第6話 高級宿と、ふかふかのベッド
洗濯場から冒険者ギルドへ戻る道中。
街の人々の視線が、やたらとカイへ集まっていた。
「ねえ見て、あの子じゃない?」
「洗濯場を一瞬で直したって……」
「聖職者様かしら?」
ひそひそ声が聞こえる。
石畳の大通りには露店が並び、焼き串の香ばしい匂いや、甘い果実の香りが漂っていた。
赤茶色の屋根が連なる街並みは、夕日に照らされて金色に染まっている。
噴水広場では子供たちが走り回り、楽師が陽気な音楽を奏でていた。
カイはきょろきょろと周囲を見回す。
「街ってすごいね」
「……緊張感ないわねぇ」
リナは半分呆れながら歩く。
普通、初依頼であんな騒ぎを起こしたらもっと動揺するものだ。
だがカイは、
「パンの匂いいいなぁ」
とか言っている。
その時。
ぐぅぅぅぅぅ……。
カイのお腹が鳴った。
「あ」
「……そういえば、朝からほとんど食べてなかったわね」
リナがため息をつく。
洗濯場の騒ぎで完全に忘れていた。
「今日は依頼達成祝いね。宿とご飯、ちゃんとしたところ行きましょ」
「宿!」
カイの目が輝いた。
◆ ◆ ◆
二人がやって来たのは、大通り沿いに建つ三階建ての宿屋だった。
白い漆喰の壁。
木枠の大きな窓。
入口には花の植木鉢が並び、扉からは温かな灯りが漏れている。
看板には、『銀枝亭』と書かれていた。
中へ入ると、ふわりと焼きたてパンとシチューの匂いが広がる。
一階は食堂になっていて、旅人や商人たちで賑わっていた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、琥珀色の照明が室内を柔らかく照らしている。
「おお……」
カイは完全に感動していた。
「これが宿屋……」
「そんなに珍しい?」
「うん」
カイは小さく頷く。
「旅行とか、一度もしたことなかったから」
その言葉に、リナは少しだけ表情を和らげた。
「……そっか」
宿の女将が笑顔で近づいてくる。
「いらっしゃい。食事? 宿泊?」
「両方で!」
リナが即答した。
「空いてる部屋ある?」
「ちょうど二部屋空いてるよ。最近冒険者が増えててねぇ」
「じゃあ――」
「一部屋で大丈夫です」
カイが言った。
リナが固まる。
「…………は?」
「だって高いでしょ?」
「いやいやいや!!」
顔を真っ赤にしてリナが叫ぶ。
周囲の客が何事かと振り向いた。
「男の子と女の子が同じ部屋は普通ダメなの!!」
「そうなの?」
「そうなのよ!!」
カイは本気で不思議そうだった。
病院生活が長かったせいか、その辺りの感覚がだいぶズレている。
女将がくすくす笑う。
「仲良いねぇ」
「違います!!」
リナが即否定した。
◆ ◆ ◆
食事は豪華だった。
焼きたての白パン。
とろとろに煮込まれたシチュー。
香草焼きの肉。
湯気の立つスープ。
木製テーブルいっぱいに並ぶ料理を見て、カイは目を丸くする。
「すごい……」
「大げさねぇ」
「だってこんなの初めてだよ」
病院食しか知らなかった。
だからこそ、温かい料理の匂いだけで感動してしまう。
カイは恐る恐るパンをちぎった。
ふわっ、と湯気が立つ。
口に運ぶ。
「……おいしい」
思わず零れた声に、リナは少しだけ微笑んだ。
「そんな顔されると、こっちまで嬉しくなるじゃない」
カイは夢中で料理を食べ始める。
シチュー。
肉。
スープ。
全部が新鮮だった。
その様子を、食堂の客たちも微笑ましそうに眺めている。
「よっぽど腹減ってたんだな、坊主」
「いっぱい食えよー」
「はい!」
カイは素直に返事をした。
◆ ◆ ◆
食後。
二人は二階の客室へ向かった。
木造の廊下にはランプが並び、窓からは夜の街並みが見える。
遠くには鐘楼が立ち、街灯の明かりが石畳を照らしていた。
「ここよ」
リナが扉を開ける。
中は思ったより広かった。
木の床。
白いシーツのベッド。
小さな机。
窓辺には観葉植物まで置いてある。
「……わぁ」
カイは静かに呟いた。
宿の部屋。
それだけで感動してしまう。
リナは荷物を置きながら振り返った。
「どう? ちゃんとした宿は」
「すごい」
カイはベッドへ近づく。
そして、おそるおそる腰を下ろした。
ぽすっ。
柔らかい。
「……!」
目を見開く。
病院のベッドとは違う。
温かくて、柔らかくて、安心する。
カイはそのまま、ぱたりと倒れ込んだ。
「ふかふかだ……」
「子供みたい」
リナが笑う。
だが次の瞬間。
カイが真剣な顔で立ち上がった。
「……よし」
「え?」
「もっと快適にしよう」
「待ちなさい」
遅かった。
カイは静かに手を掲げる。
「【一斉清浄】」
光が部屋を包む。
空気が澄む。
木の香りが広がる。
「【柔軟】」
ベッドがさらにふかふかになった。
「【温度調整】」
室温が完璧になる。
「【防音結界】」
街の騒音がふっと消えた。
「【安眠補助】」
「増えたぁ!?」
リナが叫ぶ。
気づけば。
部屋は完全に高級ホテルを超えていた。
ベッドは雲みたい。
空気は森林浴レベル。
静かで暖かく、意味不明なくらい落ち着く。
リナは恐る恐るベッドへ座る。
「……なにこれ」
「快適?」
「天国なんだけど」
真顔だった。
そして数秒後。
リナはふらりとベッドへ倒れ込む。
「……もうここ住みたい」
「よかった」
カイは満足そうに頷いた。
そんな二人を、廊下の向こうから女将が不思議そうに見ていた。
「……なんで二階だけ空気が高級温泉宿みたいになってるんだい?」




