運命の人など
ジーナはこれまでの人生で誰かを好きになったことはない。そう言うとある人には「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」と言われた。
「運命の人と出会ったらその人のことばかり考えてしまうの」
馬鹿馬鹿しいと思った。
彼女の頭に、他の何かが入り込む余地など無い。それも他人なんかが。
そんなの出会ってたまるかと思っていた。
だが運命の人はいたらしい。
彼は感極まった表情をしてジーナを見つめていた。
いつだって彼はジーナを悩ませ、苦しめ、彼女の脳すらも支配しようとする……こんな世界に来てまでも。
これを運命と呼ばずして何と呼ぼうか。
*
そこにいたのはロリィタファッションに身を包んだ、人形のように可愛らしい少女だった。
柔らかな笑み浮かべこちらを、ジーナを見つめている。
「あれがヴィヴィアン、か?」
「あいつ、さっき会った……」
セシルとフリーズは動揺していた。
この狂った送り主は既に接触して来ていたのだ。
……いや、さっきじゃない。
ライチは手の先まで冷えていく感覚がした。
ずっと前からこの少女を知っていた。
何度も何度も、彼らの前に現れていたではないか。
ロペの街で。
—薄暗い店内を見渡す。
派手なドレスを見にまとった男から、ボロ雑巾のような服を着た性別不明の人物、フランス人形のように可愛らしい少女まで様々な人物がおり、各々の会話で店内はあふれていた。
トッコの街で。
—街が大きくなると人も増えるようで辺りは多くの人で賑わっていた。
やはりここも、下半身がヤギのようになっている女に、タコの頭の男、フリルたっぷりのドレスを着た少女など様々な文化の人々が集まっている。
—戦利品である化け物の首を抱え満足げに笑う長い耳の少女たち、誰かの荷物を抱え忙しなく動き回る小男、ロココ調のロリィタドレスを着て微笑む少女とその親、後頭部に生えたツノに果物を吊るしている女。
何度も何度も。
「ジーナ。久しぶり。
プレゼントは喜んでくれた?」
まだ幼い声なのに喋り方は大人びている。
「ずっと会いたかった。
ごめんね、こんな世界に連れて来ちゃって」
彼女がゆっくり歩いて来る。
ジーナは少女から視線を逸らすことなく呆然としていた。
「どういうことなの……」
「僕の代償は君だよ……こんな酷い世界に道連れにしてしまった。
刑は、分かるよね?」
「理解が出来ないわ。どうしてあなたがここにいるの?」
「違うよジーナ。僕がここにいるから、君がここにいるんだ」
少女はうっとりと囁いた。
ライチはこの異様な少女に怖気が走った。彼女の動きは全てちぐはぐだ。
セシルが「ジーナ、誰なんだ」と苦しげに尋ねる。
「せっかく離れられたと思ったのに……」
「ジーナ? あの人たちに僕のこと紹介してくれないのかしら?」
「……この人は……」
ジーナが助けを求めるようにセシルを見た。
「私の夫のジェイコブスです……」
衝撃が走った。
夫? この、美少女が?
そうしてライチはハッとした。この人の刑は少女の姿になることなのだ。
「一応初めまして、かな。僕の方はお前たちのことを知っていたのだけれど……。
本当はもっと早くに迎えにいくつもりだったんだけど、僕と安心して過ごせる環境が整ってからの方が嬉しいと思って。
遅くなってごめんね。さ、行こうか」
そうまくし立てると彼はジーナに、己のいた方を指して見せた。優雅な動きだ。
「どこに連れて行く気」
「僕たちの家。作ってあるんだ」
ニコが動く。ジーナがどこかに連れて行かれる。
彼はジーナの元へ駆け寄ると腕を掴んだ。
「ジーナ! しっかりして!」
「わ、私、頭がおかしくなりそう。
何が起こってるの?」
「あら。まあちょうど良かった。
君には少し役立ってもらおうか」
ジェイコブスは怪しく微笑むとニコの腕を掴んだ。
ギョッとし、それを振り払おうとするが途端に力が抜けて行く。
「……メル?」
ニコは、誰かの名前を震えた声で呼んだ。ジェイコブスに向かって。
「メル? あー、そうだよ。メルだよ」
「い、生き返ったんだ……。メル……!」
感極まった声を出しニコがジェイコブスを抱きしめた。彼は顔を思いっきりしかめて「はいはい。ここにいますよ」とおざなりに返事をする。
何が起こっている? ただ、ライチの混乱した脳内でニコがひどい幻覚を見せられているのだと漠然と察した。
「効果が強すぎたかしら? なんだっていいね。
ほら、僕のこと愛してるよね?」
「ああ。愛してる。君が一番大切だ……。
僕の大事な一人娘なんだから……」
「そりゃいいね。
じゃあ、あの人たちのこと殺せるね?」
「どうして?」
「邪魔だからだよ。パパ」
「わかった」
ニコが面を外した。
その時初めてライチはニコの素顔を見たのだが、あ、と声を出す間もなかった。
ライチはセシルに抱えられる。
大量の槍が降り注いだ。
「な、何が起こってんだよ!? なんでニコがオレ達を攻撃するんだ!」
「知るか! 俺の後ろにいろよ!」
「……操られちゃったみたいだね」
ガンガンガン! と激しい音と共に槍は五人を貫こうと降ってくるが、セシルの守護により槍は滑るようにして地面に落ちていった。
しかしライチの横で悲鳴が上がった。
エルシーの肩に槍が突き刺さっている。
「エルシーさん!」
「お前あっち側なんだろ!? 何攻撃食らってんだ!」
セシルは悪態をつきながらも、彼女を引き寄せた。
血は出ていないが陶器がパリパリと剥がれ落ちていく。
「ヴィヴィアン様……」
「君、役に立たないね。
もういらないから」
冷酷な言葉を放つジェイコブスの微笑みが恐ろしい。
だがその笑みは蹴り飛ばされた。
槍が巻き戻って行く。エルシーの肩も元の滑らかな質感へと戻っていった。
「ジーナ!」
「何やってるんですか! 早くコイツを殺して!」
「ハア!? 何がなんだか……おい、フリーズ!」
「子供を殺すのは嫌なんだけどなあ!」
フリーズはセシルの背後から飛び出すと腰の短剣を取り出しジェイコブスに駆け寄った。だが彼はすぐに「パパ、ほら僕を守んないと」とニコを焚き付ける。
「あ、そうか……」
「ニコ! しっかりしなさい! どうしたの!?」
「僕の祝福は愛されること。
この男に僕を愛するようにしたんだけど、ちょっと強かったみたいだね。幻覚見てるよ。
まあそういう人も多い……愛する人の姿に僕を重ねるんだ」
「メル……」
ニコがフリーズに立ち塞がる。彼女の走った後を追うように槍が地面に突き刺さっていく。フリーズの動きが速いのでギリギリ追いきれないようだ。
「ジーナ! こっちに来るんだ!」
フリーズはニコの腹を蹴りジーナの腕を引く。
彼女はジェイコブスから逃げるようにセシルの方へ駆けて行った。
「あららぁ。仲間内でも遠慮が無いね」
「攻撃されてんだから仕方ねえよなあ!
おいニコ! しっかりしろ!」
「僕が祝福を解かないと戻らないよ。
ねえ頑張って。せっかく生き返った娘だよ?」
その声にニコはフラフラ立ち上がりまた槍を放出しようとした。
ライチの腹が怒りで捩れる。
ニコの苦しみは妻と娘を失ったこと。
彼の苦しみを嘲笑うようなジェイコブスの言葉が許せない。
ライチが一歩前に出た。
「ライチ。落ち着け」
「でも!」
「お前の怒りは分かる。だがアイツは多分一人じゃない。
子供が狼男を殺せるほど力があるか? 無いだろ。
別の奴にやらせたんだよ。
深追いするとマズイ……一度散らすぞ」
散らすって。前方にはニコ、背後は壁と狼男の死体だ。どこに散ればいいのだろう。
ライチの疑問に答えるようにセシルが遺骨を腰のポーチから取り出し見せてきた。
「敵の敵は味方になるんじゃねえかな」
「え」
薄汚い耳障りな絶叫がした。奴らの咆哮だ。化け物がすぐそこまで来ている。
「遺骨に呼びかければあの化け物が来るってわけだ。
大丈夫、近寄らせない」
セシルはライチの頭を乱暴に撫でた。彼女はそっと息を吐く。
ジェイコブスも化け物に気が付いたようだ。つまらなさそうに口をへの字に曲げ「なんで街に?」と呟いている。
「パパ、もういいや。来て」
「えっ?」
「え、じゃないよ。化け物を殺さないと。
僕も自治チームだから、街に出た化け物退治くらいはしないとねえ。あんまりモタついてたらジーナにまで被害出ちゃうよ。
そういう訳だからまたね、ジーナ!」
「ジェイコブス! ニコを返しなさい!」
「ジーナが僕のところに来てくれる?」
「行くわけないでしょう……!」
ジーナは嫌悪で体を震わせる。
「……そんなにそのチームが大切なのかな?
まあいいよ。お前たちの顔は覚えてるからね。
僕の持てる力全てを使って、ジーナ以外の全員殺す」
無表情でライチたちを睨んだのち、じゃあね、と軽やかに手を振ってジェイコブスは化け物の方に向かって行った。ニコもフラフラと後に続く。
フリーズは戸惑ったようにニコの背中を見つめていた。
「どうする?」
「ニコを返してもらうためにも、ジェイコブスを殺すしかないだろう……」
「コイツはどうすんの?」
フリーズがエルシーを指差した。視線が一斉に彼女に注がれる。
「……わ、私は。……こんなことになるとは、思ってなかった」
「そう願うよ。
情報提供してもらったら後で考える。
とりあえず5発くらい殴らせてほしいが」
「ひっ」
「操られてるんじゃあな……」
そう、エルシーはジェイコブスに操られているのだ。
彼の祝福により彼女はチームの夢の中に入りジーナに関して探りを入れた。
そして、ジェイコブスに「いらない」と言われ、攻撃されている。
「……自分が操られてるって分かってるんですよね……?」
彼女だって今の言動やもしかしたらこれまでの付き合いで、ジェイコブスの祝福が愛されることだと知っているはずだ。
「……そうだな。私の想いが祝福によるものだって分かってる」
「なら」
「どうにかする気は無い。私はあの人のことを想ってるだけで幸せなんだ」
痛々しいまでのジェイコブスへの恋心にライチは口を閉ざす。
横に立つジーナが居心地悪そうにしている。
フリーズだけは神妙な面持ちで頷いていた。
「分かるよ。好きになっちゃいけないような奴ほど愛しくなっちゃうんだよな」
そういうものか?
ライチには分からなかったがエルシーが「そうそう」と同意している。
「…………セシル、なんで俺を睨むの」
「とぼけんなよ」
オニツカもまた居心地悪そうに視線を落としていた。それを誤魔化すようにタバコを取り出し火を付けている。
「ジェイコブス、いや、ヴィヴィアンをこのままだと裏切ることになるんじゃないのか?」
「……殺すのはやめてほしいと思ってるが……あの人のやってることは、褒められたことじゃない。
分からない。上手く考えがまとまらないんだ」
言葉を詰まらせ泣きそうになるエルシーにライチは胸が締め付けられる。
エルシーの頭を慰めるように撫でながらフリーズが「結局ジェイコブスは何モンなんだ?」と首を傾げた。
「ジーナの夫ってのは分かったけど。頭がおかしいだろ」
「私、この世界に来るときに代償なんて支払ってないって思ってた」
ジーナがポツリと零した。
「私はあなたたちと違う。誰かを殺したことも無いし、大それた犯罪だって犯したこと無かったわ」
ライチは茶色の目を見開く。そうだ。彼女に感じていた違和感。
—彼女は何かが違うのだ……潔癖さか、厳格さか。
この世界で出会った人々とは決定的に違う。
罪人の香りがしない。
—彼女からは「屑の匂い」がしないのか。
—「なんだよ、ジーナも犯罪者だったってわけか。
やだね、悪党の集団……。まあこの世界に来る奴みんなそうだけどよ」
—「私は違うわ。生まれてこのかた寂しさなんて感じたことない」
彼女はジェイコブスの代償として来た、清廉潔白な女性なのだ。
自分とは違う。
「……ジェイコブスのせいだったのね。
いつだってあの人は私を……追い詰めるわ……」
「……ジーナ……」
「そんな顔しないでくださいよ。別に慣れたものです。
……ジェイコブスは、私の幼馴染で、夫です。
会って分かったと思いますけど私に異常に執着してて……。
結婚もあの人とだけはしたくなかったけれど、父が死んでそうも言ってられなくて結局、結婚しました。
結婚しても満足できなかったんでしょうね……私の全てを奪ったっていうのに、私が他の男と話すのを嫌がって」
ジーナの視線が狼男の死体の方を向く。
「あの人の怖いところは情が無いところ。見たでしょう、エルシーやニコに対しての振る舞い。
でもそれなのに人心掌握は上手くって、いつだって彼に味方がつくんです。母もそうでした。
……そういえばニコが自治チームがたくさん来てるって言ってましたけど、あれ」
「ヴィヴィアン様が連れて来たんだ。
お前たちが私の宿に泊まるよう誘導した」
「随分手間かけて。
……ずっと見てたから当然か。全然気が付かなかったなあ」
オニツカはなぜか悔しそうだ。苛立ちまぎれにタバコの灰を地面に落としている。
「あの祝福があれば人混みに紛れ込めるしなんとかなるんだろう。
愛される祝福……厄介だな。
……そういえばどうやったら祝福は効果が出るんだ?」
ライチもそれが気になった。ニコはただ手を触れられただけに見えた。
「相手の体に触れれば良いみたいだ。
私も、手を触れられただけだ」
そう言うエルシーの顔が切なげでライチは見てられず目を逸らした。フリーズはよしよしと頭を撫でている。
「ん!? 待てよ、体を触られたらアウトってことか!?」
「そしたら俺たちアウトだな。
さっき会ったとき手を貸してる」
フリーズは汚れが付いたかのように何度も何度も嫌そうに手を振って、エルシーの服で拭っている。
「……なんとも思わない?」
エルシーはフリーズの手を止めさせながら問い掛ける。その問いにセシルは眉を寄せる。
「可愛いとは思った。でも、ジーナの幼馴染ってことはアレ27、8歳の男だろ? 最悪だな」
「そうです。最悪なんですよ」
「掛かり方が浅かったんじゃないか?
私のこの、幻覚みたいに……整合性が無くなったり、おかしいと思うと解ける」
「ニコやお前は掛かり方が深いってことか?」
「……多分」
「なんでだ? お前だって、違和感は感じてるんだろ?」
「分からないんだ……」
どこか悲しそうにエルシーが言うと、フリーズは「ごめんって」と言って抱きついていた。サイフでもスってるんだろうか? ライチは疑いの眼差しを向けたが、そういう怪しい行動はしていない。
本気で同情しているようだ。
「けど確かに、あの時は、そう……血の匂いがした。だからおかしいと思ったんだよ」
きっとセシルたちが会ったのは狼男を殺した後だったのだろう。
しかしそれのお陰で二人は違和感から祝福に深く掛からずに済んだ。
「側にいた男もおかしかったしな。アイツも操られてたのか」
「……でも、気をつけるに越したことはない。
何回か試せば深く掛かるってこともある」
「ふうん。なるほどね。
じゃあ触られないようにしつつ、ジェイコブスを殺すか」
やれやれ、と言いたげにセシルは首を振ってそんなことを言い出した。
「ど、どうやって?」
「体は子供なんだから、近付ければ殺せるだろ」
「そうでしょうか。
……というか、今頃あなた達を殺す刺客を放っているんじゃ?」
「そうだった。
あいつの自治チームは何人くらいだ?」
「100とか……」
セシルが低く呻く。「ニコがいればなあ」と額を抑えた。
「どうしたもんかな。そいつらは殺して良いのか悪いのか」
「殺しちゃお!」
「やっちゃえやっちゃえ!」
オニツカとフリーズは手を上げて煽っている。
「お前らな……。一応自治チームだから、手を出したらそれなりに反撃される。って言っても祝福のかかりが強いとボンヤリしてるみたいだから……なんとかなるか?
……ひとまず、ライチとエルシーは宿に帰れ」
「え!?」
「えって、お前。そんな意外か?」
「だ、だって私、チームの一員だし! その……」
ライチが言い募る。セシルはよしよしと頭を撫でて抱き寄せた。
驚いて彼女はセシルを見上げたが、彼は意に介することなく耳に唇を付ける。
「エルシーを見張ってろ」と囁かれた。
「戦えないんだからジッとしてるんだ」
「ひ! は、イ」
耳を押さえライチは何度も頷いた。耳にまだセシルの唇と吐息の感触が残ってる。
他意は無いと思っていても心臓の音がうるさくなってしまう。
「……心配だしやっぱり俺も宿に残ろうかな……」
「ハア? 何馬鹿なこと言ってるんです?」
「その心配って下心何パーセントよ」
「100……」
「ふざけんな」
まだ早鐘のような心臓を押さえつつ、ライチはエルシーの手を握った。
「い、行きましょうか」
「ああ……。良いのか? セシルがジーナにボコボコ殴られてるが……」
「いつものことなんで……」




