第35話 報告と選択
都市の朝は、とにかく元気だ。
石畳の通りをゴトゴトと走る馬車の音、カンカンと響く鍛冶屋の金槌、そこに混ざる商人たちの威勢のいい声。屋台からは焼いた肉やパンの香ばしい匂いが漂ってきて、通り全体がひとつの祭りみたいに騒がしい。
静かな森から戻ってきたばかりの僕たちには、この落ち着きのない賑やかさがやけに新鮮だった。
そんな喧騒から少し離れた場所に、都市防衛隊の詰所はある。
分厚い石造りの建物は外の音を少しだけ遠ざけていて、中に入ると空気が一段階重くなる。奥の部屋には、相変わらず無駄のない姿勢で立つロイド・ヴァルスがいた。鎧が軽く鳴る音が一度だけ響く。
今日も変わらず堅い。
「報告を」
短く、まっすぐな言葉。
僕は肩の力を抜いて答える。
「街道は問題なしです」
ロイドは一度だけ頷いた。
「森は」
その一言だけ、少しだけ空気の温度が変わる。
僕はあの森の黒ずんだ違和感を思い出しながら答えた。
「なんか変でしたね。黒くなってたんで、元に戻しておきました」
「……」
ロイドが沈黙した。
説明が雑すぎたせいで、一瞬フリーズしたみたいな間だったけど、どうにか『森の異常』という単語に変換できたらしい。机の上の地図に視線を落としながら、ゆっくりと腕を組む。
「……調査としては十分だな」
それから一拍置いて、僕の方を見る。
「だが、お前たちへの評価は変わる」
「え?」
ロイドはまっすぐ続けた。
「ギルドに登録しないか」
室内の空気が少しだけ変わる。
横にいたリナがわずかに目を動かし、肩の上のフォルも「キュル?」と首を傾げた。
ロイドは淡々と続ける。
「お前たちの動きは、通常の冒険者の枠に収まっていない。異常現象への対応速度が明らかに規格外だ」
褒めているというより、事実を整理しているだけの声だった。
たぶん普通なら悪くない話なんだと思う。安定もするし、待遇も良くなるはずだ。
でも僕の答えは最初から決まっている。
「やめておきます」
即答だった。
ロイドは少しも驚かず、ただ静かに問い返す。
「理由は?」
僕は軽く笑って答えた。
「旅がしたいから、ですかね」
それだけだ。
誰かの役に立つとか、立派になるとか、そういうのは今はどうでもいい。見たことない場所を見て、知らない景色に行く。それだけで十分だった。
ロイドは一瞬だけ目を閉じて、それから小さく息を吐いた。
「……そうか」
呆れでも否定でもない。ただ受け止めた声だった。
そして短く言う。
「無理には止めない。好きに行け」
それで終わりだった。
詰所を出ると、外の音が一気に戻ってくる。
人の声、馬車の音、金属の響き。さっきまでの静けさが嘘みたいに、世界がまた動き出す。
リナが歩きながら呆れたように言う。
「ほんと、あんた迷いってものがないわよね」
僕は肩をすくめる。
「そうかな。行きたいから行く」
肩の上でフォルが嬉しそうに鳴いた。
「キュルル♪」
雑踏の中を少し歩いたところで、リナが前を向いたまま聞いてくる。
「で、次はどこ?」
僕は空を見上げる。
どこまでも青くて、やけに遠くまで続いている空だった。
「アルトに行こうか」
街の門へ続く道は、最初からそこにあったみたいに真っ直ぐ伸びている。
誰かに決められた道じゃない。ただ、見たい景色がその先にあるだけだ。
僕たちの気ままで、ちょっと自由すぎる旅は、まだ始まったばかりだ。




