ありふれた孤独
ちょっとグロ。
黒い石造りの建物が見え、ライチはホッと息を吐いた。
オニツカとフリーズが何歳か知らないがこんなに一緒いて不安になる大人たちも珍しい。
特にフリーズは目を離すと何をしでかすか分からない。
オニツカは落ち着いていると思っていたがフリーズといる時はその限りではないらしい。
押し込むように二人を部屋に入れ彼女は息を吐いた。
疲れてしまった。何か甘いものでも頂こうと、ライチは店主を探す。
カウンターにはいなかったが奥の部屋から話し声が聞こえて来た。
「……なら……簡単だ……」
男の声だ。ライチは息を潜める。
「……でもそれでも……報われなくても良い……」
店主の少女は泣いているようだった。
報われなくても良い……? 失恋でもしたのだろうか?
ライチは居た堪れなくなりその場を後にする。
去り際、コツコツと響くヒールの音が聞こえた気がした。
*
生臭い血の匂い。ニコは目を開ける。
薄暗い手術室の中で妻のネネが大きく手を広げ立っていた。ウェディングドレスのスカート部分は切り裂かれ、股から血が溢れ出ている。
「ニコ」
「ネネ! 大変だ、すぐに医者を」
「良いのよ。
私は良いの。それよりこの子を」
ネネは腕の中の新生児を見せてくる。
「名前はメルにしようと思うの。
良い名前でしょう……」
「ああ。血が止まらない。どうしよう、ネネ」
「旦那さん、どちらを選ばれますか?」
彼の背後に緑色の手術着を着た医者が立っている。マスクで顔はよく見えない。彼のメガネは血に濡れていた。
「どちら……?」
「奥さんか、お子さんか。どちらかしか助かりません。どちらを助けますか?」
「そんな」
ニコの声は掠れていた。どちらかを選べ?
愛する妻と生まれたばかりの宝物。どちらも選びようがないほど大切だ。
「どちらかですよ。旦那さん」
医者の無情な声がする。
「選べない。僕にはそんな」
「どちらかです」
「無理を言うな。二人とも同じくらい大切なんだ」
「残念。時間切れです」
冷たい声と共にネネとメルが、床に溶けるように落ちて行った。
「ネネ!? メル!!」
「二人とも亡くなりました」
医者は、医者ではなく牧師になっている。
ニコも黒い喪服に身を包んでいた。
目の前には灰色の暮石が並んでいる。いくつもいくつも果てしないほどに。
涙が頬を伝う。
命はいつだって平等で世界はこんなにも死で溢れている。
優先順位を決めておけば良かったのだ。どちらを救うか、その為に必要だったのはそれだ。
ニコには未だどちらが大切かを決められない。
涙を拭うと、彼の周りには白い衣服を着た人々に囲まれていた。彼等はニコを「教祖」と呼び慕っている。
ニコは妻と娘が死んでからずっと探しているものがある。それを探す為に色々な人に手伝ってもらい、そしてできた組織はいつの間にかカルト教団と呼ばれるものになっていた。
「信者」が一人の人間を彼の前に出す。
若い女だ。怯えきって引き攣った悲鳴をあげ続けている。
「大丈夫。君を助けるからね」
ニコは彼女を抱き締めた。
ここに来るまでに酷い目にあったのだろう。
早く救わなくてはならない。彼女を、
*
チームの皆は供物を捧げる為に化け物狩りに行った。ライチは情報収集を頼まれ街に出ていたが手掛かりが見つかることなく、休憩として一度戻って来た。
情報収集といっても、直接遺骨や蘇生の祝福について尋ねるわけにもいかないので探り探りになる。中々骨が折れる作業だ。
丸い食卓のテーブルに彼女は頬杖をつく。
この宿の客はライチ達一行しかいない為ほぼ貸切状態だ。なのでライチは食卓にいることが多い。
やはり自分は足手纏いだ。喉をグッと鳴らしながら自分の小さな拳を見る。
化け物への恐怖心はもう大分薄れてきた。なんとか彼等を手伝えないだろうか。
カタンと物音がしてそちらを見る。帰って来たのだろうか?
しかしいたのは店主の少女だった。
掃除道具を持って立っている。
ライチはお辞儀をして、彼女の顔色が悪いことに気がついた。
「……大丈夫ですか?」
「……え?」
「顔色が良くないようで……」
「……ああ。大丈夫。少し……嫌な夢を見たんだ」
彼女は緩慢な動きで箒を動かす。
「嫌な夢ですか」
「……よく見るからな。気にしないでくれ」
ライチはじっと少女を見つめた。
セシルもそう言っていなかったか?
思えば、先程はニコの様子がおかしかった。フリーズとオニツカがあれだけセシルに言われたのに賭博場に行った理由は?
皆悪夢を見ているんじゃ。
何か嫌な予感がした。
早くセシルたちが帰って来るよう祈りながらギュッと手を握る。
「私は期待されてるんだから……」
少女の言葉が嫌に耳についた。
*
宿にはジーナとフリーズしか帰って来なかった。
他のみんなは遺骨や蘇生の祝福を持つ者探しに行っているらしい。
「ちょっと良いですか」
ライチは二人の腕を引いて部屋に入れる。
「何よ」
「連れ込まれちゃった」
「皆さんの様子がおかしいです。悪夢を見てるのかも」
「そうみたいね」
ジーナはあっさり同意した。ライチは拍子抜けする。
「分かってたんですか?」
「ええ。なんとなく」
フリーズは返事をしないで床をジッと見ていた。
やはり悪夢を見ていようだ。
「なら……あー……良かった。
でもなんで何も言わないんだろう……」
明らかに非常事態だ。
何か対策を練るべきじゃないのか。ジーナを見ると彼女は呆れたように息を吐いた。
「あのねえ。悪夢を見た、怖くてたまらない、なんて弱音吐き出せるほどあの人ら強くないわよ。
弱みをさらけ出せるほど強かったらそもそもこんな所にいない。ここにいるのは臆病者の集まりよ」
吐き捨てるような言い方だ。ライチは目を見開く。
横でフリーズがムッとしたような顔になるが、図星だからだろうか、何も言わなかった。
「臆病者ですか」
「そう。どうしようもない。
……でも、それよりなんで悪夢を見るのか原因を突き止めないと」
ジーナは大きく息を吐いて天井を見上げた。足を小刻みに揺らしている。
「ねえ、どんな悪夢を見たのよ」
ジーナは真っ直ぐな瞳でフリーズを見た。
彼女は顔を歪め「昔のことだよ」と短く答える。
「それじゃ分からない」
「おっまえ、なあ! 人を臆病者って呼んだ口でオレにどんな夢見たか話せって言うのか!?」
目を剥き出しにしてフリーズが怒る。だがジーナは涼しい顔をしていた。
「非常事態じゃない。
別にあなたのことは興味無いわよ。ただ……何か、探られたりしなかった?」
「なんも」
フリーズは明らかに気分を害したらしい。窓の方を向いて単語でしか返事をしない。
「枕が合わないだけとか?
あ、それは無いか」
「どうして」
「店主さんも悪夢見ていたそうなので」
「ふうん。
ということはこの宿で悪夢を見ていないのは私とあなただけね、ライチ」
ライチは頷く。何故か背中に鳥肌が立った。
息を吐いてジーナはライチのベッドに腰掛ける。
嫌な沈黙が流れた。
ライチはそっとフリーズの顔を見る。彼女は険しい表情を崩さない。
どうにも重苦しい沈黙を消そうとライチが「あの……」と、小さく声を上げた時だった。
「私結婚してたの」
ジーナがはっきりと、宣言するようにそう言った。
ライチとフリーズは戸惑いを顔に浮かべる。
「なんだよいきなり。
ってか結婚? お前が? ハア、旦那は大変そうだな」
「……夫は怖い人だった」
ジーナは囁くように言葉を続ける。
「私がもし悪夢を見るなら、あの人は絶対出てくるわね」
「……家庭内暴力ってやつ?」
「違う。暴力的な人じゃない……。もっと、人として大切な何かが抜け落ちたような……不気味で、怖い。
狂ってる人」
パサっとジーナの金の髪の毛が肩に落ちる。
茶色の目は見開かれたままだった。
「……よく考えたら私が家庭内暴力を振るっていたような……いえ。なんでもないわ」
「ん?」
「なんでもないか?」
「なんでもないわ。
ここに来てから悪夢なんてもう見ないで済むと思った。ここが悪夢みたいなものじゃない?」
ジーナは同意を求めるように二人を見た。ライチは曖昧に頷く。
「まさか、もしかしてだけどオレを慰めてる?」
フリーズが唐突にそう聞くとジーナは瞬きをした。そしてバツが悪そうに顔をしかめながらシーツのシワを見る。
「……いえ。フェアじゃないと思っただけ」
「へえ、ふうん。ほお」
「何よ……」
「嫌に素直じゃねえか。ライチを見習ったのか?」
「まあそんなとこね」
「え? 私?」
自分が素直だなんて思ったことのないライチは怪訝な顔になる。その顔を見てフリーズがニンマリと笑った。
「顔によく出るよなあ」
「そうねえ。最近は特に」
「そうですか……?」
ライチは自分の顔を押さえた。自覚は無かったので、人に指摘されるとひどく恥ずかしい気持ちになった。
「なんかすみません。自分ではそう思ったことないんですけど」
「は? いいじゃん? 謝るようなことじゃない」
「……私……あまり、その。人と仲良くなれないことが多くて。
でも皆さんといると気が抜けるというか」
「ふうん。仲良くなりたいのか。
お前は人と深く関わりたくないのかと思ってたよ」
フリーズのしみじみとした言い方にライチはどきりとした。
「そんなことはないです! ただ、ここに来てから人と関わらない期間が長いことあって、そのせいでうまく話せないといいますか……」
「あなた顔にはよく出るのに口は出さないからなんなのかと思ってた」
ライチは、今度は顔を覆った。自分が観られていたことが恥ずかしい。
「そんな赤くなんなって」
「そうねえ。良い機会だし色々聞かせて頂戴。
あなたなんで遺骨なんて探しているの?」
「それはですね……」
彼女の質問にライチは顔を上げた。
落ち着かない様子で服の袖を弄る。
「……遺骨は、以前はちゃんとした状態だったんです。でも奪い合いが起こってバラバラに……。
だから元に戻さないと……。
眠りにつかせてあげないといけないんです」
彼女はボソボソ話して、口を閉じた。自分の今の目的を誰かに話したのは初めてのことだったのだ。
「なるほどねえ」
ジーナもフリーズも納得したように頷く。
「しかしあれは誰なんだろうな。なんであんな力があるんだ?」
フリーズが首を傾げる。大きな鹿のツノが同じように傾いて、窓枠にゴツンと音を立ててぶつかっていた。
「不思議な話よね。
セシルは女神にとって不都合なものだって言っているけれど……ならどうして放って置いてるのかしら。女神すら手が出せないもの?」
「さあなあ。蘇りの祝福を持つ奴が見つかれば自然に分かんだろ」
「それが見つからないから苦労してるんじゃない」
ふう、とジーナは息を吐いた。
この世界は狭いようで広い。
「……いるかどうか分からないけど……セシルが探すって言うなら付き合うわよ」
「だなあ。
……セシルといえば、なんか進展あったのか?」
フリーズにジッと顔を覗き込まれライチは戸惑った。
進展とはなんだろう。自分は遺骨探しも人探しもできずなんの進展も無いのだが……。
「この顔じゃなんもないな」
「あら。思ったより紳士なのね」
「ふうむ。しかしライチとは。なんか意外だよな。
ナイスバディの姉ちゃん系が好みかと」
「そう? 見て分からない? 庇護欲がそそられるのよ……ホント、下心丸出しで恥ずかしくないのかしら……」
「庇護欲? 普通性欲じゃ」
「普通はね。だから相当な変態だと思うわ。
甘やかしたくて堪らないのよ」
「お前って案外周りのことよく見てるよなあ」
「あの」
ライチはやっとの思いで声を出し会話を遮る。
「……何の話ですか? その、変態とか何とかって……」
「だからお前とセシ」
「いえ。この世界は変態しかいないって話よ」
そうですか、とライチは頷いた。該当者が頭に浮かんでは消えていく。
まあこんなところで生きているくらいだ。変態でないとやっていけないだろう。
「犯罪者ばかりだと思ってましたけど」
「女神がはみ出し者ばっかり選んでるみてえだ」
フリーズは「かくいうオレ様も」と何故か得意げに胸を張る。
「はみ出しものってだけじゃないんじゃないかしら」
「ならなんだ?」
「……犯罪は孤独な人が犯すそうね」
フリーズとライチは彼女の顔を見つめた。
「その通りだと思うわ。孤独な人が選ばれるのかもしれない……」
「なんだよ。オレ様が孤独って言いたいのかよ」
「ここにいる人全員孤独だわ」
ライチは不思議そうに首を傾げた。
こうしてチームを組み共同で生活しているのに……。
フリーズも同じ疑問を抱いたようでフンと鼻を鳴らした。
「ニコもセシルもオニツカも集団の中にいたんだろ。孤独じゃない」
「3人とも孤独だからこそ集団に所属したのよ」
「言うねえ。
孤独な奴は犯罪者だって?」
「逆よ。意味が全然違うわ……。犯罪者は孤独なの。
側に誰もいない、止めてくれる人がいない。だから犯罪を犯す」
ジーナが重々しく溜息を吐いた。
「……孤独で、寂しいからですか?」
「そうかもしれない。
寂しさを埋める為に必死になってもがいた結果なのかも」
3人は黙り込む。
ライチは元いた世界のことを思い出した。彼女は……確かにあの時寂しさを感じていた。
寂しくて独りだった。
「なんだよ、ジーナも犯罪者だったってわけか?
やだね、悪党の集団……。まあこの世界に来る奴みんなそうだけどよ」
「私は違う。生まれてこのかた寂しさなんて感じたことない」
ジーナが振り向いた。その目がライチをしっかりと捉える。
「あなたは?」
ライチは小さく首を振る。
自分は孤独で寂しく、そして犯罪者だ。
*
耳につく電子音が鳴った。スマートフォンから鳴らされる電話の合図。
ライチは必死でそれを掴もうとするが血まみれで、すべって上手く掴めない。
「待って!」
喉からガラガラの声が出た。叫びすぎたのだ。
スマートフォンは少女の内臓に入り込んでいく。ライチはそれを掴むのをためらわず、細い腕を腹のなかに入れていった。
暖かく湿った肉の感触。
耳の奥で何かが地面に叩きつけられ潰れる音が断続的に聞こえている。
指の先が硬い何かに当たった。
スマートフォンだ。引き寄せようともう一本の腕を入れる。少女が悲鳴を上げたがライチは気にならなかった。
だがスマートフォンを掴むことなくライチの体は吹き飛ばされた。
顔を上げる。
彼女の体は腰から真っ二つになっていた。化け物のせいだ。
化け物は何匹もいる。何匹も何匹も、ライチの体を玩ぼうと体を揺らして待っている。
悲鳴をあげる間もなかった。あっという間に化け物に襲いかかられ、内臓を引き出され、脊椎を抜かれる。
喉から出るのは叫び声というより音だった。内臓を潰されるたび汚い音が出る。
化け物以外にもいる。死人がいる。彼等は濁った目でライチを見つめた後ダラダラと唾液を垂らしながら教室をうろついている。教室だ。彼女は気がついたら教室にいる。
「助けて」
死人はライチの言葉など聞こえないようで、化け物を食ったり逆に食われたりしていた。
喉に口のある人間だけがライチを見つめ「許さない」と二つの口で叫んでいる。
ライチの生首を何者かが持ち上げる。切断面から溢れ出た動脈を噛みちぎられた。
「なんて不味いんだ」
咀嚼しながら女が嘆く。
「子供の肉じゃないとダメだな……でも腹の足しにはなるか」
女はそのままライチにかじりついた。
バリバリ音を立てて骨まで食べられていく。体は化け物のオモチャになっていた。
だがライチは死ねない。失われた先から体が再生していく。
涙が溢れた。
そして、涙で覆われた目ごと地面に落ちた。女は脳味噌を啜るのに必死なようだ。
目だけで辺りを見渡す。教室はライチと、化け物と、死人の血でいっぱいだった。
だが一箇所血に染まっていないところがある。
あそこはライチの席?
そこにビスクドールが乗っていた。150cmはあるだろう、大型の人形である。
裸で机に腰掛けジッとライチを見下ろすその顔は濡れていた。……泣いている?
なぜ泣いているのだろう。
ライチは手を伸ばそうとして自分の体がバラバラになっているのを思い出した。眼球を死人に踏まれる。
やっと悪夢が終わったかと思ったが、体が再生を始めた。
地獄はまだ終わらない。
彼女を呼ぶ電話の音がどこからか聞こえてきた。




