捕まえて来る。
「地獄の果てだろうと僕は君と一緒にいるよ」
蒼い瞳が怪しく輝き、ジーナは手を振り払った。
その反応は想定内だったらしく彼は平然とした顔で微笑んでいる。
「僕は自治チームに入った。色んな人を操ることが出来る。僕の側にいた方が安全なんだ」
「……そうね、随分仲間は多いみたいじゃない。
それでいて回りくどい。エルシーに私の頭を探らせようとしたわね」
彼にとって世界は自分とジーナとそれ以外で構成されていて、それ以外に関しての興味は薄い。
だからエルシーを利用するようなひどいことを思いつくのだ。
「確かに回りくどいし役に立たなかった……。でも良いんだ、別に。
僕がエルシーと関わった主目的はジーナじゃない。アレが僕の役に立ちたいって言うから役割を与えただけ」
「主目的? なんなのよ」
「1個目はエルシーに僕の祝福をかけて僕を愛させること。まあ、ちょっとした嫌がらせだね。
2個目は一応の僕の仕事である、君たちが持ってる遺骨を探るため。どうでも良いよね、死んだ人の骨なんか」
「誰が遺骨を探しているの」
「地区長のケイト。
厄介なのに目をつけられたねえ。
豹の男のことも知ってたし、何してくるか分からないよ? 一緒に逃げよう」
何をぬけぬけと。今度こそジーナは舌打ちした。
「残念ね。セシルたちは戦い慣れてるからそんな簡単に殺せはしないわ」
地区長相手にどこまで対応できるが知らないが。
だが自治チームであるジェイコブスのチームも殆ど壊滅出来たのだ。彼等ならきっと大丈夫だろう……。
「どうかな」
「あなたのチームの人たちだって、あんな簡単に」
そこまで言ってジーナは言葉を切る。
おかしい。
なぜこっそり殺しに来るのではなく"プレゼント"までして目立とうとした?
少女の体は大きなハンデである。だがチームの人数の多さと、ジーナすらもジェイコブスの今の姿を知らなかったということは強みになる。
メリットを生かさず殺しに行くと宣言した理由は?
「……わざと、殺し合いさせた?」
「そうだよ? 気付かなかった?
ジーナは多分素直に僕についてきてくれないと思ったから、ちょっと工夫したんだ」
「何を」
「あの人たちに見覚えなかった?」
ジーナは記憶を探る。今日対峙した人々は? 今まで見たことがあった?
「覚えてない……」
「そ。ならいいんだ」
「誰なの?」
「君が口論した人、話しかけていた人、君を見つめていた人……そんなところかな」
頭をガツンと殴られたような衝撃が襲う。
たったそれだけで彼等は目をつけられてしまった。
ジーナは口を開けないでいるが、ジェイコブスは言葉を続けた。
「ねえ、あの黒髪の女が入ってからジーナってば随分明るくなったよね。前ほど鹿頭と豹男に怒らなくなったし。それが僕、嫌で嫌で。なんであんな女に絆されるかなあ。なんで? 子供っぽいところがヴィヴィアンに似てた? でもアレは子供じゃないよ? 目を覚まして。
それにコムに微笑んで、仲良く話して、打ち解けてた。あの変態と!
僕ね、アイツのこと馬鹿にしてたんだよ……それなのに、君はあの男に笑いかけるんだね。許せない。
いつか、豹男か、兎男か、ヤク中か、どれかにも微笑みかけるかもね。今までそんなこと一回もしてないけど、君がアレ等に微笑みかけるとは思えないけど、でもありえない話じゃなくなった。
全員許せない。僕が、この僕が! 会いに行くのを我慢して安全に暮らせる準備を進めている端でジーナを……。
アイツらは全員屑だ! 君が微笑みかけていい相手じゃない……!!」
興奮した様子だったが、ふっと息を吐いた。
落ち着きを取り戻そうとするように首を振りまたゆっくりと話し出す。
「だから全員に罰を与えることにした。ジーナが今まで出会った奴らを祝福にかけて操って、豹男たちにけしかけさせたんだ。
共倒れが理想的だったんだけど想像より強かったね……まあいいよ。他の手も考えるから」
ジーナは目の前の人物を唖然とした面持ちで見つめる。
「わ、私が誰かと心を通わせるのは、そんなに許せない?」
「そうじゃないよジーナ……。ただこんな世界で、僕以外と心を通わせるなんてしちゃダメだ。
分かるでしょう? ここは危険なんだ。簡単に心を明け渡さないで。
アイツらは危ない奴らだ」
「……みんな信用できる人よ」
小さな呟きはジェイコブスには聞こえなかったようで怯えた様子で眉を寄せる。
「いつ誰が君を傷つけるか、そう考えただけで恐ろしくて堪らない。
この世界にいる奴らは全員狂ってるんだよ」
「あなたがこの世で一番狂ってる……」
囁く声にジェイコブスは首を振る。
「狂ってなんかないよ。僕たちの愛だけがこの世界で唯一の真実だ」
*
背後から荒い息と、引きずるような音が聞こえてきた。
振り返る。至る所から血を流すニコが立っていた。
いつもの兎の面は無い。だから中性的な顔と彼の額にある大きな一文字の傷跡がはっきり見えた。
「ニコ!!」
「あらら、もう死にかけって感じかしら?
呼んだ覚えはないのだけど」
含み笑いをしながらジェイコブスが首を傾げる。
なぜ彼がここにいるのだろう。
そして次の瞬間、彼女はその目的がはっきり分かった。
槍がジーナに向けれている。
「何を!?」
ジェイコブスの焦った声が聞こえる。慌てるなんて珍しい。
彼とは対照的にジーナは落ち着いた目でニコを見つめた。
「……気付いたんだ……」
ニコの声は掠れて聞き取りにくい。言葉と共に血が吐き出されていく。
「ランキングの、一番上は……今のところ、セシルだ。彼は僕を受け入れてくれた……感謝してるよ。
二番目は、オニツカ。ああいう人は好感がもてる……。三番目が君だよ、ジーナ」
「……妥当なところかしら」
「そう、だね。君は……冷めた目で、人を見る。そういうところは非常に、好ましく……思う。
でも、三番は三番だ。一番と二番を守るためなら消えてもらおう」
そう、重々しく血と共に吐き出された言葉は確かにジェイコブスにも届いた。
彼は真っ青な顔をしてジーナに駆け寄る。
「何、馬鹿なことを言ってる? ジーナはっ、ジーナに手を出す気?」
「そう……」
「祝福が解けた……? あの黒髪の女に何された?」
ニコは視線をジェイコブスに向けた。
慈愛に満ちた瞳だ。
「彼女は思い出させてくれた……僕の妻と娘が、死んだことを。
そう。蘇りはしないさ、何度も試した。蘇る方法を探すのが僕の教団の目的で……20年近く、探していて……見つからなかったんだから」
悲しそうにニコは声を低くした後、不気味なほど明るい声で「けどね」と続ける。
「この世界には、必ずいる。蘇生の力を持つ人が。
僕はその人に会うまでは死なないし、なんだってするよ。
妻と娘のためになんだってしたようにね。
その為には、ジーナは邪魔なんだ……君みたいなのが付き纏ってるんじゃ」
先程までの弱りが嘘のようにニコは生き生きとしていた。彼は元の世界で、こうやって溌剌とした声を出しながら信者を騙していったのだろう。
その声で、表情で、人を鼓舞し導いていく。
「やめて。彼女に槍を向けないで」
ジェイコブスはニコの血塗れの手を必死で握る。
だが愛することはもうない。
ジェイコブスの手は尽きた。
「分かってるよ、君の愛は本物だ。
君はただジーナを深く愛しすぎてしまっただけ。分かるよ、僕も妻のことを、同じくらい愛していた」
「ならジーナを傷つけないで。お願いだから。
彼女は何もしてない」
「……こればっかりは、仕方ないよね」
ニコはジーナを見る。ジーナもまたニコを見る。
槍が少し動いた。
「これだからっ! どいつもこいつも僕たちを傷付けようとする……!! ジーナ!」
ジェイコブスは彼女を逃がそうと体を押す。けれどジーナは微動だにしなかった。
「ダメだ! ダメだダメだダメだ! ジーナは殺させない!!
僕を殺せ! 僕が死ねばジーナは殺さなくて良いだろ!?」
頭を掻きむしりながらジェイコブスが発狂したように叫ぶ。
「ジーナは僕が守る! 彼女は僕の妻だ、僕の愛する人だ。僕がどうなろうと彼女だけは傷付けさせない!」
「いいの? 君が死んでくれるなら、話は早い」
ニコは薄っすらと笑い槍をジェイコブスに向けた。
「それで良い」
彼は両手を広げる。ニコの槍を受け止め、ジーナを守るかのように。
「ごめんね、ジーナ」
なぜか少女は謝ってくる。ジーナは眉を寄せた。
「本当は一緒にいたかった。
2人きりで、どんなことがあったか語らいながら毎日過ごしたかったのに……。一人きりにしてごめん」
ジェイコブスの白い頬には涙が流れている。
「でも、これで君を守れるなら本望だ。
僕は死んだって君を愛してるから……安心してね」
彼は泣きながら優しく微笑んだ。
あ、と思った瞬間槍が彼の小さな体を貫いていた。
体中から血が溢れ出す。彼は悲鳴を上げなかった。
何度も体が魚のように跳ね、もがくように足をバタつかせる。
だが彼は笑ったままだった。
「ジ……ナ……」
こんな状態になってもまだ私の名前を呼ぶのか。
手首を掴む。普段よりも早い脈を感じる。
ジェイコブスの体を貫く槍が巻き戻った。
「……ジーナ……? 良いの?」
ニコは不思議そうに彼女の顔を覗き込む。
それには答えられなかった。
良いわけがない。ここで殺さないと、いつかまた同じようなことが起こる。
だが殺すのも怖い。
ジーナにはジェイコブスが得体の知れない化け物に見えた。
笑いながら死んでいくなんて。
「……分からない」
自分のしたことに呆然とする彼女を尻目にジェイコブスがゆっくり立ち上がった。
彼はジーナの人生にずっと、ずっと干渉し続けてきた。
ジーナだって好きにさせていたわけではない。何度だって抵抗した。
だがその度により酷い干渉が起こる……結婚を断った時のように、どんどんと酷いことが起こるのだ。
彼女はそれが体に染み付いていた。
ジェイコブスに何かしたら、もっと悪いことが起こる。
殺したら何が起こるのか。
「……助けてくれてありがとう」
ジェイコブスは本当に、心の底から嬉しそうな声を出す。
「あなたを助けたんじゃないわ。私たちの未来を助けたの」
「その未来には僕もいるね?
……分かってるよ、君は素直じゃないから。
家で待ってる。きっと気にいるよ。車なんか通れそうにない狭い路地しか、家の周りには無い……」
彼はフッと目を細めた。
「今日のところは僕の負けだね。
コムまでそっちに回ってるんじゃあ劣勢だしねえ。仕方ない」
「待ちなさい」
鋭くジーナはジェイコブスを睨んだ。それはジェイコブスにとっていつものことだった。
「私はあなたと一緒にならないわ。絶対に」
「……世界で君と僕2人になったら話は変わってくると思うよ」
そう言って笑ったジェイコブスの笑みをジーナは生涯忘れられないだろうと思った。
ひどく美しくて優しげで、そして狂っていた。
結局彼にとって自分とジーナ以外の人間は生命の価値すらない。
ニコとジーナはジェイコブスが去ってからも路地で動けずにいた。
しばらくしてニコは大きく息を吐く。
「……槍向けてごめんね。演技だってわかってた?」
「わかったわよ。
……ライチが言っていたでしょう。祝福はその人の望みだって。
あなたの祝福は平等に槍を降らせるわ。きっと普段人に付けてるランキングなんてあなたの中ではなんの意味もないんでしょう。
奧さんと娘さん、2人だけが一番であとは平等よ。
だからランキング上位にいるセシルとオニツカのために私を殺すっていうのはおかしいと思った。
能力で言えばオニツカよりも私の能力の方があなたと相性が良いもの。
合理的な判断じゃないし、それは……教祖だったあなたの判断とは思えない」
彼女がそこまで言い切ると「さすが」と感嘆したような声を出す。
「でもランキングは本気なんだよ」
「そうなの? ごめんなさい。
……でも、ならやっぱり私を殺せない。セシルもオニツカもチームから人が欠けることを嫌がるもの」
「そうだね……。セシルの祝福は守護だ。みんなを守りたいんだろうね」
そしてオニツカは貸借りの祝福……彼が常に発している孤独感を見るに、何か貸すから見返りが欲しいということだろう。
フリーズは単純でわかりやすい。増幅の力。もっと強い力を求めたのだ。
ライチは祝福によって苦しんでいる印象があるが死にたくないとかそういうところか。
ジーナは妹のヴィヴィアンが死ぬ前に戻りたい。
「それにしてもどうしようか。アレ。放っておいていいの?」
ニコの言葉に思考を止める。
彼の視線は去っていったジェイコブスの方に向けられていた。
「……仕方ないじゃない。放っておくしかないの」
今までもそうだった。
「そう? でも殺さないで良いなら良いか」
ニコの呟きを聞きながら彼女は空を仰ぐ。
殺さないのではない。殺せないのだ。
殺すべきだとわかっていても……正常な思考ではなく恐怖によるものだと分かっていても、本能がそれを拒否する。
ジーナの人生にジェイコブスは侵食していた。消すことはできない。
建物の隙間から見える空はいつだって曇っている。




