第5話 初依頼と、伝説の洗濯魔法
冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
分厚い木の扉が開くたびに、酒と鉄の匂いが流れ込んでくる。
広いホールには無数の丸テーブルが並び、壁にはびっしりと依頼書が貼られていた。
鎧姿の戦士。
ローブを纏った魔法使い。
大剣を背負った獣人。
それぞれが仲間と談笑し、酒を飲み、あるいは真剣な顔で地図を広げている。
吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが吊るされ、朝日が窓から差し込んで床を照らしていた。
カイはきょろきょろと周囲を見回す。
「すごい……」
「完全にお上りさんね」
リナが呆れ半分で笑った。
「でも、本当に“冒険者ギルド”って感じする」
「まあ、その感想は分かる」
病院の小さなテレビ画面でしか見られなかった“冒険の世界”。
それが今、目の前に広がっている。
カイはそれだけで少し感動していた。
受付カウンターでは、赤茶色の髪をまとめた女性が書類を整理していた。
「次の方どうぞー」
明るい声に呼ばれ、二人はカウンターへ向かう。
「冒険者登録ですね。名前と得意分野を書いてください」
カイは真面目な顔でペンを取った。
『カイ 17歳 得意:生活魔法』
それを見た受付嬢――ミリアが微妙な顔になる。
「生活魔法……ですか?」
「はい」
「ちなみに、どの程度を?」
「掃除とかです」
「へぇ……」
ミリアは曖昧に笑った。
その様子を、近くの冒険者たちが面白そうに眺めている。
「おいおい、生活魔法使いだってよ」
「洗濯係か?」
「ははっ、冒険者ギルドじゃなくて家政婦ギルド行けよ」
ゲラゲラと笑い声が上がる。
リナの眉がぴくりと動いた。
だがカイ本人は、なぜか少し嬉しそうだった。
「なんか冒険者ギルドっぽい」
「そういうイベントじゃないのよ」
リナが即ツッコむ。
するとミリアが、苦笑しながら壁の依頼書へ目を向けた。
「それなら、まずは初心者向け依頼にしますか」
彼女が剥がしたのは、一枚の簡素な依頼書だった。
『共同洗濯場・排水路清掃』
「街の洗濯場の排水路が詰まってるんです。最近かなり悪臭が酷くて」
「掃除依頼かぁ」
カイの目が少し輝く。
「受けます」
「即決なの!?」
リナが驚く。
周囲の冒険者たちはまた笑い始めた。
「ぴったりじゃねぇか!」
「生活魔法使いらしい仕事だ!」
「頑張れよ、お掃除屋!」
だがカイは真剣だった。
掃除は大事だ。
衛生環境は生活の基本である。
◆ ◆ ◆
共同洗濯場は、街の南区画にあった。
石造りの水路が張り巡らされた広場で、周囲には赤レンガの建物が並んでいる。
軒先には洗濯物が吊るされ、風に揺れていた。
本来なら活気ある場所なのだろう。
だが今は違った。
「うっ……」
リナが顔をしかめる。
鼻を突くような悪臭。
水路には黒いヘドロがこびりつき、濁った水がどろどろと流れている。
藻が腐り、ゴミが詰まり、夏場の湿気も相まってかなり酷い状態だった。
洗濯に来ていた女性たちも困り顔をしている。
「最近ずっと水の流れ悪いのよ」
「臭いが洗濯物に移っちゃって……」
「業者もお手上げでねぇ」
カイはしゃがみ込み、水路をじっと見つめた。
石の隙間にまで汚れが染み込んでいる。
(これは駄目だな……)
不衛生レベルが高すぎた。
「任せてください」
カイは立ち上がる。
そして、そっと手をかざした。
「【一斉清浄】」
次の瞬間。
白銀の光が水路全体を駆け抜けた。
ゴォォォォッ――!!
風が吹き荒れる。
眩しい光に、周囲の人々が思わず目を覆った。
そして。
光が収まった時。
「……え?」
誰かが呆然と呟いた。
黒ずんでいた石畳は、白く磨き上げられていた。
ヘドロは完全消滅。
濁っていた水は、山奥の清流みたいに透き通っている。
太陽の光が反射し、水面がきらきら輝いていた。
「す、水が……綺麗……」
「嘘でしょ……?」
女性たちが目を丸くする。
だが、まだ終わらない。
カイは少し考え込む。
「んー……まだ臭い残ってるな」
「まだやるの!?」
リナが叫ぶ。
カイは両手を合わせた。
「【浄化】」
ふわっ、と優しい風が吹き抜ける。
その瞬間。
街に漂っていた悪臭が、完全に消えた。
代わりに広がったのは、雨上がりの森みたいな澄んだ空気だった。
「な、なにこれ……」
「空気まで美味しい……」
「肌つるつるするんだけど!?」
なぜか美容効果まで発生していた。
周囲は騒然。
リナは遠い目をしていた。
もう驚き疲れてきた。
その時だった。
――バキンッ!!
突然、水路の奥が弾け飛ぶ。
「ギシャァァァァ!!」
黒い泥を撒き散らしながら、巨大な魔物が飛び出した。
ヘドロの塊みたいな身体。
赤黒い単眼。
鋭い牙。
下水に棲みつく魔物、スラッジイーターだった。
「魔物!?」
「きゃあああっ!!」
周囲が悲鳴を上げる。
リナが即座に手斧を構えた。
だがその前に。
カイがぽつりと言った。
「汚い」
「ギシャ!?」
「【超清浄】」
ズドォォォォン!!
神々しい光の柱が、スラッジイーターを包み込んだ。
泥が消える。
悪臭が消える。
どす黒かった身体が、透き通るような純白へ変わっていく。
ぴかぴかだった。
むしろ神聖ですらあった。
「…………」
スラッジイーターは自分の身体を見下ろした。
つやつやだった。
綺麗すぎた。
「キュゥゥゥ……」
ぽろぽろ涙を流しながら、水路の奥へ逃げ帰っていく。
静寂。
そして。
「帰ったぁぁぁ!?」
冒険者たちの叫び声が響いた。
誰も討伐していない。
なのに魔物が泣きながら帰った。
意味が分からなかった。
洗濯場の女性たちは感動したようにカイへ駆け寄る。
「ありがとう坊や!!」
「洗濯物の臭いが消えてる!!」
「空気まで気持ちいいわ!!」
「よかった」
カイは心から安心したように笑った。
その笑顔を見ながら、リナは確信する。
(この人、絶対そのうち世界規模で騒がれる……)
しかも本人は、今も本気で“ただ掃除しただけ”だと思っているのだった。




