ありふれた犯罪
血は出ます。
煙たい路地。オニツカはそこに立っていた。
そこにいつもの喧騒は無い。
彼は足を踏み出していつもより歩幅が狭いことに気がつく。視線が低いことも。
ああ、自分は子供に戻っているのか。
誰もいない街の中彼はそう思った。
体が軽い。彼は浮かれた足取りで家路についた。
灰色のペンキにぬられた扉。傷だらけの鍵穴に鍵を差し込んだところで彼は思い出す。
ここが子供時代だということは。
開けたとたん酒臭さとどなり声が飛んでくる。
「何やっとんのや!!」
かわいた音とともに自分が叩かれたことがわかる。
父親が生きていたころだ。
日焼けした肌にはげかかった頭と巨大なタイコ腹。昔はインショクのジギョウをしていたが、それが潰れてしもうて、どうたらこうたら。
「酒買うのにどんだけかかっとんねん!」
「酒……」
「ハア!? 買い物もできひんのか」
またなぐられた。
だがオニツカは冷蔵庫にまだ大量の酒があることを知っていた。
今日で飲みきるつもりなのだろうか。
「このグズが! なんでこんなんオレが引き取らないけんの……」
父親はおおきな体を丸めて泣きだした。
いつものことだ。オニツカはさめた瞳でそれを見る。
そうするとその目が気にくわんとかなんとか言って殴られる。
アホくさ。
いつのまにか、オニツカの手にはモデルガンが握られていた。
「なんやそれ」
父親は目ざとくそれを見つけ笑いだした。
「オレを殺すつもりかあ? そんなオモチャで!」
いやな笑い方だった。オニツカはしっかりとモデルガンをにぎる。
中に実弾が入ってるわけもなく、BB弾が入っていた。ケガはするだろうが死にはしない。
「ハハ! 撃ってみろ!!」
父親の煽りを無視した。彼の手は大きくなっていた。
あの日のことを再現しているのだ。
「これはな、撃って使うんやない」
モデルガンの銃身を握る。
「こうやって使うんよ」
父親の禿げ上がった額をモデルガンで殴り付けた。
くぐもった悲鳴が上がる。手足をばたつかせ抵抗しようともがく父親の腹を蹴り馬乗りになった。
両手でモデルガンを握りしめ何度も何度も父親の顔面を打ち付けた。
血が飛び散りヤニで黄ばんだ壁にかかる。
彼のまだらに染まった金の髪にも。
それでも彼は殴るのをやめなかった。父親が動かなくなっても暫く殴り続け、そして立ち上がった。
「なんちゅうことを」
父親が口を開く。オニツカは顔の潰れた死体を眺めた。
「そうやって暴力で今んとこにおんのか?」
「親父も一緒やろ。暴力で居場所もらったんやから」
「オレはあんなんとはつるまんわ。生き血をすすって暮らしとるようなやつらとはな」
狭い部屋の玄関、そこにスーツを着た男が何人か立っていた。薄暗い為顔はよく見えないが、彼を組に誘った男のように見える。
その男は不気味な裸の人形を抱えている。
なんやろ、あれ。
「お前はほんまにアホやな。サミシイサミシイって人のおるとこいって、どうなった?」
玄関のドアを男たちは開け出て行く。人形だけが砂っぽい玄関の床に捨て置かれた。
オニツカの代償は記憶だった。オニツカの記憶ではない、周囲の人の記憶だ。
元の世界で彼を知る人は誰もいない。
「今の居場所だってそのうち無うなるで」
「そんなことない」
睨み付けるオニツカの足がズンと重くなった。
ハッとして下を見ると真っ黒な髪と濁った目をした女が泥から上半身を出して彼の足を掴んでいた。
重い。このまま同じ泥の中に沈み込んでいきそうだ。女の頭を蹴って泥から足を引き摺り出す。あんなのと同じところに沈むつもりはない。
女は泥の中に沈んだ。けれど彼は未だ底の見えない泥の中にいる。
父親は泥に囚われたオニツカを蔑むように見る。
「捨てられたくないからセシルに忠誠誓う? チームを一番に、滅私奉公って?
アホらし。おんなじことの繰り返しやないか。
お前はほんま救いようのない」
オニツカは泥から足を抜き出し死体の頭に3発ほど蹴りを入れた。死体はもう喋らない。
やっと静かになった……。
黒い髪をかき上げちゃぶ台に乗っていた父親のタバコを吸った。
酷い味だ。
*
タバコの臭いがした。フリーズはそちらに顔を向ける。
だが薄暗い路地には誰もいない。
「フリーズ。こっちだ」
拙い英語で呼びかけられ彼女は頷いた。フリーズはスペイン語は勿論、英語もそれなりに話せた。だからこそ彼とフリーズは仲良くなったのだ。
新しい恋人はギャングらしく、ガラの悪い連中と話しているところを度々見た。
だがフリーズにはそんなもの関係無かった。彼女も似たようなものだ……どこにも所属していないだけで、窃盗や強盗など軽犯罪を繰り返し生活しているのだから。
「中々英語上達しねえな」
「なんでお前はそんな上手いんだ?」
「はるばるメキシコまでやって来たアメリカの汚職警官と付き合いがあったのさ」
彼は呆れたように微笑んだ。冗談だと思ったのだろう。
だが本当のことだ。
フリーズは昔からロクデナシの屑ばかり好きになる。
ギャングは初めてだけど……。彼女は前を歩く男の後を追う。
「それより今からどこ行くんだ?」
「知り合いのとこだよ。お前にも会いたいって言うから……」
薄暗く、生臭い路地を2人で歩く。先は見えない。
足元を這う小さな獣の存在にフリーズは気がついた。
ネズミだ。
彼女は男に気づかれないようにネズミを捕まえポケットに入れた。
「こんなところまでついてきちゃダメだろ」
小さな声でネズミに呟くと、鼻をヒクヒク動かしつぶらな瞳で見上げてきた。
フリーズはこのネズミにドゥドゥと名前を付けて可愛がっていた。
この子は小さな前足でコロコロとボールを転がすことができる、賢いネズミだ。フリーズは爪で優しくネズミの頭を掻いてやる。
フリーズが唯一心を許せる、小さな友達。
いつの間にかフリーズは大きな屋敷の中にいた。
男の会いたい人はとんだ金持ちのようだ。
「ここで待っててくれ」
黒いソファに案内されフリーズはどさっと座る。
男達の会話が聞こえてくる……。
「通訳代わりだ。女だし怪しまれない」「喋ったらどうする気だ」「大丈夫、アメリカに入れたら殺す」「やめたいと言い出すかもしれない」
「アイツ、俺に惚れきってるからな。俺が言えばなんだってやる……他の男と腰振るのだってな」
下卑た笑いが響き渡る。
そんなことするわけないだろ。フリーズは拳を握る。
何か言ってやりたい気になったがそれよりもここにいたら危ない。密入国に関わる気はないのだ。
そう思い彼女は屋敷を抜け出そうとした。
だが屋敷の廊下はやたら長い。走っても走っても出口に辿り着かないのだ。
「フリーズ!」
男の怒鳴り声がする。
「待ちやがれ! クソ女が!」
男の足は早い。
フリーズが廊下の波に囚われている内にあっという間に距離を詰めてしまった。
彼女はもがく。ポケットからネズミが飛び出した。
「ドゥドゥ!」
「なんだ、ネズミか」
男が目敏く小さな獣を見つけると思い切り踏みつけた。グチャッと音がして血が滴っていく。「これが代償だぞ」
男の声は、女神の声になっていた。
フリーズは気付かない。ただ必死に走り、そして壁に掛かっていた雄鹿の剥製を掴んだ。
そして鹿のツノを男の腹に突き刺した。……いや男じゃない、これは人形だ。
裸の、陶器で出来た人形がフリーズの方へ手を伸ばした。浮いた足が揺れている。グラスアイがユラユラ揺れている。
「ジー……」
人形の硬い唇が蠢く。
恐ろしくなり剥製ごと人形を振り回した。ツノが抜けたそれはグシャリと、水の上に落ちていった。
体がビクン! と跳ねる。
酷い夢を見ていたらしい。起きようとするがひどく頭が痛んだ。
ツノが生やされてからというもの、頭痛がするようになってしまった。
それにツノの長さが左右違うせいでバランスが取りにくい。自業自得だが……。フリーズの背筋が震えた。
顔を拭おうとして左手が無いことを思い出す。
あの赤い目に見られている気がした。
「チクショウ」
彼女は起き上がり目の前に吊るされた小さなランプを点ける。
嫌な気分は収まらない。こういう時にやることは決まっていた。
*
おや? とライチは首を傾げる。
せっかくのご飯だというのにオニツカとフリーズの姿が無い。食いしん坊のフリーズが食事に来ないのはおかしい。オニツカは食事を取らないとしても顔を見せないのは少し変だ。
どうしたのか気になるし、青白い顔のセシルも心配で、ライチは食卓でソワソワと体を動かした。
「……どうした?」
「オニツカさんとフリーズさんが見当たらないので」
「まだ寝てるんじゃないか……?」
「いないみたいよ」
ニコがサラダを頬張りながら答える。
いない?
「ドアの小窓から見たんだ。明かりが消えて気配も無いし……街に出てるんじゃない?」
「……アイツら!」
セシルがバシッと尻尾で床を叩いた。
「クソ、目を離すとこれだ! 探しに行かねえと」
「ど、どうしたんです?」
「フリーズとオニツカは一緒にするとロクなことしないのよ。
主に……賭博ね」
「なんと……」
「オニツカはギャンブル依存症だからねえ。
薬物依存症で、ギャンブル依存症か。救えない」
セシルは食事の手を止め空を睨んでいる。ライチは彼の手を取った。
「私、探してきます!」
「どこに」
「街にですよ」
「ダメだ。お前はすぐ変なのに絡まれる。
これ食べたら俺が探しに行く……」
「それこそダメですよ。顔色悪いんだから、セシルさんは少し休んでてください。
大丈夫です。私これでもこの世界に長いこといるので、変な人に絡まれても死ぬだけで済みます」
「それがダメだって言ってるんだろうが……」
呆れ顔のセシルに、だがなおもライチは食い下がった。
前のめりになりセシルの顔を覗き込む。
「きっと役に立ちますから」
「……こんな純粋な目で見られて断れるか……」
セシルが項垂れる。押しに弱いらしい。
ライチは頷いて「私に任せてセシルさんは休んでてください」とまた言った。
セシルさんの役に立てる!
彼女は小さくガッツポーズをする。宿だとライチの仕事は無いに等しい。食事も掃除もする必要はないのだ。
そうなると居場所がなくなってしまう。だがせめて、こうやってセシルの役に立てば……!
ライチは天を仰いだ。その後ろで3人はボソボソ会話をする。
「セシル的には一緒に休んで欲しいんじゃない?」
「いや、一緒に休むとなると休めなくなるからな。
手取り足取り組んず解れつ……」
「食事中はやめてもらえますか? 死ね」
「すみません」
*
すっからかんだ。
フリーズは店の前大の字で寝る。
衣服すら取られ彼女は下着姿になっていた。
道行く人がフリーズの姿を見て眉を顰め通り過ぎて行く。
「見せもんじゃねえぞ!」
「見せもんになってるだろ」
フリーズの焼けた肌に影が落ちる。顔を上げるとオニツカがいた。
「よお。何してんだ?」
「そっちこそ」
手を差し出され彼女はその手を握った。体を起こされる。
「なんだ、お前も負けたか」
「調子が出なかった」
彼は残念そうに首を振る。
馬鹿にしたような笑みを浮かべた後、フリーズは黙った。
今日の悪夢はなんだったのだろう。
オニツカの横顔を眺める。彼もどこか浮かない顔に見えた。
だが、なんとなく悪夢を見たことは口に出せない。
肌は晒せても恥は晒せないのだ。
「服買うお金も無いの?」
オニツカが冷たい視線で彼女を見る。
「あったら服賭けるか?」
「それもそうか」
彼は自分のシャツを脱ぐとフリーズに渡してきた。
礼を言ってそれを着る。彼の匂いと温かさに包まれる。
「服なんて大した金にならんでしょうに」
「あと少しあれば勝てる気がしたんだ」
「そう」
今度はオニツカが馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
フリーズはその顔をジッと見つめていたが、持っていたタバコとライターを取り出した。
「……ん? それ俺のじゃない?」
「ありがたく頂戴しますよ」
「あげた覚えない。
貸しにするよ」
「薬の効果増幅してやるよ」
そう言うとオニツカは黙った。
彼女はフフフと小さく笑う。
……自分は昔から男の趣味が悪い。
「何?」
「別に」
往来を眺める。
歩いて行く人々は楽しげに見えた。
少なくとも賭博で大負けして下着姿にされている人はフリーズしかいない。
彼女の足元に白い何かが転がってきて思わず声が出た。
夢から抜け出せていないのか、可愛いネズミのドゥドゥだと思ったのだ。
だがそれは単なる紙くずだった。
足で潰そうとしたがやめておく。
フリーズはオニツカのタバコに火をつけ深く吸い込んだ。
心にぼんやりと靄が掛かっていくような感覚がする。
「人の最良の友は犬だって言うけどよ」
唇が勝手に動く。
「オレみてえなのはネズミとしか友達になれないってワケよ。
んなのはチャーリィとデルが証明してる。はみ出し者が愛するのはネズミなんだ」
彼女の自嘲的な笑みをオニツカはジッと見つめ首を振った。
「チャーリィもデルも知らない人だ」
「本くらい読め」
「学が無いもんでね。長い間字を読んでいられない。
それで? デルがなに?」
フリーズはクスクスと笑う。それからフッと真顔になった。
「デルじゃなくて、オレが……。
オレの側にはネズミしか居なかった。哀れなもんだよな……でも可愛いネズミでさあ。
芸が出来たんだ。信じられるか? 小さなボールをヨチヨチ運んでくれるんだよ。
アレがいると寂しくなかった……」
タバコの毒が回って来たのだろうか。感情は鈍っていくのに頭だけが冴えていく。
なんでこんなことを話しているんだろう。でも今、毒が回っている内なら話せる気がした。
「人といると余計に孤独を感じた。なんでだろうな……。
お前はそういうことあるか? 一人裸で薄暗い穴の中にいるみたいな感覚」
「あるよ。もうずっと」
オニツカの手がフリーズのタバコを奪った。
彼はゆっくりと煙を吸い込んだ。
「だが結局人が寄り付かなくなったのは俺自身の振る舞いのせいだ」
「ああそうかもな。
……ヒト殺しなんてそれが相応しいんだろう」
彼女の脳裏に、鹿の角が突き刺さった男の姿が浮かぶ。
あれだけじゃ死ななかった。角が刺さったまま男はもがき苦しみ助けを求め廊下の端から端まで這いずりそして階段から落ちて死んだ。
全身の関節があらゆる方向に曲がった酷い死に様だった。
「ただ誰かの側にいたかっただけなのに……結局死ぬときは一人」
フリーズの囁きにオニツカは返事をしなかった。
またぼんやり往来を眺める。
一人の少女が走ってくるのが見えた。ライチだ。
「オニツカさん! フリーズさん! 探しましたよ!」
「よお。何してんだ?」
「いえそれはこちらのセリフですけど……なんで往来でそんな格好……」
ライチは大きく息を吐きながら怪訝な顔でフリーズとオニツカを交互に見る。
そしてオニツカを凝視した。彼女の小動物のような丸い瞳がオニツカの背中の刺青と、腕の注射痕をなぞる。
その視線に気が付いたオニツカが鬱陶しそうに首を振った。
「虎ですか。ヤクザって仏様彫るのかと思ってました」
「かっこいいから良いでしょ」
「かっこいい……? どうでしょう。
それより脱いでるのはなぜ?」
「色々な」
「ライチちゃんお金持ってる? フリーズの服をなんとかしないと」
「フリーズさんにスられたので殆どありません」
ライチが冷たくフリーズを睨んだ。彼女は顔を逸らす。
倍にして返すつもりだった。
「一度宿に戻りましょう。誰かにお金を借りてそれから買いに行けば良いじゃありませんか」
「買いに行く?」
「何を?」
「え? いえ、だから。服を」
「買わない。取り戻すんだ」
オニツカは親指でビシッと賭博場を指差した。
途端、ライチの顔が怒りに染まる。喉からグチッと水音の混じった音を零している。いつもの癖だ。
それにしても出会った頃以上によく顔に出るようになった。これが本来の彼女なのだろう。
「何をバカなことを!?」
「なんか勝てる気がする」
「バカな……絶対に胴元が得する仕組みになっているというのに……まだそんな寝言を……」
「ハハ。だいじょーぶだいじょーぶ」
フリーズはライチとオニツカの肩を抱いて賭博場に戻ろうとした。だがライチは素早くその腕の中から抜け出すと彼女のツノを掴んだ。
ジーナの技を覚えてしまったらしい。
「戻りますよ。オニツカさんも。
セシルさんに任せてくださいって言っちゃったんです!」
フリーズはツノから手を引き剥がそうと奮闘していたが思わず彼女の目を見る。
やっぱりセシルが好きなのか。
「きっとセシルもオレ様たちが勝てば喜ぶと思うぜ」
「絶対にそれはないです。
良いですか、一歩でも賭博場に入ったらジーナさん呼びます」
フリーズもオニツカも体が竦む。
どうやら彼女はすっかりこのチームの力関係を理解しているようだ。




