第79話 朝の魔導院と、静かすぎる目覚め
翌朝。
カイはゆっくり目を開けた。
最初に感じたのは――静けさだった。
耳障りな音がない。
薬品の匂いもない。
誰かが慌ただしく歩き回る気配もない。
ただ、窓の外から小鳥の声が微かに聞こえるだけだ。
「……朝?」
ぼんやり呟く。
身体が軽かった。
それが少し不思議だった。
ベッドから起き上がり、窓へ近づく。
朝の王都魔導院は、昨日とはまた違う景色をしていた。
白い石畳。
朝露の残る庭園。
訓練場では既に数人の学生が魔法演習を始めている。
空気も澄んでいた。
「……いい」
小さく呟く。
その時。
コンコン、と控えめなノック音がした。
「カイ様、起きてますか?」
ティアだった。
「起きてる」
扉を開けると、ティアが少し安心した顔をする。
「よかったです。朝食の案内が来てました」
「朝食」
その単語で少し目が覚める。
ティアがくすっと笑った。
「リナさんも起きてますよ」
「珍しい」
「聞こえてますからね?」
隣室から声が飛んできた。
数秒後、リナも扉を開ける。
少し眠そうだった。
「……おはよ」
「おはよう」
「カイ、昨日すぐ寝たでしょ」
「うん」
「信じられないくらい静かだったんだけど」
「快適だったから」
即答だった。
リナが呆れたように笑う。
「ほんとブレないわね……」
その時だった。
カイがふと廊下の先を見る。
「……人増えてる」
「え?」
リナも視線を向ける。
確かに昨日より、宿舎周辺の魔導師の数が少し増えていた。
遠巻きにこちらを見ている者もいる。
ティアが不安そうに小さく言う。
「やっぱり昨日の件でしょうか……」
「だろうね」
リナがため息を吐く。
「副学院長クラスが動いたんだから、学院内で噂になっててもおかしくないし」
カイは少しだけ眉を寄せた。
「……見られるの、落ち着かない」
ぽつりと漏れた本音。
リナが少し意外そうな顔をする。
「カイでもそういうの気になるんだ」
「疲れるから」
短い返事だった。
ティアが心配そうに見上げる。
「大丈夫ですか?」
「……部屋は静かだから平気」
その答えに、リナは少しだけ考える。
カイは人混みや騒がしさを嫌う。
それは“性格”だけじゃない気がした。
まるでずっと、静かな場所を探してきたみたいに。
その時。
廊下の奥から慌てた足音が近づいてきた。
「み、皆さん! おはようございます!」
現れたのはエルミナだった。
少し息が上がっている。
「朝から騒がしいですね」
リナが言う。
エルミナは困ったように眼鏡を押し上げた。
「ええ……少し学院内で話題になってまして……」
「だろうね」
「副学院長命令で、勝手に近づくなとは通達されてるんですが……皆さん気になってるみたいで」
そう言いながら、ちらちらカイを見る周囲の視線へ疲れた顔を向ける。
カイは静かに一言。
「帰りたい」
「まだ来たばっかりでしょ!?」
リナが即座に突っ込んだ。
エルミナは苦笑する。
「と、とりあえず朝食へ向かいましょう。個室を用意してありますので」
「個室?」
「副学院長から、“できるだけ静かな環境を優先しなさい”と」
その言葉に、カイが少しだけ目を瞬かせた。
「……セレスティア、分かってる」
エルミナは小さく笑った。
「副学院長、観察は鋭い方ですから」
そして一行は、朝の魔導院を歩き始めた。
ただし。
その背後には、明らかに“遠巻きの視線”が増えていた。




