第13話 初飛行と、空からの帰還
渓谷を吹き抜ける風が、ゴウゴウと岩肌を揺らしていた。
巨大なワイバーンは、ゆっくりと身体を低くしている。
深緑の鱗は夕陽を浴びて鈍く輝き、折り畳まれた翼は小屋ほどの大きさがあった。
黄金色の瞳がちらりとカイを見る。
「グル」
背中を向ける。
完全に「乗れ」と言っていた。
「……えぇ」
リナが引きつった声を漏らす。
普通ありえない。
竜種は人を襲う側であって、乗せる側じゃない。
しかも相手は、ついさっきまで討伐対象だったワイバーンだ。
だがカイは少し目を輝かせていた。
「乗っていいの?」
「グル!」
嬉しそうだった。
「いいって」
「なんで分かるのよ……」
リナが頭を抱える。
カイは恐る恐るワイバーンへ近づいた。
近くで見ると、本当に大きい。
脚一本だけでも丸太みたいに太く、爪は剣のように鋭い。
鱗は何層にも重なり、まるで磨かれた鎧みたいだった。
けれど首元には柔らかな体毛があり、そこだけ少しふわふわしている。
カイはそっと触れた。
「わ……」
ひんやりしていた。
でもちゃんと生き物の温もりもある。
「すごい……本当に竜だ……」
その声は、子供みたいに純粋だった。
リナはそんなカイを見て、少しだけ苦笑する。
「ほんと楽しそうね」
「うん」
即答だった。
数分後。
二人はワイバーンの背中へ乗っていた。
リナは顔面蒼白で鱗へ必死にしがみついている。
「む、無理無理無理……!」
「大丈夫?」
「高さが大丈夫じゃないのよぉぉ!!」
その時。
ワイバーンがゆっくり翼を広げた。
ゴォォォォッ――!!
突風が吹き荒れる。
砂が舞い、草木が大きく揺れた。
巨大な翼が一度羽ばたく。
次の瞬間。
身体がふわりと浮いた。
「……!」
景色が、一気に遠ざかっていく。
渓谷が小さくなる。
岩壁を越えた瞬間――
視界が開けた。
「うわぁ……!」
カイの声が漏れる。
空だった。
どこまでも広い青空。
白い雲がゆっくり流れ、陽光が世界を照らしている。
眼下には広大な大地。
深い緑の森。
風に揺れる草原。
銀色に光る川。
小さな村々。
遥か遠くの山脈。
全部が、絵画みたいに美しかった。
風が頬を撫でる。
空気が冷たい。
でも、それが気持ちいい。
「すごい……」
カイは呆然と呟く。
ずっと見たかった景色だった。
遠くへ行きたかった。
空を自由に飛ぶ鳥を見て、羨ましいと思ったこともあった。
けれど今。
本当に空の中にいる。
「リナ、見て!」
「む、無理ぃぃ!! 下見たら死ぬぅぅ!!」
リナは涙目でカイへしがみついていた。
ワイバーンは気持ちよさそうに空を旋回する。
巨大な翼が風を掴むたび、身体がふわりと浮き上がる。
「グルルルルル!!」
鳴き声が青空へ響いた。
カイはそっと首元を撫でる。
その時、ふと気づく。
「……あれ?」
「な、なによ!?」
「翼の動き、ちょっと硬そう」
「まだ気にするの!?」
カイは真剣だった。
せっかく飛ぶなら、もっと飛びやすい方がいい。
彼は翼の付け根へそっと触れる。
「【柔軟】」
淡い光が、翼全体へ広がった。
次の瞬間。
ワイバーンの翼が、滑らかにしなった。
「グルッ!?」
羽ばたきが軽い。
空気を切る感覚が全然違う。
そして。
――ドォォォォン!!
ワイバーンが急加速した。
「きゃああああああっ!!?」
リナの悲鳴が空へ響く。
景色が一瞬で流れていく。
雲を突き抜ける。
風圧で髪が激しく揺れた。
だがカイは目を輝かせていた。
「速い!!」
眼下では森が緑の海みたいに流れていく。
川は銀色の線になり、遠くの街は小さな模型みたいだった。
空気は冷たいのに、不思議と胸は温かかった。
ワイバーンも嬉しそうだった。
「グルルルルゥゥゥ!!」
しばらく空を飛び回った後。
カイは遠くに見覚えのある街を見つけた。
「あ」
「なによぉ……」
「フィルンだ」
夕陽に照らされた城壁。
白い煙の上がる家々。
中央広場の時計塔。
ついさっきまでいた街だった。
ワイバーンも気づいたらしく、ゆっくり高度を下げ始める。
リナの顔色が変わる。
「……待って」
「?」
「このまま街に降りたら大騒ぎになる」
その言葉通りだった。
街の門番が、空を見上げて固まっている。
「…………え?」
数秒後。
「ワイバーンだぁぁぁぁぁ!!」
警鐘が鳴り響いた。
ゴォォォン!! ゴォォォン!!
門兵たちが慌てて武器を構える。
街中が騒然となった。
だがワイバーンは気にした様子もなく、悠々とフィルンの外壁近くへ降下していく。
夕陽を背負った巨大な竜。
その背に乗る二人の人影。
あまりにも異様な光景だった。
そして地上では。
ギルドから飛び出してきたロイドが、その光景を見上げていた。
「……は?」
元A級冒険者にしてギルドマスター。
そんな男が、人生で初めて本気で呆然としていた。




