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屑の匂い

3人でダラダラしていると扉からノックが聞こえてきた。

ニコだ。


「どうしたの?」


ジーナが扉を開けると彼は申し訳なさそうな声を出す。


「空き家が見つからなくて……」


「そんなのいつものことじゃない」


「うん……あと、宿を今すぐ出て欲しいんだって。

自治チームが来るからそっちに部屋を回したいらしい」


ニコは嫌そうに口を曲げて話す。

だが自治チームの横暴さ、そして彼等に尻尾を振ることがいかに優位になるかをライチは知っていたので仕方がないと諦めた。


「ハア? なんだよそれ。オレ様たちは泊まったばっかりなんだから長居してる客を追い出せば良いだろ」


「他の客は常連みたいでねえ」


「セシルはなんて?」


「疲れて動きたくないって言って寝てるよ」


ニコが口を閉ざすとガタガタという何かが動く音と「起きてください!」と怒鳴る男の声がした。


「……ほら、無理矢理動かそうとしてる」


廊下を出て隣の部屋を盗み見る。宿の店主がセシルの腰を掴んで退かそうとしているが彼は枕を掴んで動こうとしない。そして店主の腹を豹の足で蹴ると枕に顔を埋めてしまった。

横でオニツカが面倒そうな顔をして突っ立っている。セシルを起こす気も、店主を止める気もまるで無いらしい。


「セシルさん……」


部屋に入り恐る恐る呼び掛ける。

倒れていた店主はノロノロと起き上がると「どうにかしろ!」とライチに吐き捨てて部屋を出て行った。


「ライチ。フリーズの義手はどうなった?」


「ああ、えっと、作ってもらってますけど少し時間は掛かるらしいです」


「そうか」


豹の肢体は美しいラインを描いてベッドに横になっている。

筋肉質な人間の上体を起こし気怠げな瞳でライチを見つめるセシルがどこか神々しく思えて彼女は息を飲んだ。


「よし。

ライチちゃん、見惚れてないでセシル動かすの手伝って」


「え!? は、ハイ?」


オニツカに背中を押されライチはベッドに回り込んだ。セシルはというと「まだ休ませろよ」と再び枕に頭を埋めている。


「何をすれば?」


「手でも足でも、何でも使っていいからセシルをベッドから落とそう」


「足はやめろ」


「オニツカさん、それ」


「俺はこのバールを使う」


「もっとやめろ」


「じゃあいくよ」


オニツカが容赦なくバールの先端をセシルの腹の下に入れた。突出部が当たり痛かったのか、彼は呻きながら起き上がった。


「お前なあ! 俺は疲れてるんだ! 少し休ませろ!」


「出てけって言われただろ。

まあ、あの腹立たしい店主を蹴ってたのは見ていて良い気分だったけど……」


止めなかったのはそれでか。

ライチは冷たい視線をオニツカに向けたが彼は飄々としたものだ。


「散々街歩き回ったってのに休むこともできねえのか……ひでえ世界だ」


「諦めなって。あんまりしつこいとジーナ呼ぶよ」


ジーナの名を出した途端セシルは口を噤んで荷物をまとめ始めた。

彼女に怒られるのはセシルも嫌らしい。


「他の宿探すか……。何軒かあったよな」


「ちょっと遠いけどねえ」


話す2人を置いてライチは部屋を出た。

自分も荷造りをして先にチェックアウトを済ませておこう。

彼女が部屋を出るとニコが化け物の首と一緒にライチの荷物を一緒に持ってくれた。大した量ではないのだが紳士的な仕草にライチは照れ臭くなる。


「ありがとうございます……」


「いーえ。

でも宿から出る手続きは君がやってくれる? 僕睨まれちゃってるから……」


「ハイ」


入り口横のカウンターでお腹を押さえる店主にお金を差し出すと、彼は舌打ちしたのち乱暴にコインを受け取った。

セシルにされたことを相当恨んでいるらしい。この宿に泊まることは今後無いだろう。

溜息を零し宿から出た瞬間ニュッと伸びた腕がライチの肩を掴んだ。


「ねーえ、君退室したの? 討伐チームの子だよね?」


馴れ馴れしい声だった。

見上げると、狼の頭をした男が口角を上げ牙を見せながら微笑みかけてくる。


「そうですが……」


「暇だったりしない?

君すっごく良い匂いがする……」


「忙しいです」


異常な気配を感じ取ったライチは振り切ろうと腕を振ったが彼は気にも留めなかった。


「ニコさん!」


ニコに向かって声を掛けて手を伸ばす。


「ああ来た来た」


しかし彼は、狼男をいないものと扱うことにしたらしい。「そろそろセシルたちも来るよ」など呑気なことを言っている。


「えー? 君この人と同じチームなの? おれのチームに来なよ……絶対おいし、いや楽しいから」


食われる。

ライチは必死で抵抗した。

だが狼男は獲物を離すものかとしっかり肩を掴んだままだ。

ニコはというと化け物の首をリズム良く叩きながら街並みを眺め次の宿を探したりしている。

狼男の息が荒くなり首筋に濡れた鼻を押し付けられた。匂いを嗅がれている。


「に、に、ニコさん。わたし、食べらそう」


「それくらい自分でなんとかする練習しな?

大丈夫、そんな悪い人じゃないよ」


そう言われても先程から振り払っても振り払ってもベタベタしてくるのだ。どうしたら良いのか分からないライチは救いを求めるようにニコを見つめる。


「……仕方ない。

槍で射抜こう。当たったらごめんね」


「殺傷以外で出来れば」


ここで揉めるのは良くないだろう。人が多いし、目撃者もいる。

狼男は「良い匂いだ」と尻尾を振っている。

ライチの背筋が震えた。

怖い。

このまま食われたらどんなに痛いだろう。どこから食べられる?


—なんて不味いんだ。

頭を食う女が嘆く。


恐怖に堪えきれなくなって自分の体を抱きしめる。

それでも足の力が抜けてきた時体をグイッと引っ張られた。


「……変なのに絡まれやすいな」


セシルだった。彼はいつもピンチの時助けてくれる……。


「なんだお前」


「お前こそ……俺のに何か用事か?」


セシルはライチの体を抱き寄せ自分の胸に押し付けた。

恋人のフリをするのだと気付きライチもそれらしくしようと、恐る恐る腰に手を回す。


「……良い匂いがするから……少し味見をしたかっただけだ」


「ほー。随分勝手なことを言うなあ?」


苛立った声を出しながらセシルは豹の前足をライチの足に回した。

全身がぎゅっとセシルに包まれる。彼が耳元で「怖がらなくて良いからな」と優しく囁き、ライチの喉を撫でた。

その瞬間ライチは体中がカーッと熱くなった。

多幸感が脳を支配し、ずっとこうしていて欲しいような、今すぐ離れたいような、背反した気持ちに襲われる。


「……ライチ?」


「ほら、良い匂いがそこら中広がってきやがる……。

クソ、いい番いになりそうだったのに」


その言葉を聞いてニコが助けるそぶりを見せず、自分でなんとかしろと言った理由が分かった。

確かにナンパ程度自分でなんとかするべきだろう。

最初から自分はナンパですと言ってくれればこちらも「イヌ科は好きじゃないんですよ」とかなんとか言って振り切ったのだが……美味しそうだの良い匂いだの言って脅すのはいかがなものか。


「ふざけるな。

コイツに手出して良いと思うなよ」


「あーあー、分かってるよ。恋人だってならしっかり匂い付けしておけ!」


狼男は苛立ったように尻尾を立てながら背を向け去っていく。

その背中をライチは呆然と見つめた。

狼はやはり狼というか……。


「大丈夫か?」


セシルに顔を覗き込まれライチは小さく頷いた。


「結局助けちゃったか。

あんなに怯えなくても適当にあしらって平気なんだよ?」


ニコがポンポンと化け物の首を叩き言ってくる。


「う、すみません……。

食べるとかなんとか言っていたので怖くて……」


「さすがに人を食べたりはしないでしょ」


「どうでしょう。狼だし……肉食的な人もいますよ」


「確かに……いるかも?」


「いやいや、アレは性的な……。

まあいいか」


怖かったな、とセシルに頭を撫でられる。

優しい手つきにライチの胸がぽかぽかと温かくなっていく。


「大丈夫です……」


「対人用の守護はかけてるから何も無いと思うけどな……。いや対狼用にしないとダメか? 前の四つ目の女にはあんまり効果無かったし細かく決めないとダメなのか」


ライチは再び頷く。


「大丈夫です……」


セシルが口を開く。


「対人用の守護は……」


おや、とライチは目を見開いた。今同じことが繰り返された?

セシルもそれに気が付いたらしく目を見開いた後「嫌な感じがする」と呟いた。

そのコンマ1秒後狼男が地面に倒れこんだ。


「しつこい! 何度も! 言わせないで!」


ヒステリックな金切り声が聞こえてくる。

ジーナだ。彼女も狼男にナンパされたらしい。

切り替えの早い狼男に対してライチはなんとも思わなかったが、怒り狂うジーナには焦りを覚えた。


「ウンザリする! 獣如きが私に触るなんて!」


「ご、ごめんなさい……」


狼男は涙目だ。だがジーナは「泣くな!」と容赦なく叱りつける。

後ろではオニツカとフリーズが顔を見合わせ首を振っていた。


「臭いんだよ!」


「しゃ、シャワーはちゃんと浴びてますう……」


「そうじゃない、お前に染み付いた屑の匂いだよ。分からない?」


「わかりません……」


彼女は背後に立っていたオニツカからバールを奪い取ると男の頭に叩き付けた。

カランカランと音がしてバールが地面に落ちる。

そろそろ止めないと。ライチは慌てる。これじゃ傷害事件じゃないか。

慌てて飛び出したが体は一歩も動いていない。

時を戻されている……。

ジーナは手首を握りしめ恐ろしい形相で男を睨んでいた。

狼男が呻き声を上げ続けている。彼はバールで殴られては一拍戻され、その痛みを繰り返し体験しているのだ。短い時間なら連続して戻せるらしい。


止めようにも体は思うように動かない。それでもライチは「ジーナさん!」と呼び掛けた。

彼女の鼻から一筋の赤いものが垂れた。腕を解く。

時は戻らない。

ライチはジーナに向かって走った。


「ジーナさん……」


ジーナは目を見開き肩で大きく息をしていた。狼男よりもダメージが大きそうだ。


「大丈夫ですか」


手を伸ばすがその手を振り払われた。

しかしジーナはハッとした顔になり「……怒りのコントロールが出来なくて」と掠れ声で囁いた。


「……私も恐怖感をコントロールできません……」


ライチが呟くとジーナは冷ややかな瞳になり微かに口角を上げた。

スラックスのポケットからハンカチを取り出し垂れた鼻血を拭う。


「そんなの出来る人の方が少ないわよ」


再びライチは手を伸ばしジーナの腕に触れた。

今度は振り払われなかった。


大粒の涙を流し倒れている狼男を放置してライチはジーナをセシルの元まで連れて行く。


「……何やってるんですか。さっさと行きますよ」


「お前を待ってたんだからな。

ニコ、他の宿はどっちだ?」


「えーとねえ……」


ジーナはもう大丈夫そうだ。ライチは手を離した。

いつも通りの仏頂面をしている彼女を見つめホッと息を吐き、後ろを歩くオニツカとフリーズを見た。

2人で顔を見合わせコソコソ何かやっている。


「な、ライチが止めに行っただろ……」


「クソ……セシルが止めると思ったんだけど……」


オニツカはコインの入った袋を取り出し乱暴にフリーズに押し付けた。


「何やってんですか!」


「誰がジーナを止めるか賭けたんだ。

オレ様はライチに」


「俺はセシルに。

ライチちゃん意外と行動力あるねー。もっと高みの見物してなよ」


ハハハと笑いタバコを咥え、火を付けた。流石というかなんというか。


「ジーナよくああなんだ。アイツを怒らせんなよ」


「んー。フリーズが一番怒らせてるけどね」


ライチは白い目で2人を見つめた後黙ってフリーズの賭金を奪った。

彼女から非難の声が上がるが元はライチの金だ。

ポケットにコインを掴み入れライチは先頭を行く3人の後を追った。

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