第119話 湯の中の静かな熱
露天風呂の湯気が、夜の山へ静かに溶けていく。
レオンの話が一区切りついたあと、しばらく誰もすぐには言葉を出さなかった。
湯の流れる音だけがやけに大きく聞こえる。
アルトは岩に背を預けたまま、しばらく湯面を見ていた。
いつもなら冗談の一つでも出るのに、今日は少しだけ間が長い。
「……次は俺か」
ようやくそう言って、小さく息を吐いた。
レオンが軽く笑う。
「残ってたしな」
「勝手にまとめ役にすんな」
軽い言い合い。
だがそのやり取りも、どこか静かだった。
ベルクが穏やかに目を細める。
「無理に全部話す必要はないぞ」
「分かってる」
アルトは短く返した。
それから少しだけ間を置く。
山風が吹き、白い湯気が揺れた。
「俺の家はさ」
ぽつりと始まる。
「武寄りの貴族で、剣も魔法も“使えるのが前提”の家だった」
カイは静かに聞いている。
「強いかどうかじゃない」
「“勝てるかどうか”でもない」
「“勝ち続けられるかどうか”」
言葉は淡々としているのに、どこか重い。
「失敗は許されない」
「負けは一度でも価値を落とす」
そういう空気の中で育った、とアルトは続ける。
「最初はそれが普通だと思ってた」
「勝つのが当然で、負けるやつが悪い」
そういう世界だってな。
湯の音だけが響く。
「でもさ」
そこで一度止まる。
「ある時から、違和感が出てきた」
カイが目を細める。
「勝っても何も残らない勝ちがあった」
「相手を壊すみたいな勝ち方」
「周りは“さすがだ”って言うけど、そのあと誰もその試合の話しない」
山風が一段強く吹く。
「それで気づいた」
「俺は“勝つために戦ってる”んじゃなくて、“負けないために壊してただけ”だったって」
その言葉に、空気が少しだけ静かになる。
レオンが何も言わず湯を見ている。
ベルクも口を挟まない。
アルトは淡々と続けた。
「一回、やらかした」
「訓練試合だった」
「相手は同年代」
「勝つことだけ考えすぎて、必要以上に追い詰めた」
湯気が流れる。
「勝った」
「でも相手は長く動けなくなった」
そこで一度言葉が途切れる。
アルトは苦笑した。
「その時初めて思った」
「俺がやってたのって、勝ちじゃなくて“処理”だったんだなって」
静かになる。
カイは目を逸らさず聞いていた。
アルトは視線を上げる。
「家の人間はそれを見て、評価を変えた」
「優秀だけど危険だって」
「使いにくいってな」
少しだけ笑う。
その笑いは軽くない。
「それでいいと思ってた」
「その頃までは」
山の夜風が吹き、湯気が揺れる。
「でも学院に来て、変なやつらに会った」
レオンが片眉を上げる。
「変なやつって誰だよ」
「お前」
「即答かよ」
軽く笑いが起きる。
だがすぐに静かに戻る。
「レオンはさ」
「無茶する」
「でも、その無茶の中に“助ける理由”がある」
「理屈じゃなくて、本能みたいに動いてる」
レオンは少しだけ黙る。
否定もしない。
「ベルク先生は逆で」
「全部分かってるのに、前に出るタイミングを間違えない」
「引くべき時と、支えるべき時を知ってる」
ベルクは静かに目を細めた。
アルトは視線をカイに向ける。
少しだけ間が空く。
「お前は」
カイは小さく首を傾ける。
「迷いがない」
「普通なら躊躇する場面でも、もう動いてる」
「善悪とかじゃなくて、必要かどうかだけで判断してる感じ」
カイは少し考えてから言う。
「そういうものだと思ってる」
「それだよ」
アルトは短く言った。
山風が吹く。
湯気が流れる。
「気づいたらさ、俺の“勝ち方”が変わってた」
「壊すためじゃなくて、守るために勝つってやつ」
その言葉はどこか不器用だったが、確かに今のアルトの形だった。
レオンが軽く笑う。
「丸くなったな」
「うるせぇ」
ベルクが静かに言う。
「それを成長と言うんじゃよ」
アルトは少しだけ視線を逸らした。
「……まだ分かんねぇけどな」
そう言いながらも、否定はしなかった。
カイは湯の中で静かに息を吐く。
それぞれの話は違うのに、どこかで確かに、同じ方向へ向かっている気がしていた。




