第117話 金章授与者
露天風呂の湯気が、
夜空へゆっくり溶けていく。
ベルクの昔話を聞き終えたあと、
しばらく誰も喋らなかった。
岩肌を伝う湯の音だけが静かに響く。
カイはぼんやりと湯気の向こうを見る。
普段は穏やかで、
どこか気の良い老人。
けれどその人が昔、
街一つを守るため命を削っていた。
それがまだ少し不思議だった。
「……すごい」
自然と零れた言葉に、
ベルクは少し驚いたあと、
柔らかく笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいのう」
その空気を少しだけ変えるように、
レオンが背中を岩へ預けながら笑う。
「じゃあ次は俺の番な」
アルトが呆れた顔をした。
「絶対最初から話す気だったろ」
「まあ…な。あまり大きな声で話せるものでも
無いし、この機会に話しておきたい」
レオンは悪びれもせず笑う。
だが。
その目は少しだけ遠かった。
湯気の向こう、
昔を見ているみたいに。
「カイ、お前金章は見たことあるよな」
「ん」
学院で見た。
授与式の時。
王国紋章が刻まれた金色の徽章。
周囲の空気が変わるくらい、
特別なものだった。
王国でも限られた人間しか持てない称号。
「……なんで貰ったの?」
カイが静かに聞く。
レオンは少し苦笑した。
「きっかけは学院時代の事故だ」
山風が吹き、
白い湯気を揺らす。
「当時の学院地下には、
今は封鎖されてる旧術式区域があった」
アルトが頷く。
「ああ……魔力炉施設か」
「そう」
レオンはゆっくり続ける。
「昔の学院って、
今よりずっと危険な研究してたんだよ」
「制御不完全な古代術式」
「高出力魔力炉」
「暴走寸前の試験運用」
「今なら絶対許可降りないようなやつばっか」
ベルクが苦笑する。
「時代じゃな」
「安全基準も今ほど厳しくなかった」
レオンは湯を見つめながら続けた。
「その日も、
地下では実験が行われてた」
「最初は本当に小さな異常だったらしい」
「出力の乱れ」
「術式誤差」
「その程度」
「でも――」
少し間が空く。
「古い魔力炉が連鎖共鳴を起こした」
空気が静かになる。
「地下魔力脈へ干渉して、
施設全体の術式が暴走」
「結界制御も狂った」
「学院中の魔力循環が乱れて、
上じゃ魔法が暴発し始めた」
カイが少し目を細める。
それだけで、
どれだけ危険か分かった。
「地下はもっと酷かった」
レオンの声が少し低くなる。
「熱暴走で壁が溶ける」
「蒸気導管が破裂する」
「視界全部真っ赤」
「魔力が濃すぎて息するだけで頭痛くなる」
「しかも古い術式が狂ってるせいで、
魔法までまともに発動しない」
アルトが顔をしかめた。
「最悪じゃねぇか……」
「実際最悪だったよ」
レオンは苦笑する。
「避難命令は出た」
「教師陣も動いてた」
「でも地下に取り残された人がいた」
湯気の向こうで、
レオンの目が細くなる。
「研究員」
「整備員」
「あと学生」
「崩落で通路が塞がれてたんだ」
「術式扉も暴走して開かない」
「このままだと全員焼け死ぬって話だった」
露天風呂が静まる。
湯の流れる音だけが聞こえていた。
「正直、
最初は俺も怖かった」
レオンがぽつりと言う。
「まだ学生だったしな」
「死ぬかもしれないって普通に思った」
山風が吹く。
「でも」
「泣いてる声が聞こえたんだ」
レオンの目が、
少しだけ遠くを見る。
「地下へ向かう途中だった」
「崩れた通路の向こうから、
助けを呼ぶ声が聞こえた」
「怖い」
「助けて」
「死にたくない」
「そんな声ばっかだった」
カイは静かに聞いていた。
「だから行った」
「考えるより先に身体動いてた」
アルトが呆れ半分で息を吐く。
「お前昔からそういう奴だよな……」
「否定はしない」
レオンは笑った。
でも。
その笑顔は少し苦かった。
「地下は地獄だったよ」
「熱いし」
「煙で前見えねぇし」
「暴走魔力で術式狂うし」
「しかも途中で旧型防衛ゴーレムまで起動した」
「……あれか」
アルトが嫌そうな顔をする。
「殺傷用旧式」
「そう」
「今の訓練用と違って、
本気で人殺すためのやつ」
レオンは肩をすくめた。
「しかも暴走してるから加減無し」
「普通に死ぬかと思った」
ベルクが苦笑する。
「実際かなり危なかったらしいの」
「らしいじゃない」
「あとで聞いた話だからな」
レオンは小さく笑う。
「でも一番ヤバかったのは最後だ」
その声色が変わる。
「地下最深部」
「崩落が起きた」
「逃げ遅れてた学生達が完全に閉じ込められた」
レオンは静かに湯を見つめる。
「まだ一年の子達だった」
「みんな泣いてた」
「怖くて震えてた」
「その中に、
一人だけずっと謝ってる奴がいたんだ」
カイが少し目を細める。
「謝ってた?」
「“自分のせいで死ぬ”って」
「実験補助に入ってた子だったらしい」
レオンは苦笑する。
「そんなわけあるかって思ったよ」
「事故なんて誰か一人のせいじゃねぇ」
「だから――」
少しだけ、
レオンの目が柔らかくなる。
「絶対助けるって言った」
静かな声だった。
でも。
そこには本物の覚悟があった。




