第50話 蒼の大賢者
ギルドを出た頃には、アルトの街はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
赤橙色の光が石畳を長く照らし、人々の影をゆっくりと伸ばしていく。
昼間ほどの喧騒はない。
それでも屋台通りからは、焼き肉の匂いや甘い菓子の香りが漂ってきて、街全体がどこか温かかった。
「……なんか今日はやたら疲れた気がする」
リナがぐったりした顔で肩を落とす。
ついさっきまで、ギルドで事情説明をしていたのだ。
誘拐事件。
Aランク冒険者の暴走。
地下ダンジョン制圧。
普通の冒険者なら、一生で一回遭遇するかどうかの事件である。
「でも報酬いっぱいだったね」
カイは革袋を軽く持ち上げた。
中では金貨がジャラリと重い音を立てる。
かなりの大金だった。
「いっぱいってレベルじゃないわよ……普通の冒険者なら半年は遊んで暮らせる額なんだから」
「半年しか?」
「価値観どうなってるのよ……」
リナが呆れたようにため息を吐く。
その横では、ティアがまだ少し落ち着かなそうに周囲を見回していた。
けれど、昼間みたいな怯えた顔ではない。
フォルが彼女の肩の上で丸くなり、「キュルル〜♪」と機嫌よく鳴いていたからだ。
「ふふ……フォルちゃん、くすぐったいです」
銀髪を揺らして小さく笑うティアを見て、リナも少しだけ安心したように目を細めた。
その時だった。
「——やはり、お前だったか」
静かな男の声が、夕暮れの通りに響いた。
振り返る。
現れたのは、深い青色のローブを纏った老人だった。
長い白髭。
鋭い目。
胸元には銀色の魔法紋章。
一目で“普通ではない”と分かる空気を纏っている。
周囲の冒険者たちがざわついた。
「あれ……王都魔導院の紋章じゃないか?」
「おい、あの人って……」
「“蒼の大賢者”ベルク!?」
ざわめきが一気に広がっていく。
王都魔導院。
国内最高峰の魔法組織。
その中でもベルクは別格だった。
国家級魔術師。
天災級の魔法を扱う存在。
生きる伝説。
そんな人物が、夕暮れのアルトに突然現れたのだ。
……なのに。
「久しぶり、ベルク」
カイはいつもの調子で軽く手を振った。
ベルクは深々とため息を吐く。
「久しぶり、ではない。アルトのギルドから報告を受けた時点で嫌な予感はしていた」
「?」
「“生活魔法で地下迷宮を浄化した少年がいる”など、お前以外に存在しないだろう……」
ベルクは頭痛を堪えるように額を押さえた。
以前、森の浄化騒動で一度顔を合わせている。
その時からベルクの中で、カイは“理解不能な生活魔法使い”として完全に記憶されていた。
「地下迷宮の瘴気を消したそうだな」
「空気悪かったからね」
「侵入者用の罠を全て解体したそうだが」
「歩きにくかったし」
「Aランク冒険者が壁に刺さっていた件は?」
「滑ったんじゃない?」
「お前が滑らせたんじゃろうが!!」
ベルクの怒声が夕暮れの通りに響いた。
通行人がビクッと肩を跳ねさせる。
でもカイは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「……ベルク、疲れてる?」
「疲れる原因がお前なんだ」
即答だった。
リナが吹き出す。
ティアはおろおろしている。
フォルだけはベルクを見上げ、「キュル?」と小首を傾げていた。
ベルクは深く息を吐いてから、ティアへ視線を向ける。
「……その子が保護した少女か」
ティアがぺこりと頭を下げた。
「は、はい……」
「安心しろ。ギルドと魔導院で保護手続きは進めている。奴隷商の残党もこちらで追っている」
先ほどまでの呆れた声とは違い、その声音は穏やかだった。
ティアの表情から、少しだけ緊張が抜ける。
「あと、お前たち」
ベルクは再びカイを見る。
その目は完全に“嫌な予感しかしない”という顔だった。
「これからどこへ行く予定だ?」
「観光」
「頼むから静かに観光してくれ」
「?」
「その顔、本気で何も分かっていないな……?」
ベルクは夕焼け空を見上げた。
森を浄化した時もそうだった。
今回もそうだ。
本人は“掃除しただけ”のつもり。
だが結果だけ見ると、毎回国家規模の騒動になっている。
しかも本人に悪気がまったくない。
それが一番厄介だった。
「……少し時間をくれ。話したいことがある」
「ご飯食べてからならいいよ」
「お前は本当にブレないな……」
ベルクが呆れたように笑う。
その瞬間。
ぐぅ〜……
静かな音が響いた。
全員の視線が、ティアへ集まる。
「あっ……」
ティアが耳まで真っ赤になる。
フォルまで「キュル」と鳴いた。
カイは真面目な顔で頷く。
「うん。重要な問題だね」
「いや、そんな深刻そうに言うこと!?」
「空腹のまま歩くと疲れるから」
カイはそう言って、夕暮れの屋台通りへ視線を向けた。
暖かな灯りが並び始めている。
焼き鳥の煙。
スープの香り。
甘い果実酒の匂い。
アルトの夜が、ゆっくり始まろうとしていた。
「ベルク、おすすめのお店知ってる?」
「……話は食事の後だな」
“蒼の大賢者”ベルクは、半ば諦めたように息を吐く。
夕焼けに染まるアルトの街を。
規格外の生活魔法使いと、その仲間たちは、いつもの気楽な足取りで歩き出した。




