幕間 リナの溜息と、冷めないクレープ
「……まあ、美味しいからいいけど」
手の中のクレープを一口かじった。
その瞬間、後ろから小さな影がぴょんと飛びついてくる。
「キュル♪」
「わっ、フォル」
肩の上に乗ってきたフォルは、大きな欠伸をしながら私の首元に顔を擦りつけた。
どうやらほんとに寝ていたらしい。
私は呆れ半分でフォルを見る。
「ほんとにずっと寝てたの?」
「キュル」
悪びれた様子ゼロだった。
ダンジョンの罠も、ジークの怒鳴り声も、この子には快適な睡眠音楽程度だったのかもしれない。
カイからもらったバナナを抱え込み、のんびり齧り始める。
図太い。
私は小さく笑ってから、またクレープを一口かじった。
甘い香りが口いっぱいに広がる。
「……ほんと、美味しい」
生地はまだ温かい。
焼きたてみたいに柔らかい。
なのに、中のクリームはちゃんと冷たいままだった。
意味が分からない。
地下ダンジョンまで持って行って、戦闘までしてたのに。
どうして出来立てのままなのよ。
隣ではティアが嬉しそうにクレープを食べていた。
銀髪を揺らしながら、小さく目を輝かせている。
「すごいです……。こんなに美味しいもの、初めて食べました」
「ふふ、良かったわね」
本当に幸せそうだった。
その顔を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
前を歩くカイは、いつも通りのペースで歩いている。
一定の歩幅。
一定の速度。
さっきまでダンジョンの奥でAランク冒険者を気絶させていたとは思えないほど普通だった。
私はその背中を見つめながら、またクレープを齧る。
甘い。
ちゃんと美味しい。
ほんと、なんなのよこいつ。
村を出た頃の私は、旅ってもっと過酷なものだと思っていた。
靴擦れして。
泥だらけになって。
雨に降られて。
硬い干し肉を齧って。
疲れながら進むものだと思っていた。
でもカイと旅を始めてから、その常識は全部壊れた。
アルトへ向かう途中もそうだった。
突然空が暗くなって、とんでもない土砂降りになった日。
私は慌てて荷物を抱えた。
「うわ、最悪……!」
当然ずぶ濡れになると思ったから。
でも隣のカイは、のんびり空を見上げながら言った。
「服濡れると重いんだよね」
呑気すぎる。
「あとフォル乾かすの面倒」
「キュル……」
肩の上のフォルも嫌そうに耳を伏せていた。
そして。
「【拒絶】『リジェクト』」
雨が消えた。
正確には、私たちの周囲だけ。
豪雨が見えない壁みたいなものにぶつかって弾かれていく。
意味不明だった。
さらにカイは地面を見る。
「ぬかるむと歩きにくい」
ぼそっと呟く。
「【乾燥】『ドライ』」
次の瞬間、泥道が乾いた。
ぐちゃぐちゃだった地面が、一瞬で歩きやすい土に変わる。
雨は降ってるのに、私たちだけ快適な散歩道を歩いていた。
「……魔力の無駄遣いじゃない?」
思わず聞いた私に、カイは不思議そうな顔をした。
「洗濯のほうが面倒だよ」
本気だった。
ほんとにそう思ってる顔だった。
でも。
濡れてない服。
ふわふわのまま満足そうに鳴くフォル。
それを見たら、なんかもう怒る気もなくなる。
カイはいつもそうだ。
「快適に過ごしたい」
「疲れたくない」
「汚れたくない」
理由は全部、自分のためみたいに言う。
でも。
その“快適”の中から、私たちが外されたことは一度もない。
このクレープだってそう。
“味が落ちるのが嫌”だからって、完璧な状態で保存して。
私たちが一番美味しく食べられるようにしてくれた。
本人は多分、本気で“ただ美味しく食べたかっただけ”だと思ってる。
そこがまたズルい。
私は小さく笑う。
気づけば、この旅が好きになっていた。
温かいご飯。
綺麗な服。
ふかふかのベッド。
意味分からないくらい快適な毎日。
そして隣には、笑ってる仲間がいる。
「……リナ?」
前を歩いていたカイが振り返る。
灰色の瞳がこっちを見る。
肩の上のフォルも「キュル?」と首を傾げていた。
私はクレープをもう一口かじる。
甘い。
ちゃんと美味しい。
「なんでもないわ」
私は笑った。
「このクレープ、本当に美味しいなって思ってただけ」
するとカイは少し満足そうに頷く。
「でしょ。並んだ甲斐あった」
そこだけ妙に嬉しそうなんだから。
規格外の少年。
少し不器用な銀髪の女の子。
そして、ちゃっかり者の小さな相棒。
こんな不思議なパーティなのに、不思議なくらい居心地がいい。
私は肩の上のフォルを軽く撫でながら、賑やかなアルトの街へ続く道を歩き続けた。




