第60話 夜空と、静かな本音
白花街道を抜けた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
夕陽が森の向こうへ沈み始めている。
「今日はこの辺で野営にしようか」
リナが周囲を見回しながら言った。
街道脇には、小さな丘になった開けた場所がある。
草も短く、地面も乾いていた。
「風通しも悪くないし、虫も少なそうね」
カイは周囲を見回す。
数秒ほど無言で空気を確かめるように立っていたが、やがて頷いた。
「うん。合格」
「何目線なのよ」
「宿泊環境審査」
真顔だった。
ティアが小さく笑う。
するとカイは、いつものように軽く指を振った。
「【清浄】(クリーン)」
淡い光が地面を撫でる。
草の上の小石や埃が消え、空気まで澄んでいく。
さらに。
「【調律】(コンフォート)」
夜風の冷たさが、ふっと和らいだ。
肌寒くなり始めていた空気が、ちょうどいい温度へ変わる。
フォルが「キュル〜♪」と満足そうに丸くなった。
「ほんと便利よね、その魔法……」
リナが呆れ半分に呟く。
「快適じゃないと疲れるから」
カイは当然みたいに言った。
それから荷物を下ろし、ティアの方を見る。
「ティア、寒くない?」
「え? あ、はい……大丈夫です」
「そう」
確認すると、カイは安心したように火を起こし始めた。
もっとも。
普通に火打石を使うわけではない。
「【発熱】(ヒート)」
一瞬で焚き火が完成する。
しかも煙がほとんど出ない。
「……そのうち本当に文明壊しそうよね、アンタ」
「?」
カイ本人には自覚がなかった。
夕食は、昼間に商人から買った干し肉とパン。
それに、湖畔で包んでもらった香草焼き魚の残りだった。
もちろん。
カイの魔法で、まだ出来立てみたいな温度を保っている。
「……美味しいです」
ティアが嬉しそうに微笑む。
フォルも小さく切った魚を頬張っていた。
「キュルッ♪」
静かな夜だった。
焚き火の音だけが小さく響いている。
頭上には、満天の星空。
王都から離れているぶん、空気が澄んでいて星がよく見えた。
ティアは思わず空を見上げる。
「すごい……」
星が、零れ落ちそうなくらい広がっている。
故郷にいた頃も夜空は見ていた。
けれど、その頃は空をゆっくり眺める余裕なんてなかった。
怯えて、隠れて、生きるだけで必死だったから。
「星、好き?」
隣からカイの声がした。
ティアは少し驚きながら頷く。
「……はい。こんなに綺麗に見たの、久しぶりです」
カイも空を見上げた。
「静かでいいよね」
それだけ言う。
けれどティアには、その言葉が妙に嬉しかった。
少しの沈黙。
焚き火がぱち、と鳴る。
するとリナが、向かい側からじっとティアを見ていた。
「ティア」
「は、はい?」
「最近、表情柔らかくなったわよね」
「え……」
思わず自分の頬に触れる。
リナはふっと笑った。
「最初はずっと怯えてたもの」
ティアは少し俯いた。
……確かにそうだった。
誰かの視線が怖かった。
話しかけられるだけで、身体が固まっていた。
でも。
今は違う。
隣には、変わらず淡々としているカイがいる。
肩には、温かいフォルがいる。
リナも、呆れながらいつも隣にいてくれる。
それが、不思議なくらい安心できた。
「……ここ、居心地いいので」
ティアが小さく呟く。
その瞬間。
リナが優しい顔で笑った。
カイも静かに頷く。
「うん。この旅は、快適さかなり重要だからね」
「そこブレないわねぇ……」
リナが苦笑する。
フォルが「キュルル♪」と鳴きながら、ティアの膝へ飛び乗った。
その温もりを感じながら、ティアはもう一度夜空を見上げる。
怖くない夜だった。
寒くもない。
静かで、温かくて。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに――。
ティアは、胸の奥でそっとそう思っていた。




