第108話 王都の外へ
出発当日。
朝の王都はまだ少し涼しかった。
巨大な城壁の門がゆっくり開かれ、
石畳の大通りがそのまま外の街道へ繋がっている。
門を抜けた瞬間だった。
空気が変わる。
王都の中に満ちていた、
人と魔導機関の熱気が薄れ――代わりに、
朝露を含んだ草の匂いが風に混ざった。
カイは自然と足を止めかける。
視界が、一気に開けていた。
遠くまで続く街道。
朝日に照らされた草原。
風に揺れる緑の波。
王都の外には、
遮る高い建物がほとんど無い。
だから空が広かった。
薄青い空の下を、
白い雲がゆっくり流れている。
「……広い」
ぽつりと漏れた声に、
レオンが少し笑った。
「だろ?」
「王都の中と全然違う」
街道は最初こそ整った石畳だったが、
少し進むにつれて踏み固められた土道へ変わっていく。
馬車の車輪跡。
旅人の足跡。
長年踏み締められてできた街道だった。
左右には背の高い草が広がり、
朝風が吹くたび、
ざあぁ……と波みたいに揺れる。
遠くでは農夫が畑を耕していた。
小さな水車も見える。
川から引かれた水路が太陽を反射し、
きらきらと光っていた。
ティアが目を輝かせる。
「すごい……」
「絵みたいです……!」
ベルクは穏やかに頷いた。
「この辺りは王都近郊でも景色が良い方じゃからの」
道沿いには低い石柵が続き、
時々、白い小花が風に揺れている。
旅商人の荷馬車がゆっくり横を通り過ぎ、
干し草の匂いがふわりと漂った。
御者はレオンを見ると軽く手を上げる。
「おう、若先生!」
「おっちゃん久しぶり」
そんなやり取りを聞きながら、
カイは周囲を静かに見ていた。
歩くたび、
景色が少しずつ変わる。
それが新鮮だった。
前世では、
窓越しに景色を見ることはあっても、
こうして自分の足で遠くまで歩くことは少なかった。
だから今、
風の匂いも、
土を踏む感覚も、
全部少し不思議だった。
そのまましばらく進むと、
街道脇に澄んだ小川が見えてきた。
透明な水だった。
川底の丸石が見えるほど澄んでいて、
水面が朝日を反射して揺れている。
小川の上には、
古い石橋が架かっていた。
灰色の石で組まれた丸橋。
長い年月で角が少し削れている。
橋の縁には薄い苔が生え、
隙間から小さな草花まで伸びていた。
水の流れる音が静かに響く。
さらさら、と。
耳に心地いい音だった。
カイは少し橋の欄干へ触れる。
冷たい石の感触。
風が水辺を抜け、
少しひんやりした空気が頬を撫でた。
「……気持ちいい」
その声に、
ティアが嬉しそうに笑う。
「はい!」
リナも少し肩の力を抜いていた。
「王都いるより空気いいかも」
「街の外は嫌いじゃない」
アルトも小さく呟く。
その言葉に、
レオンが少し笑った。
「お前、昔から王都の堅苦しい空気苦手だもんな」
「うるさい」
だが否定はしなかった。
さらに進むと、
景色は少しずつ変わっていく。
草原だけだった景色に、
背の高い木々が増え始める。
葉の隙間から陽光が零れ、
地面に揺れる影を落としていた。
鳥の鳴き声も聞こえる。
風が枝葉を揺らす音。
遠くで流れる水音。
王都の喧騒とは全く違う静けさだった。
その時。
少し強めの横風が吹いた。
乾いた砂が街道から舞い上がる。
「うわ、砂っぽ……」
リナが目を細める。
カイは周囲を見た。
風向き。
空気の流れ。
舞い上がる砂。
数秒だけ考えて――
「微風」
ふわり、と。
一行の周囲だけ、
風の流れが静かに変わる。
向かい風が柔らかくなり、
砂埃が自然に逸れていく。
空気の温度まで少しだけ快適になった。
ティアが目を丸くする。
「わぁ……!」
「涼しいです……!」
アルトは少し黙っていた。
普通の風魔法ではない。
強引に吹き飛ばすのではなく、
空気そのものを丁寧に整えている。
そんな感覚だった。
「……こんな使い方あるのか」
小さく漏れた呟きに、
ベルクが笑う。
「カイはこういうのが得意なんじゃ」
街道は、
まだまだ遠くまで続いていた。
その先にある知らない景色を見ながら、
カイは静かに歩き続ける。
不思議と、
疲れはほとんど感じなかった。




