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第86話 古水路と、王都の日常


 魔導院中央棟を抜けると、王都の空気が少し変わった。


 学院内部の静けさとは違う。


 街としての音がある。


 遠くの鐘。


 人々の話し声。


 荷車の音。


 それでも中央通りほど騒がしくはない。


「こっちなら比較的人少ない」


 レオンが先を歩きながら言う。


「王都の東外周区画。研究者とか職人が多い場所だ」


 ティアは周囲を興味津々で見回している。


「お店もいっぱいあります……!」


「生活区画寄りだからな」


 道沿いには、小さな店が並んでいた。


 魔導具屋。


 本屋。


 茶葉専門店。


 見たことのない果物を売る露店まである。


 カイはゆっくり歩きながら全部見ている。


 本当に“見ている”という感じだった。


 通り過ぎる人。


 店先の音。


 漂う匂い。


 空気そのものを確かめるみたいに。


 リナが横目で見る。


「そんなに珍しい?」


「全部違うから」


 カイは小さく答えた。


「地方と匂いも音も違う」


 レオンが少し感心した顔をする。


「……そこ見るやつ初めて見た」


「静かな場所探す時、大事」


「なるほどなぁ……」


 妙に納得していた。


 やがて、一行は石造りの水路沿いへ出る。


 透き通った水が静かに流れていた。


 古水路。


 昔の王都で実際に使われていた水道施設らしい。


 今は整備され、散歩道になっている。


「……いい」


 カイが小さく呟く。


 木陰。


 水音。


 風。


 確かに静かだった。


 ティアも嬉しそうに笑う。


「落ち着きますね……!」


「だろ?」


 レオンは少し得意そうだった。


「ここ、俺も結構好きなんだ」


 リナが周囲を見回す。


「王都ってもっとギラギラしてると思ってた」


「中央区画はそんな感じだぞ」


 レオンが肩をすくめる。


「貴族街とか特に」


「うわ絶対疲れる」


「俺も長居したくない」


 その返答に、少しだけ空気が和らいだ。


 カイは水路の近くへしゃがみ込む。


 流れる水を見る。


 透明だった。


「綺麗」


「王都の浄化水路だからな」


 レオンが説明する。


「魔導院の浄化術式と繋がってる」


「へぇ」


 カイは静かに水面を見る。


 風で少し揺れる光。


 その様子を、ただぼんやり眺めていた。


 ティアが隣へ座る。


「カイ様、楽しそうですね」


「……うん」


 少し間を置いて続ける。


「こういうの、ちゃんと見るの初めてだから」


 その言葉に。


 リナが少しだけ視線を落とした。


 カイは時々こういうことを言う。


 前の生活がどんなものだったのか、詳しくは話さない。


 でも。


 “自由に外を歩けなかった”ことだけは、なんとなく伝わってくる。


 レオンも何か感じたのか、それ以上深く聞かなかった。


 代わりに軽く話題を変える。


「この先に甘味屋あるけど行くか?」


 カイが反応する。


「甘いのある?」


「ある」


「静か?」


「昼前だからまだ空いてると思う」


「行く」


 即答だった。


 リナが笑う。


「判断基準がブレないわねほんと」


 レオンも少し吹き出す。


「逆に分かりやすいだろ」


 その時だった。


 少し離れた場所から、ざわつく声が聞こえた。


「あれ……金章のレオン様じゃない?」


「本当だ……」


「隣の子、昨日の……?」


 周囲の視線が集まり始める。


 レオンが小さく舌打ちした。


「……もう広まってるか」


 リナが嫌そうな顔をする。


「来たわね面倒なの」


 カイは静かに水面から顔を上げた。


 少しだけ眉を寄せる。


 せっかく静かだったのに。


 空気が、少し変わり始めていた。

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